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「正しく伝わる文章」を、しっかり考えてみる。

noteを書いていると、
「これで伝わるかなぁ…」
ってことがよくある。

てか、多分、5割り増しくらいでやって伝わる気がする。

そりゃ文章如き文字媒体で、100%伝えられるわけがないんだけどね。

だから、伝え方ってのはかなり大切。

日常でも、伝え方一つで意味が変わったりする。

日本語は、そうやって意味を相手の解釈に委ねる部分が大きいから、特に顕著だと思う。

今後、noteを書いていく身として伝え方ってのはかなり大切。

今後、noteを書いていく身として。
てか、普通に気になったから、
正しい伝え方について考えてみようと思う。


まず環世界ってのは

これは生物ごとによって、独自の感覚とか、行動とかがあるから、そりゃあ種族ごとに見える世界は変わるわな。
って話なんだけど。

私はこれが人間1個体レベル、なんなら全生物の1個体レベルであると思う。

私とあなたでは、同じものを見ても思うことは違うと思う。

例えば冷凍されたパン。

私はこれを齧るのが好きだから、見たら食べたい。と思ってしまう。

でもあなたは、おそらく「解凍しなきゃ」「凍ってる。」「美味しくなさそう」「トーストしよう」とか考えるだろう。

そしたら、冷凍されたパンは少なくとも私とあなたの間で認識が違う。

冷凍されたパンだけなら、私とあなたは別の環世界を生きてる


そこからさらに考えていくと、
どうやら、
認知される対象だけの世界と、認知して構築された世界があるように思えた。

対象だけの世界は、そのまま、私たちが普段見ているものだけしか存在しない。

そして、これはすべてのひとに、存在する対象は共通する。

りんごが存在する世界と存在しない世界が被ってはない。

その時は、相手の情報全て。
なんなら自分も、体の状態や、一度考えとして固定化した思考は全て、あなたにとっての情報であり対象だ。

そして、過去の自分による、過去の意味付けされた世界(↓に書いてる認知界)も、認知する対象になることは注意。

(ここではガチの過去。0.00000000001秒まででも過去とします。現在の前という概念です。)

だから、あなたにとって世界の全ては、ただ存在するだけの情報だ。

私は対象世界と読んでる。


そして、対象界が認知されて構築された世界は、さっき言った環世界みたいなもので、私は認知世界と読んでる。

対象をただ、認知して、各々個人の感じ方と意味によって作られた世界。

手順としては、
1.対象界が存在する
2.五感等によって情報を集める。情報の収集(認知1)
3.その情報をもとに理解する。情報の構築(認知2)
4.理解をもとに、意味付けする。自己の変化(認知3)
5.思考を自分外に出せば、それが対象界に追加される

の5つ。

だから、この私の文章を読んでどう思うかは全て、この認知世界。


正しい伝え方とは?

話を戻して、正しい伝え方についての話。

私は、流動的な日本語でも、どんな伝え方でも同じ情報として認知される
伝え方が正しい伝え方だと思う。

先ほどで言えば、伝えている方の言葉、文章、仕草、表情は全て対象界にある。

それを認知した時、誰でも同じ情報として理解される情報なら、それは正しく伝わっていると言えるだろう。

一方、人によって理解の仕方は違うから、
その配慮ができてない文章が多い。

発言者にとっては、わかりやすい情報になっていても、それが、発言者の背景とか、これまでの過去を前提にして描かれているなら、それは伝わらない。

そうやって理解の共通化ができない文章は、
正しい伝え方とは言えないだろう。

対象による”理解”の共通化。

それができる伝え方が正しい伝え方だ。

さて、次回は、これらの物事の本質についてと、芸術と伝え方の違いについて書こうと思う。

なんせ、4000文字くらいにもなってたから、2記事に分けた。

ちょっと一呼吸したら、気が向いたら。

次を読んでみてくださいな。


正直、書いた私も、たぶんまだぜんぶわかってない。
未知のことだったり、不確かなことばっかり。

でも、ちょっとずつ確かめたくて、他にもいろいろ書いてる。

フラフラした逃避行みたいな文章です。

よかったら、足跡をたどりながら散歩するみたいに、読んでってください。

それではまた。

対象は認知を動かさない

対象が、認知を動かすことは少ない。

りんごを見て甘いと思うことはあるが、初めて見た時に甘いとは思わないだろう。

りんごを見た時に甘いとイメージできるのは、過去に経験した情報から意味付けしているからだ。(認知3)

このように、ほとんどの対象は認知を動かさない。


対象が認知を共通化するのが芸術。

逆に、対象が認知3の、自分による変化である意味づけまで動かすなら、それは芸術の域だと思う。

聞くと悲しい気分になる音楽があったとしよう。

全員がその音楽を認知した時、「音」「旋律」を理解する。

そして、全員、「悲しい音楽」という意味づけが行われる。

全ての認知が対象によって、定められる。

美しいという感情が湧くものは、「美しい」と認知を動かしている。

認知が対象を作ることはよくある。

自分が見えた世界を、SNS等で発信したら。
なんならお気持ちコメントでさえ、
炎上に焚べる薪でさ、
全てが対象だ。

これは認知によって作り出された対象である。

アートは、対象が認知を定める。

素晴らしい芸術とは、どれだけ高い確率で、同じ認知にさせれるか
なのかもしれない。

そう考えると、全員が全員違う世界で生きている中で、芸術というものの存在は大きい。

だって、相容れないようなアイツとの間に、語り合える共通点をひとつ強制的に作り、コミュニケーションのネタや、共感できる理由になる。

人間は、理解できないものを拒む。

黒人が差別を受けていたのものこのせいだ。

理解できないものを同じ人間と捉えることなく、奴隷として扱った。

多言語ができるのも、もともとは暗号のようなものだったのではないか。

もしくは、自分が相手と理解されないことによって、相手を絶対敵と思い込むために作った概念なのかもしれない。

そうして、理解し合う溝が深まり、国家間での闘争が激しくなった。

そして戦争になる。

理解しあえない。
相容れない。

だから革命が起きる。

アイツらは私たちとは違う。
私たちと同じではない。

だから差別が起きる。

どれも、理解しない。理解できないという断絶の道の先にある。

だから理解しあうことは、人間社会において重要だ。


人間は高度な、想像力を持った。

相手の情報から、意味をつけ、新しい情報を作る。

そして、相手と同じものイメージし、今ここにないものについて話し合うことができる。

それらは全て、想像力によるものだろう。

だが、その想像力は、理解において、劇薬だ。

もし、相手を理解しようとする気持ちがあるなら、それは最高の薬だ。

相手の心情を理解し、共感し、対話する。
その過程で少しずつ、自分の中にその人のイメージが出来上がり徐々にその人の全体像が見えてゆく。

これまで悪い面しか見てこなかったが、いい面も見えてくる。


だが、理解しようとしないなら、それは猛毒となる。

始まりは、相手が思っていた通りの行動をしなかったことだ。
自分の理解できない、想定していない行動をした時、その人にとっての相手が崩れる。

自分が思っていることを、相手が思っているはずと思い込むことにより、さらにそれは深まる(投影バイアス)。例えば、「私はあの子が嫌い。たぶん、あの子も私のこと嫌いだ」と思ったり。


そして、自分の理解のできなさ、嫌な出来事の原因を相手に求める。
というか、私は相手を理解していたはずというイメージが、現実とずれたことによる不快感を減らすために、自分の非を認めない。(認知的不協和)

相手が悪い、相手が間違っているという考えが、自分の中で固定され、自分を疑うことなく相手を嫌う。(確証バイアス)

自分を疑うことは、かなり苦しい。
だって、自分の間違いを認め、自分が愚かであったと認めることになるのだから。だからこそ、相手に原因を作り、自分は正しい行動であったと評価しようとする。(自己正当化)

そして、それらの行動は、全て主観によるものだが、自分の世界においてはそれしかアクティブな思考が存在しない。ゆえに、自分の考えていることに重心が傾き、確証バイアスや自己正当化が合わさり、自分の視点を世界の正解だと思い込むようになる。(自己中心バイアス)

最後に、自分は思い込みにかかっていないという思い込みも存在する。
心理現象でちゃんと盲点バイアスと名前がついている。

他人のバイアスは指摘できるのに、自分の認知のゆがみには気づきにくい。だからいつまで経っても改善しないこともあるし、時間が経つほどに、バイアスが深まる。

気付けば末期。

そうして、溝が深まる。
心理学的に見ても、溝ができることは、幾つもの思い込みや、心理現象によって、誰にでも高確率で起こることだとわかる。


だからこそ、私たちは強制的に理解できる共通点を作れる芸術を甘く見てはならない。

そこから、「あれ?変わらんくね?普通じゃね?」という疑問が湧き出て、これまでかかっていた自分の中の思い込みを壊せる。

そこから、相手への理解がはじまる。


アートと正しい伝え方の違いは、
情報の共通化に収まるか、
認知全ての共通化に収まるかだと思う。


まとめ

てなわけで今日はここら辺にしようと思う。

今日伝えたかったのはこんな感じ。

  • 文章では100%伝わらない → だから「伝え方」が超重要

  • 人によって世界の見え方は違う(ヤーコプの「環世界」)

  • 対象(モノ)と、意味づけられた世界(認知)は別物

  • 冷凍パンですら、見る人によって認知が違う

  • この世界には2つある:

    • 対象界:ただ存在してるもの(物理的現実)

    • 認知界:自分の感覚・経験で構築された意味の世界

  • 正しく伝えるには、「誰にでも同じように意味が伝わる」ことが条件

  • 芸術とは、対象が人の認知まで動かすもの(=共通の意味を生む力)

この対象が、あなたの世界を変えるきっかけになれば嬉しいです。

それでは次も読んでみてくださいな。


正直、書いた私も、たぶんまだぜんぶわかってない。
未知のことだったり、不確かなことばっかり。

でも、ちょっとずつ確かめたくて、他にもいろいろ書いてる。

フラフラした逃避行みたいな文章です。

よかったら、足跡をたどりながら散歩するみたいに、読んでってください。

それではまた。


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