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今の若者が行動できない二つの圧力。

今の若者は
 やりたいことがない、
 夢もない、
 言われたことしかやれない。

散々な言われよう…
なんだけど、否定できない現実。

私自身、そういう人間だったなぁと思う。

中学校が嫌になって不登校を始めるまで、2年半、自分から何かやりたいと思って行ったことがない。

誰かに誘われたり…ってことばっかりです。

ではなぜ、今若者のやりたいことがないんでしょうか?

若者の性格が変わった?

でも、こんな短期間で生物的に若者が変わったわけないし、、、

だとするならば、若者を取り巻く社会に問題があるんじゃ…?

そう考えた私は、経験を思い返してみたり、本を読んでみたり、私なりに考えたり、人と話して探してみて考えて考えて考えてみると….

どうやら目に見えない「二つの圧力」があることに気づきました。


1. 横の圧力:空気を読み、逸脱を許さない集団の引力

一つ目は、同世代や身近な集団からかかる「横の圧力」です。

これは、わかりやすく言えば「同調圧力」。みんなと同じでなければならない、という強烈な力です。ちょっとでもレールから逸脱しようとすれば、集団はそれを阻もうとします。

具体的には「冷笑文化」です。
何か新しいことを始めようとしたりすると、「どうせ無理でしょ」「また意識高い系かよ」と笑い飛ばす空気。

この冷たい視線が、私たちの熱意をガリガリと削っていくんです。私たちは、集団の中で浮かないように、波風を立てないように、自ら思考を停止していく。

集団の中で互いに裏切らないようにしがみついている現状です。


2. 縦の圧力:子供を管理する「大人」という壁

二つ目は、親や社会といった上の階層からかかる「縦の圧力」です。

これは、私たちの行動や新しい挑戦を阻む力です。なぜこんなことが起きるのか? それは、社会や家庭の中で、大人と子供が「管理する側」と「管理される側」という立場で完全に固定されてしまっているからです。

その根底にあるのは、大人が「自分の子だから」「教える側だから」という理由で、子供の話を聞くことを、まるで当たり前の権利だと勘違いしていること。

学校という場所もそうです。生徒は黙って先生の話を聞くべき、先生は尊敬すべき、という価値観のもとに出来上がっている。結局のところ、ここでも先生が生徒を評価し、管理し、もはや査定する側に、そして私たちが「される側」に分けられている。

そして、親を含む大人たちは、私たちがまるで自分の所持物やロボットであるかのように接してくることがあります。だから、中高生の私たちが不登校になると、「なぜ言うことが聞けないんだ」「ならこれくらいやれ」、不登校になろうとするならば「これまでできてたじゃないか」と、とても乱雑な言葉を投げてくる。

でも、私たちはそんな単純な存在ではないし、親の所有物でもなければ、親とは一人の他人同士です。

この構造がある限り、縦の圧力は決してなくならない。


その結果、どうなるのか。

この二つの圧力は、私たち若者が社会的な集団、たとえば学校に入った少なくとも6歳から、ずっと受け続けることになります。

そんな環境で何年も過ごしたら、私たちはそれが「当たり前の社会のルール」だと感じ、無意識のうちに内面化してしまいます。

1. 内面化された思考停止と心理的ハードル

「みんなと違うことを言ってはいけない」「大人の言うことに逆らってはいけない」 この圧力を長年受け続けると、私たちは「やりたいこと」そのものがなくなったり、誰かから命令されないと動けない、という状態に陥りかねません。

結果として、これらの圧力が私たちの心の中に「心理的ハードル」を築き上げ、新しい行動を起こしにくくなってしまう。私たちは、行動する前からすでにブレーキを踏んでしまっているんです。

2. 「どうせ自分には無理」という諦め

さらに、この管理側と管理される側という垣根が完全に固定され、その認識が内面化されると、非常に恐ろしい結果が生まれます。

それは、「自分が社会を変えたり、何かを成し遂げたりすることができる」という認識、つまり自己効力感がなくなってしまうことです。

実際、日本財団の調査では、「自分の行動で国や社会を変えられると思うか」という質問に対して、「そう思う」と肯定的に答えた若者の割合は、日本が調査対象国の中で最も低かったという結果が出ています。

私たちが「どうせ自分には無理だ」「社会は変えられない」と諦めてしまうのは、私たちの能力が低いからなんかじゃない。この強烈な二つの圧力によって、「自分の頭で考えること」や「自分の人生のハンドルを握る権利」を、長年にわたって奪われてきた結果なんじゃないでしょうか。


考える権利を取り戻そう

では、どうすればこの状況を乗り越えられるのか?

私たちがこの強大な圧力から解放され、自分の本音や考えを真面目に考えてもいいと思えるような「場所」を作ること。これこそが、解決の糸口になると思うんです。

この場所は、まるで失われた主体性を取り戻すための「リハビリの空間」です。

  • 自分の意見や考えを出してもいいんだ。

  • 自分の人生は、自分で決めていいんだ。

こうした、ごく当たり前の考え方を取り戻すことが、何よりも重要です。

少なくとも、誰からの縦や横からの圧力からも解放された空間が必要で、そこで自分の考えや意見を誰かに話すという行為は、私たちが失ってしまった主体性考える権利を取り戻すための、最初にして最大の機会となります。

だって、考えることこそが人間の最も原初的な行為であり、そこから全ての行動が始まるんですから。その根本的な行為すら失われているのが、今の私たちの置かれている現状なんですよ。

そして、大人の方がにはぜひ、私たちを「小さな大人」と考えて欲しい。

大人たちに必要なのは、子供を「管理の対象」として扱うのをやめることです。

私たちは、言ってみれば「小さな大人」という存在です。

つまり、一人の人間として私たちを扱い、決して大人が管理できるモノではないと、心底感じさせること。

そして、私たち若者自身も、長年かけて内面化してしまった「圧力のルール」を解き放つこと。

それは、私たちが圧力から解放された空間で、誰かと対話し、承認されるという経験によってのみ得られるものだと、私は確信しています。

私は不登校になったことによってこれに気づくことができました。でももし不登校になってなかったら、12年間その環境にどっぷりとハマり、気づけば芯まで染まってたと思う。

解放された私は今、リハビリ中です。

自分の人生は自分のものであり、
考えたり動いたりすることそのものを否定してはならない。

自己決定権や言論の自由、思想及び良心の自由として憲法で保障されてるんです。

そのために、不登校になってる間でたくさんの方とお話しさせていただき、学生だけの対話イベント、学生ゆるっとトークにも参加してます。
11/8に、オンラインで「学生ゆるっとトーク」があるので、学生の方は
ぜひ参加して、デトックスしてみませんか?

ちょうどテーマは「教育」。

私も参加します。
周りの若者はどう考えているのか話して聞いてみたいです。

よければ参加してみてください🙇
(私のイベントじゃないけど普通に前回良かったから推し)


結論:考える権利を取り戻せ

私たちが求めているのは、与えられたレールの上を歩く優等生の自分なんかじゃありません。

自分の頭で考え、違和感に「おかしい」と声を上げられる自分です。

私たちはもう、誰かの所有物でもなければ、管理される側でもない。 私たち自身の未来を、私たち自身の手で切り開く。 そのための第一歩は、この社会に蔓延る「二つの圧力」から、まずは自分の思考を解放すること。

そのためには、それらの圧力が関係なく、一人の個人、一人の人間、一人の他人として話す場所を作らなければならないなと感じた今日この頃です。

風山ふみ

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ふみ|元不登校高校生の奮闘記 もしよければ15歳にお小遣いをあげてやってください。 いただいたお小遣いは挑戦と本に使います。