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元不登校の私が、不登校の子を持つ親に伝えたいこと。

「学校に行けない。」

学校にいきたくないんじゃない。
行けない。ただ学校が辛い。

道化師になった気分だ。
周りと会話するためには、いつもより明るく振る舞い、軽い言葉を使いま来れば擬態できる。

でも私ではない。

戻ればまたイジメられる。
まだ成長期がこないから反撃できない。


だから私は不登校になりました。
かなり辛かった。
現在は学校に通っています。決して良いものでは無い。

だけど、その経験は珍しいものであり、今もそれに頭を抱え、だれになにをどうすればいいのかわからない人がいる。

今日は不登校になった経験から、そんな子どもを持つ親に向けてお話したいと思います。


そもそもイジメはする側がイカれてる

イジメの話です。関係なければ飛ばしてください。

そもそもイジメは、する側がヤバいです。

イジメには、被害者と加害者がいます。

大抵被害者が学校に通えなくなったり不登校になったり、学校に通えるようになっても保健室からスタートします。被害者のほうに不利益が被るようになっているんです。

でも、イジメが起きるのは、いつも加害者に理由があります。

それは大抵、
「毎日が面白くない」
「娯楽がない」
「家で誰もかまってくれない」
「もう将来が見えない」
「家でストレスが溜まってる」
のどれか。

つまり、「加害者が幸せではない」が理由です。

これは加害者側の問題であって、周りに被害を広げるべきではないし、ましてや誰かを傷つける理由にはなりません。

大人のあなたは、「ダメなことくらいわかるだろ」と思うかもしれませんが、学生はまだ論理的に考えたり、自分で自分をコントロールする能力が育ちきっていません。友情表現だったという場合すらあります。

なので、「幸せではない」「楽しくない」という理由がイジメになります。加害者がおかしいわけです。

ヨーロッパでは、イジメが起きた時、「加害者がヤバい」と判断されて精神科医のカウンセリングを受けさせます。その子がどんな不満があるのか。家庭環境は大丈夫なのか。そういったことを解決しようとします。

そもそも、「俺の人生は幸せに満ちている!」ってやつはイジメするヒマありませんし、やりません。


つまり、イジメは加害者に問題があるのであって、被害者が正常です。

被害者が負けたのではありません。
被害者が弱いのではありません。
被害者が劣っているのではありません。
被害者がおかしいのではありません。

これだけは絶対です。

被害者が正しいから、イジメを受けるんです。
「被害者がダメではない」と知ってください。


あなたはいつも通りでいてほしい。

子どもが不登校になってしまったら、その子は優しい子だ。優しいから誰かをいじめることもなく、自分の中で抑え込んで、破裂してしまった。

そうして破裂してしまうと、その子はとっても繊細になります。

誰が敵かわからないから。怖いから。

いじめの理由はさっき書いた通り、意味のわからないものです。

そして、イジメの最中にそれに気づく余裕はありません。

イジメをされた子は、「なぜかイジメられた」と認識しています。何もしていないのに攻撃されたから。

そして、これまで危害を加えてこなかった人も信用しなくなります。顔色を伺うようになります。

親も例外ではありません。
迷惑をかけたくない、という思いも重なり、親の機嫌を敏感に感じ取ります。感情を隠すのはかなり難しい。隠してるつもりでも言葉の節々から感じ取ります。

もし、感情を隠そうとしているなら、それは赤いサングラスをつけた状態で白とピンクを見分けようとしてる状態です。いつか間違えます。

あなたがイライラし始めたら、子どもは「自分のせいだ…」と思い詰めていきます。

だから、あなただけでも本当の味方でいてください。
話そうと決心したときに、話を聞いてあげられる人でいてください。

「明日も休むのか?」とか聞かなくて大丈夫です。
「私は味方だからね」はプレッシャーになります。
顔を合わせたくないなら、手紙でやり取りしてください。

「なにかあったら、1階に手紙の紙飛行機を投げてください。」

とかで大丈夫です。

できるだけあなたは、普段通りでいてください。


話し合いは子どもに気づかれないように。

もし、夫婦で相談するなら、夜中できるだけ小さな声でお願いします。外の店なら万全です。

私の両親は、在宅ワーク社長&事務作業(在宅)です。
なので、時々昼ご飯を外に食べに行きます。私が不登校になったときには、私の分だけ作って食べに行っていました。私は顔を合わせなくてよかったので助かりました。

あとから、「夜中と外食行ったときに相談してた」と聞きました。
本当に助かった。

正直、母は完璧だったけど、父が焦ってたのが伝わって、ちょっとイライラしたけどね。でも、ありがとう。



3つ目の居場所を作る

子どもの環境は2つしかありません。家と学校です。

ほとんどの時間をこの2つで過ごします。

不登校になると、家しかなくなるわけです。

その他にも学校の友達の家などもありますが、不登校になるとそのつながりも少なくなります。なので実質的に家のみになります。


まず家の安心できる環境を守りましょう

先ほど「あなたはいつも通りでいてほしい」と書きました。

それは家が安心できる環境を保つためです。

家がダメになったら安心できる場所がなくなります。

地獄です。
布団の中だけが自分の安心できる場所になります。

布団のなかだけが居場所になるとガリガリ心が削られていきます。
自分の心を足場にしてなんとか生きる状態です。

なので、不登校になり、周りに居場所がなくなったら、子どもは脆い。

なのでまずは家の安心できる環境を保ってあげてください。そこで少しずつ回復していきます。


次に、子ども主体で第3の場所を探します。

そうして精神が回復してきて、学校に行けずともなんとか顔を合わせたり、動けるようになっても、学校を急かしてはいけません。

学校のそのものがトラウマになっているかもしれないからです。

本人が「学校に行ってみる」と言うまでは急かさないほうが良いでしょう。あとで説明しますが、「子ども主体」と「子どものために」は別物です。

そのうち「変わらなきゃ」と思い始めます。

その時に、親は「学校以外の場所がある」と言えてほしい。

今は「フリースクール」など、学校以外にもいろんな場所があります。

その中でその子が楽そうな場所を探してみましょう。とにかく学校以外の目的のない自由な場所を探してください。

どこが安心できるかは人によって違います

不登校友達は同年代の人がいない場所のほうが安心できるみたいです。私は同年代の人がいるほうが安心できました。

学校か、家かの二択は、どちらかが潰れると辛くなります。

3つ目の居場所を作ること。

どこか、家と学校以外の「避難場所」があれば強くなれます。

私は「いざとなればここにくればいいや」と安心できる場所ができたので、学校に行けるようになりました。命綱みたいなものです。

今も月1〜2日ほど休んでフリースクールへ行っています。私の避難場所であり、安心できる居場所です。


子ども主体と子どものためは全くの別物

子ども主体と、子どものためは全くの別物です。

ここをごっちゃ混ぜにしていると、トラブルが起きます。


子ども主体とは、子ども自身の意思

まず、子ども自身の「〇〇したい!」が子ども主体です。

中心に子どもを置いて、子どものやりたい!を実現するために、大人が障害をどけていくことです。

子どもは大人よりもできることが少ない。

大人のように発言力もなければ、大人のように金もないし、契約もできない。だから、大人を頼り、少しずつ大人になっていくほかありません。

もしフリースクールに行きたくても、親が運転する車が必要だし、お金も親に出してもらう他ありません。

逆に、大人が環境さえ整えてくれれば、子どもは勝手に行動し始めます。材料と環境がないだけなんです。

だから、やりたい!をしっかりと聞き取ってほしい。
それを、できるだけ実現してあげてほしい。

子どもはいつか前を向くので、その時をないがしろにしないでくださいね。

これは大人にしかできないことなので。

あとは頼みます。


子どものためは、親のエゴ

次に「子どものため」です。

ハッキリいいます。
これは親のエゴです。(すみません…)

子どものためになることを奮闘しても、それは親の知っている限りのことです。これまでに歩んできた人生、もしくは、自分が叶えられなかった人生をなぞるだけです。

つまり、すでに敷かれているレールの上でしかない。

それに加え、親が学生だったときは少なくとも10年前。

10年もあれば、学校どころか社会はガラリと変わっていて常識は通用しません。あなたが学生だった頃のルールはもう廃れています。

「子どものため」は、親が考えた「未来で有利になるために必要なこと」であり、「子ども視点からの必要なこと」ではありません。

アドバイスぐらいなら大賛成ですが、レールを親が敷いてその上を走るだけなんて何が育つのでしょうか。


親の思いが空回りしまくって、中学受験でぶっ壊れて病んだ友達がいます。

子どもに押し付けるもんじゃないです。

これが行き過ぎると子どものことがパチンコ台みたいになってきます。

あれです。

「こんだけお金かけてんのに、
なんで返ってこない(成績伸びない)のよ!
バーン!!!(台パン)」

ってやつです。

で、伸びないからどんどん、かける金の量を増やして

「こんだけあれば足りるはず….」

思ったよりもパチンコですね。恐ろしや。


そこらへんをよく考えて、本当の「子どものため」を考えてみてください。


学校は行かなくてもいい

私が書くのはこれで最後です。

そもそも、学校は行かなくてもいいというお話です。

というのも、学校のシステムってだいぶ前に確立されているんですね。今の学校の仕組みが大まかにできたのは、「産業革命」のときなんです。

で、産業革命のときって資本主義もできたじゃないですか。
だから、学校にはそこらへんがめっちゃ含まれています。

その中でも面白いが、学校には監獄の仕組みが流用されているって話です。

パノプティコンっていう監獄を聞いたことはありますか?円形の監獄なんですが、ここに入った囚人は自分から服従を選ぶんですって。

これがパノプティコン

なぜパノプティコンなのか。

それな学校が、主に2つの目的があるからです。

一つは、”主体的に考える力、学ぶ力を育てる”こと。

これからを生きるために、主体的に学習できる人間を育てることが学校の一つのミッションです。

つまり、自分からガツガツ成長する主体性を育てようぜ!ってことです。


2つ目は、”他人と歩調を合わせて協力し課題を解決する力を育てる”こと。

つまり、協調性を育てようぜ!ってことです。


この2つは、矛盾している。

だから両方均等にってわけにはなかなか行きません。

そして、この2つには大きな違いがあります。

それは、主体性が個人、協調性が集団ということです。

あなたは、主体性が集まると「主体性の高い集団」になると思いますか?

私はならないと思っています。もしなっているのであれば、それは「主体性」ではなく「自主性の高い集団」です。

自主性は他人に決められた範囲のなかで自分で動くということ。

決められた有限な範囲の中、全員が自分で動くと、当然衝突が起きます。衝突していくうちに、「絶対にぶつかるな!!」を叩き込まれます。
つまり、自主性は協調性の一つです。

なので、主体性が集まると「協調性よりも主体性」になるので、あまり集団ではありません。各個人が、いろんな分野に飛び抜けていきます。


ですが、協調性も育てたい学校。
というか、協調性のほうが育てたい学校

こうして、

主体性のある子ども VS 協調性を育てたい学校

のバトルがスタートします。

疲れてきた文の遊びにお付き合いください。

かぜ:え〜このバトル、実況のかぜと、

ふみ:解説のふみでお送りします。

かぜ:まず学校側が攻撃にくる!
なんと、一つの協調性の高い集団を作ってしまったぁ!!
どういう狙いがあるのでしょうかふみさん。

ふみ:はい。主体性のある個人を、自動的に協調性を重んじる集団に潰される仕組みができていきます。これにより協調性派をどんどん増やすつもりでしょう。少しずつ陥落させていきます。

かぜ:お〜っと!ここで、協調派に潰された子が、先生に褒められています。

ふみ:お前は正しいと評価していく。なるほど、上手な作戦です。寝返りを防止しているのでしょう。

かぜ:さぁどんどん協調性派が増えていく!!もう主体性派は少数派だ!

ふみ:いや!もうすぐ次の学期が始まります!このときに主体性派が多ければまだチャンスはあるでしょう!さぁそこまで持ちこたえられるか!

かぜ:あともう少しで来る!さぁ…..来たッ!!次の生徒が来ました!

ふみ:いや!!!次の生徒全員が協調性派です…
まさか小学校まで手を伸ばしていたなんて…
四面楚歌。負けです。

かぜ:ここでゲームセッ!今回は協調派が勝ちましたね。

ふみ:そうですね。協調派は互いに見張り合って、主体性の芽を潰し合うのも特徴としてあります。それが裏切りを防止したことが大きいですね。


誰かが飛び出さないように全員が監視し合うという構図が出来上がり、それを正しいと教える。

これが、学校版パノプティコンでした〜

ちょっと極端な例をお見せしましたが、実際学校にはこういう同調圧力が結構あります。他にも産業革命の時に工場のシステムを流入させたり、戦争で追加された仕組みもあり、結構生きづらい空間です。

そんな場所で子どもは育つべきなのでしょうか。
行けなくなってもおかしくないし、なんなら行かないほうがいいのかもしれない。

わたしは学校を勉強する場所と決めています。
つまり、主体性ブッパ。

授業中に勝手にパソコンを開く時さえあります。
自分の知的好奇心のままにわからないことを調べまくります。
でも、わたしはそっちの方が勉強できる。

そうやって人間関係というか、協調性とかをごちゃ混ぜにしてもあまり教育をする環境としてふさわしくない。

だから、勝手に切り離してます。

というか協調性なんて学校で学ばなくても、色んなことしてれば育つんですよね。育たざるを得ないというか。人間は協力してここまで社会を作ってたんだから。



今、フォルケホイスコーレという学校が巷で噂されてます。

どんな学校かというと
「自由な学びで、生徒の探究心を育てる」みたいな感じです。

わたしはこの取り組み面白いなぁと思っていて、日本で定着するのはまだまだ時間がかかりそうですが、見にいきたいなぁと思っています。

なんなら留学してもいいかもしれん。

そういう風が吹き始めてるってのは覚えといてください。
いつか、あなたの子供が必要になるかもしれません。



まとめ。

以上、不登校になったわたしが、不登校の子を持つ親に伝えたいことでした。

まとめるとこんな感じ。

  1. イジメ被害者は、優しい子。負けたんじゃないし、悪くもない。

  2. 子どもへのイライラを見せるな

  3. 話し合いは親同士&子に気づかれないように

  4. まず、家の安心できる環境を保つ

  5. 次に、子どもの避難場所となる第3の居場所を作る

  6. 子ども主体のスタンスが大切

  7. 子ども主体は、子ども自身からのやりたいこと

  8. 子どものためには親のエゴ

  9. 学校の仕組みは、監獄っぽくて結構しんどい
    行けなくてもおかしくない。

子ども主体から下は、どっちかというと教養です。
行動ではなくて、根本にある考え方です。

以上、風山ふみでした。

またね

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ふみ|元不登校高校生の奮闘記 もしよければ15歳にお小遣いをあげてやってください。 いただいたお小遣いは挑戦と本に使います。