最後は何を信じるか
事実は一つしかない。
というか、起こっている状態は一つしかありません。
残酷なことに。
ええ。
残酷なことに。
それなのに、みんな違う出来事に見えてるのはなぜ?
そうですね。
立場が違うからですね。
受け取るものが同じでも、受け取り方が違うからですね。
こうやって一人一人が認知し、何かを知るときの、知り方、見え方ってのは人ぞれぞれで全く違う。
一つのことしか起こってなくても、
見え方がちがうから、
その人の世界に映し出される「真実」が違ってくる。
そうそう。
人は真実が本当のことだと思うけど、
真実は、
事実(起こったこと、見る対象)に
個人の意見とか、感想とか、解釈を加え、
みていないことを予想してこうだ!
と、事実以上のことを思考した出来事。
だから、当然、事実とは違ってくるわけ。
私は、このただ一つだけの起こっている事実だけの世界を「対象世界」
それを受け取って個人個人の解釈で映し出されている世界を「認識世界」
と考えている
認識世界には、その人にとっての真実だけがある。
でもそれは、ただ一つだけの、起こっている事象、認識してる対象だけの世界の「対象世界」との隔たりが往々にしてある。
つまり、その人にとっての真実は、全てを知っている神如き存在からすれば事実じゃない。
対象世界のあるがままの姿に近づいていくのが科学、学問で、それは時々、信じがたいことを事実だと言う。
簡単なことで言えば、神の存在。
もう存在しない、ただ人々の心が求めた偶像だと、科学はいった。(もちろん科学にも色々あるけど)
その瞬間、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教などこの世の宗教は嘘になった。
対象世界に、神はいない。
対象世界に、仏はいない。
対象世界に、私たちが信じていた何かはいない。
それでも、宗教は無くならない。
なぜか?
信じているからだ。
神を、
私たちの理想を。
事実と違っても、
まだ忘れられない
私たちの妄想を。
事実は時に傲慢だ。
事実以外の全てを無に返す。
これまで正しいと思われていた旧事実を、全て白紙に戻す。
事実は時に残酷だ。
事実をしれば、
わずかな希望が見せてくれていた
天国が消える。
神が死ぬ。
信仰がなくなる。
わけではない。
それを信じる人間にとって
事実は事実でしかない。
事実は事実以上の意味を持たない。
事実は、確かにあるだろう。
それが正解なのかも知れない。
でも、その事実がどれだけ事実であろうと、その姿が本当であろうと。
その人が、真実を信じる限り、真実は消え去らない。
なぜなら、事実すらも、真実と筋が通るように歪めるからだ。
それを、その人にとっての真実にするからだ。
でも私はそれが間違っているとは思わない。
というか、最終的にはそうなっていくと思う。
なぜなら、事実は一つしかないが、見え方はいくらでもあるからだ。
一つの出来事に対しても、
起こっていることが一つでも。
それの捉え方はいくようでもある。
科学の分野もでも色々だ。
例えば、物質を熱力学的で見ることもできれば、量子力学的に見ることもできれば、数学的に見ることもできる。
そして、それぞれの視点で、出てきた情報は違う。
だが、事実は一つであり、
真実は事実の多面的な見え方に過ぎない。
どれが正しいとかではない。
どれも正しい。
だが、何かについて語るとき。
どちらの見え方がより、事実を明確に、正確に、大規模に見えているかを決める時。
つまり、一般論や正解を作るとき。
私たちは立場に分かれて、闘う。
より正しいと思う方を、
より正しいと思わせ、
正しい真実にするために。
では立場に分かれるときは?
その時は、信仰だ。
自分は何を信じるかだ。
生物の種は、特にそれが強いらしい。
最近、分類思考の世界って本を読んだ。
かなり難しいから完全に理解できているわけではないが、そこではいろんな論が出ている。
種の分け方で現在正解とされているのが生物学的種概念で、
自然条件下で交配し、子孫を残せる個体群を同一種とみなすらしい。
つまり、
オスメス入れといて、
そいつの子同士が
孫産んだら同一種ってこと。
でも、矛盾点がある。
アメーバは生殖せず増えるとか、
例外などいくらでもある。
だから、今もなお、種概念は結構まちまちで、人それぞれの立場や考え方がある。
そして、それを信じてる。
昔、学会で「種よ安らかに眠りたまえ」と言った学者がいたそうだが、
主いるだろ派から大ブーイングを受けたらしい。
まとめ。
まとめると
科学の世界でも信仰だ。
事実が一つなのに、
真実はいくつもあり。
その真実が事実を歪め、新しい真実を作る。
時には、すべての真実が正しいが、
より事実に近い方を決める際に、
自分の真実の信仰を明らかにしなければならなこともある。
まぁ。
最も事実に近い真実を決めたところで、また信仰バトルが起きる。
だから、立場を表明しない。
知らない。と言う立場であることも一つの手段。
どれがいいかは、一人一人の判断。
これを他人に委ねると詐欺だし宗教。
こうしたらいいとは言えないが、
こう言う考え方と選択肢があるよねってことを共有して終わります。
じゃあね。
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