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「言われた通り」を求める教育はもう古い?

こんばんわ。
風山ふみです。

私は今不登校いなっているのですが、毎日が学校に行っていた時よりも数倍くらい気楽で楽しくて、刺激的です。

それはただゲームをしているから、
というわけではありません。(そんなんだったらぶん殴ってください笑)

空いた時間で、いろんなことを初めているからです。

例えば、AIを使って自分だけの読書記録サイトを作ったり。

新しいイベントを立ち上げ、他のイベント運営に参加したり。

noteで新しくメンバーシップを立ち上げてみたり。

余白があるからこそ、周りからのお誘いに乗ることができます。

今日は、学校で先生全員が教育を考え直してしまうような上映企画を教えてもらいました。

これはまだ始まってなくて、
その相談された方が「ふみさんの学校できないか」ということで教えていただきました。私はもう直ぐ卒業ですし、その集大成としてとんでもなく面白い企画がやってきたなと思っています。

そして、自由研究のように自分なりに学んでみたのもその一つ。

私が最近ハマっているけん玉(これも休んだからできた)で、理科のテスト範囲を全部学んでやるっていうチャレンジです。
先日、その理科のテストが返ってきました。

点数は80点。

余裕で平均点を超えて、なんなら高い方です。

つまり学校で机に座って真面目に先生の話を毎日聞いているより、たった1日の自由研究で興味のまま一気に学び切った時の方が点数が高いということ。


ん?

もう、意味がわからん。

学校で頑張って勉強して、80点取った方はおそらく私をぶん殴りたいはず。

だって、ワーク埋めて、あとは1日の自由研究だけですよ?

てことは、おそらく今回の学び方は私にとってめちゃくちゃ効率がいいってことになる。(普段、毎日授業聞いてた時より点数が高いから)

となると、やはり個別最適な学びはあるんだ。

どうやら調べてみると、心理学や脳科学の研究が個性はある

例えば、心理学者のガードナーが提唱した「MI理論」ってのがある。
それによると、人間の知能は8つが重なっているけど、得意なのは2つか3つらしい。

その8つを挙げてみよう。

  1. 言語・語学知能

  2. 論理・数学的知能

  3. 視覚・空間的知能

  4. 音楽・リズム知能

  5. 身体・運動感覚知能

  6. 博物学的知能

  7. 対人的知能

  8. 内省的知能

こんだけある。
しかも無理やり線を引いて分類したんだから本来はグラデーションみたいに、区別なんて到底つけられっこない。

大枠で見て8つってだけだ。

それなのに、全員同じ学び方をしてるってこと?

合わないに決まってるじゃん。

てことは、個々で最適な方法はあるのに、学校では1種類しかないってことだ。


しかも、めちゃくちゃヤバいのが、先生が教えている授業しかやってこなかったら自分で学べない子供になってしまうという問題。

学びを「成功する法則性を見つける」とすると、遊びの中にも無限に学びがある。

鬼ごっこしてたら、早く走る方法や、そもそも見つからない方法、鬼なら相手の動きを予想する方法や、連携して追い込む方法を見つけれる。

かくれんぼなら、相手の意識しない場所や、体をその場所に合わせた形に動かす方法とか、隠れる場所を見つける観察眼、探す人は、異変を見つけて、残ってる人の場所を推測する力。

図鑑読んでたり、
紙飛行機作ったり、
折り紙したりする中でも学びは無限にある。

そして、子供はそれを自発的にどんどん学んでいく。


ただ、小中高と計12年間×毎日5〜7時間、先生の話を聞くだけだったらどうなるか。

多分、「教えてもらう以外の学び方」を忘れてしまう。

というか、そもそもの話なんだけど、学ぶことが嫌になってしまう。

だって自分の知りたいことを学ばせてもらえず、
将来役に立つかもわからない数式を叩き込まれ、
自分のやりたい気分になってきた時にチャイムがなり、
好きなことをしていれば3社懇談でおこられ、
「未来の選択肢が狭まるぞ」という定型分的な脅しが飛び交う。

こんなところに12年間だ。

現にテスト終わって、「勉強から解放された!」なんて言ってる。


つまり、今の教育だと、勉強することそのものを嫌いにさせてしまい、人生の大半である18歳からの60年間学ばなくなってしまう。

いやどう考えてもさ、
60年間生涯現役で学ぶことを愛せる人を育てるべきじゃん。

それが目先の「経済」のために詰め込んでさ。

しかも、詰め込んで卒業時に「完成品」をつくる教育は、高度経済成長期にしか適していない。

なぜなら「完成品」とは、忍耐強く命令の通りに動く人間だからだ。

今、教育が問題視されているのは「失われた30年」と呼ばれように、日本社会が不調だからだ。

社会が潤っていて、お金がバンバン稼げたなら、そのうまく回っている社会の根本である教育で育って人のおかげなのだから、好印象を持つ。

逆にうまく社会が回っていない時には、その根本である教育を疑い出す。

つまり、学校の評価はその時の社会がうまく回っているかという観点で行われがちだ。


今の教育は、明治維新の時に一気に輸入され、その時の富国強兵的なアレンジと、戦時中の兵隊アレンジによってできている。

そして、高度経済成長期の「作れば作るほど売れる時代」において、忍耐強く命令の通りに動く人間は、量産しまくれたから「いい教育」と捉えられていた。(もちろん、疑問を呈した教育者もいるが。) 

これまでは、忍耐強く命令の通りに動ければよかった。

だから、「いやでも頑張って勉強しなさい!」なんて言われて、嫌なことでもこなす忍耐力と、言われた通りにやる従順性を育てていた。


だけど、今はモノで溢れかえる時代だ。

作れば作るほど、売れるというのは幻想になった。

車は昔は「ある家」の方が少なかったが、今は今は「ない家」の方が少ない。なんなら2台持っている家庭もある。

スマホなどの情報機器も、「持ってる人」の方が少なかったが、今は「ない人」の方が少ない。なんならGIGAスクール構想によって、パソコンが配られ、自分のスマホも持っている人が多いから、小中学生でも2台ある。

そして、情報も飽和した。
昔はラジオやテレビ、新聞が主な情報源だったが、今は文字も動画も音も画像も溢れ返り、毎月990円払えば、映画が見放題だ。お金を払わずとも、youtubeをはじめとして無料でたくさんのコンテンツがある。noteもその一つだ。


こうして、産業主義(作れば作るほど売れるという考え方)は、今になっては脱却すべき考え方になった。

むしろ、新しいものを見つけたり、作る力の方が求められる。

そして、「大量生産」というゴールが失われたことによって、命令が邪魔になり、みんなでゴールを探しにいくというスタイルがスタートアップ企業などから広まりつつある。

つまり、アクティブで素早い行動力と、自ら考え発言する主体性が求められている。

嫌なことでもこなす忍耐力と、言われた通りにやる従順性は必要ではあるが、2番手3番手になってきている。


それなのに、いまだに、教育だけは取り残されている。

研究で自分の個性があると判明した。

実験してみたらちゃんと点数取れた。

目指すべきものが変わり、
社会も変わり果ててる。

それなのに、160年間学校は変わらない。

日本はPISAの点数は高い。
だが一向に幸福度は高まらない。

ポーランドやフィンランドはPISAの点数は上位だ。
そして、幸福度も高い。

ポーランドやフィンランドは、今なお教育が変わり続けている。

日本も、変わらなければならない。
そろそろ、教育も時代遅れが露呈してきてる。


まとめ。

今日は、「教育が時代遅れ」という言葉から、こうしてその根拠を考えてみた。そして、個性と適した学び方があると、私自身の経験と研究から示した。

今日のまとめをしてみよう。

  • 趣味を使った自由研究で高得点が取れたのは、みんな同じ授業を受けるより、個別最適な学びの方が優れている証拠。

  • 脳科学、心理学化の観点からも個性は存在する

  • 人の個性は多様なのに、学校が全員に同じ勉強法をさせているのは非効率

  • そして生徒から「自分で学ぶ力」や「学ぶ意欲」を奪っている。

  • 高度経済成長期の「従順な労働者」を作る教育はもう時代遅れで、新しい時代に求められる人間を育めていない。

  • 160年間変わらない日本の学校教育は転換期に来ている。

学校に対する違和感は、もしかしたら学校を「休んだ」からこそ見つけられたのかもしれない。

ただ、こうしてその違和感を共有した。

なので、少し、未来の教育のあり方について考えてみませんか。

「ふみはここが甘い」
「めっちゃおもろかった」
「私はこんな教育がいいと思う。」
「わかる!!!!!」

なんなら私の反論でもいい。
論破するつもりでもいい。

教育について考えることは私たちの一つの権利です。
少なくとも、私たちが考えなければ変わりません。

教育に無関心であれ、無関係ではいられない。

だから一度、少し、
考えてみてほしい。

風山ふみ



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ふみ|元不登校高校生の奮闘記 もしよければ15歳にお小遣いをあげてやってください。 いただいたお小遣いは挑戦と本に使います。