「ひとりで育てなきゃ」は、いつから始まったんだろう|育児の悩み|共働き|核家族
日曜日の夕方、2歳の次男と近所を散歩していた🚶
次男は控えめに言ってもむちむちで、可愛い盛り👶
すれ違う高齢の方が「あらー、かわいいねえ」と立ち止まる👵
犬のお散歩中の人には次男から「ワンワンさわりたい!」と駆け寄り、交流がはじまる🐶
散歩の最後に近所のおにぎり屋さんに寄ったら、
メニューを選んでいる間にお店の人が次男の相手までしてくれていた。
なんだか心が、軽くなった。
自分だけで子育てしていない感じ、とでも言えばいいのか。
たわいもないことなのに、なぜこんなに軽くなるんだろう?
帰り道を歩きながら、ふと思った。
昔の人たちは、こういう感覚がもっと当たり前にあったんじゃないか?
孤育てって、誰のせいでもないんだと思う
「ちょっとだけ、子ども見ててもらえますか?」
この一言が、言える相手が何人いますか?
実家は遠い。夫は仕事が忙しい。近所のことはよく知らない。 公園に行けば他のお母さんやお父さんがいるけど、深くつながれているかというと……
正直、微妙だ。
この「軽く言える人がいない」感覚は、個人の問題ではない。
社会の構造がそうなってしまったのだ。
数字で見るとそれがよくわかる。
「夫婦と子どもの世帯」は1990年以降ずっと減り続けていて、2024年にはついに「夫婦のみ世帯」の数に逆転された。核家族どころか、子育てをしている家族そのものが少数派になりつつある時代だ。
地域のつながりも薄れた。
都市化と個人化が進んだ現代では、隣に誰が住んでいるか知らないことが当たり前になった。昔なら「ちょっと見ててもらえる」関係が、今はそもそも存在しない。
孤育てという言葉が生まれたのは、そんなに昔の話ではない。
誰かが悪いんじゃなくて、社会の仕組みそのものが変わった結果。
でも、だからこそ問いたくなる。
昔の人たちは、どうやって子育てをしていたんだろう?
江戸のパパは、子連れで街を歩いていた
調べてみたら、江戸時代の子育てに理想が詰まっていた。
江戸時代の浮世絵を見たことがあるだろうか?
そこに描かれている父親たちが、なかなかいい顔をしている。
子どもを背負って歩いていたり、肩車をしていたり、一緒に凧を揚げていたり。 「江戸時代のお父さん=仕事一本、子育ては母親に任せっきり」というイメージをあっさり裏切ってくれた。
江戸時代には、父親向けの育児本『父兄訓』まで出版されていた。
今でいう「パパ向け育児書」だ。300年以上前に、すでにあった。
なぜ江戸のパパたちは子どもと一緒にいられたのか。
理由はシンプルで、仕事と家が近かったからだと思われる。
農家なら田畑が家の延長にある。 商家なら店と住まいが一体だ。
朝7時に家を出て、夜9時に帰る、という現代のサラリーマン的な働き方とは、そもそも構造が違った。
仕事と家族が、物理的に近い距離にあった。
だから父親が子どもの近くにいることが、普通だったのかもしれない。
長屋は、子育てのシェアハウスだった
江戸の庶民の多くは、長屋に暮らしていた。
井戸とトイレが共同で、壁一枚隔てたら隣の会話が筒抜けで聞こえるような環境。 プライバシーとは程遠い。現代人には窮屈に見えるかもしれない。
でも、子育てという点だけで見ると、これが強烈に機能していた。
誰かが仕事で遅くなれば、近所の人が子どもの面倒を見る。
頼んだわけじゃない。「お互い様」という空気が長屋全体にあった。
今でいう一時預かりが、制度でも契約でもなく、自然に回っていた。
大家さんは店子(住人)を「子ども同然」として面倒を見た。
年配の住人が育児経験を惜しみなく分けてくれた。
長屋の子どもたちは、異年齢でまじりあって遊んだ。
しかも江戸の子どもたちには、「仮親」という文化もあった。
生まれたときに「取り上げ親」、名前をつける「名づけ親」、授乳を助ける「乳付け親」など、血のつながりに関係なく、複数の大人が「この子の親でもある」という意識を持って育てに関わっていた。
子育てを、親一人で抱え込まない。
その仕組みが、文化として根づいていた。
あのおにぎり屋さんのお店の人が、自然に次男の相手をしてくれたあの瞬間。 少しだけ、その感じに近かった気がする。
300年前の育児書が、今も古びない理由
1710年。貝原益軒という儒学者が、81歳のときに一冊の本を書いた。
『和俗童子訓』という、日本最初の体系的な育児書。
かいつまんで言うと
「小さいうちから、ちゃんと関わりなさい」
「子どもの発達に合わせて、教え方を変えなさい」 ということ。
益軒の言葉で特に印象に残るものがある。
「子どもが悪くなるのは、父母が教えるべき道を知らずに、悪いことを許して褒めてしまい、その子の本性を損なうからだ」
叱れ、ということではなく、「親自身が学びなさい」ということだ。
子どもと向き合う前に、まず自分が整いなさい、という話。
これを81歳の人が書いたというのが、また面白い。
80年間、人間を見てきた人の言葉。
この本はのちに寺子屋の教育に使われ、明治以降の小学校教育にまで影響を与えた。 ヨーロッパで幼児教育の重要性が語られ始めたのとほぼ同じ時代に、 江戸の一人の81歳の男が、同じことを言っていた。
「孤独な子育て」は、いつから始まったんだろう
散歩しながら、ぼくが感じていた「心が軽くなった」の正体は、
たぶん、これだ。
「子育てを、自分たちだけで抱えていない感じ」だ。
現代の子育ては、どうしても核家族の中に閉じやすい。 実家は遠い。近所に知り合いはいない。ちょっと子どもを見ていてほしいとき、気軽に頼める人がいない。
でも、これは個人の努力でどうにかなる話じゃない部分が多い。
社会の仕組みが変わったのだから。
江戸の長屋がよかったのは、仕組みがあったからじゃなくて、 「隣の子どもは自分も育てるもの」という空気があったからだと思う。
制度じゃなく、文化だった。
こうして少しずつ近所に知り合いが増えて、 すれ違うたびに「あの子、また大きくなった」と思ってくれる人が増えて、 みんなで育てている感じがしてきたら、どんなにいいだろう。
江戸時代の子育てが豊かだったのは、特別な制度があったからじゃない。
子どもが「地域の宝」だという感覚が、日常の中にあったからだ。
その感覚を、現代に少しずつ取り戻せたら。 一人で抱えすぎていると感じているなら、それはあなたのせいじゃないかもしれない。
あなたの子育てに、もう一人「仲間」を加えるとしたら、誰にお願いしますか?
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