【ほどく時間 #26】正論で守ったつもりだった
「物事に意味はない。
意味は、自分で見出すものだ。」
授業の中で、
何度も伝えてきた言葉だ。
失敗にも意味はない。
評価にも絶対的な価値はない。
出来事はただ起きているだけ。
どう解釈するかは、
自分次第だ。
僕は、
それを本気で信じていた。
落ち込んでいる子に言う。
「その出来事自体に意味はないよ。」
「どう意味づけするかは、自分で決められる。」
励ましのつもりだった。
前を向いてほしかった。
守りたかった。
でもいま思う。
その言葉は、
正しかったかもしれない。
けれど、
その瞬間の感情を
飛び越えていなかったか。
悲しい。
悔しい。
腹が立つ。
その揺れを、
「意味はない」という言葉で
早く整えようとしていなかったか。
正論は、
整っている。
筋も通っている。
だから強い。
でも、
整いすぎた言葉は、
まだ揺れている心にとっては
少し速い。
僕は、
自分の思想で守ったつもりだった。
でも同時に、
自分の思想に乗せようとしていたのかもしれない。
物事に意味はない。
いまも、そう思っている。
でも、
意味がないと理解するまでには、
時間がいる。
揺れる時間。
納得できない時間。
理屈では追いつかない時間。
その時間を
短縮しようとしていたのは、
僕だった。
正論で守ったつもりだった。
でも、
守るとは、
整えることではなかったかもしれない。
いまは、
正論を置く前に、
揺れを置く。
それだけで、
言葉の重さが少し変わる。
