邪馬台国に迫る|近畿説の限界~炭素14年代測定より
🏺卑弥呼の墓ではなかった?──最新の炭素14年代測定が描く新解釈
古代史の最大の謎、「卑弥呼の墓はどこにあるのか?」
この問いに、最新の科学が新しい光を当てています。
少し前に、日本産樹木の年輪データをもとにした放射性炭素の較正曲線「JCAL」が、国際基準である「IntCal20」と統合されました。これにより、弥生時代から古墳時代初期の年代測定が、これまでより正確に補正できるようになったのです。
🔬 新しい測定曲線が示す“時間のズレ”
この新しい較正曲線を使って、奈良の遺跡を再評価したところ――驚くべき事実が浮かび上がりました。
奈良・纏向遺跡は、奈良盆地に何らかの王権勢力が存在したことを示唆する、奈良最古の考古学的な遺跡です。これ以前には、王権勢力が存在したとされる物的証拠が見つかってません。『記紀』には、第十代・崇神天皇、第十一第・垂仁天皇、第十二第・景行天皇が纏向遺跡にそれぞれ宮殿を造営したと書かれています。
この纏向遺跡や箸墓古墳の出土物の炭素14年代を最新補正すると、築造時期は西暦280〜320年頃。これは『魏志倭人伝』に書かれた卑弥呼の没年(西暦248年前後)より数十年〜70年ほど後になります。今後さらに精査が進むことによって、纏向遺跡の実年代は「290-340年」となる可能性が高いです。その根拠は、纏向で最初に築造されたと見られる日本最初の前方後円墳「纏向石塚古墳」の築造年が「IntCal20」に照らして「280-310年」と見られること、「箸塚古墳」もその築造年が「295-315年」と見られるなど、纏向に王権が存在したとすれば、「290-340年」であったことが強く示唆されるからです。
箸墓周辺の布留0土器の炭素14年代は1800BPである。この1800BPをINTCAL20較正曲線で実年代(暦年代)に補正(変換)すると、AD250年頃と 4世紀前半(AD300~AD350年)の二つ候補があるが、4世紀前半の可能性がより高い。
つまり、卑弥呼が亡くなった時(西暦248年前後)には、奈良の巨大古墳はまだ存在していなかったことになります。また、第十代・崇神天皇が生没:紀元前148年~紀元前30年であることからも、この頃の神話自体が架空のお話ということになります。言い換えれば、第十代・崇神天皇、第十一第・垂仁天皇、第十二第・景行天皇の在位は、纏向遺跡の実年代=西暦290年以降でしょう。『日本書紀』や『古事記』が書かれた8世紀には、よもや1200年後に纏向遺跡が発掘されて真実が露見するとは思ってなかったでしょうね。
結論として、纏向遺跡は卑弥呼の在位期間と言われている「西暦182年~248年前後」より約100年新しいので、卑弥呼=邪馬台国の遺跡ではないことが証明されました。
以前、絹の痕跡から「近畿説の限界」に迫った記事を書きました。こちらもぜひご覧ください。
📚 結論:邪馬台国=近畿説は限界
新しい炭素年代の補正(JCAL×IntCal統合)によって、奈良の古墳は卑弥呼の没年よりかなり後に築かれたことが分かりました。
卑弥呼を倒した勢力が怨霊封じのために奈良に古墳を造営した…という可能性はゼロではないと思いますが、邪馬台国が近畿にあったという説自体は考古学的に限界です。これは今回の炭素年代測定以外に、弥生絹の痕跡からも補強されますので、確定で良いのではないでしょうか。ここから、日本の天皇家の歴史は、西暦290年あたりから開始されたと思います。それ以前は、大和政権以外の勢力が統治していたと考えることが出来ます。
そもそも『記紀』においては、なぜ邪馬台国を詳述しなかったのかと、なぜ天皇の生没年齢を非現実的な創作にしてしまったのか、この2つの巨大な「隠蔽工作」が露呈しました。やはり、以前から書いてきた通り、史料は「勝者の歴史」です。勝者に都合の良い内容に書かれ、敗者は存在自体が無視されたり、または悪人化・歪曲・誇張・捏造されるのです。
よって、『記紀』に書かれているから信じて良い、というのは盲目です。私が呂氏について、司馬遷の『史記』に書かれた隠蔽や嘘を暴いてきたのと同様に(※拙著ご参照)、『記紀』の内容は考古学的に検証して初めて裏付けが取れることになります。これだけのことが判明しているのに、未だに近畿説が根強いのは偏向も酷い(何か裏の意図があるのでは?)と思います。
拙著については、ぜひお手にとってご覧ください。電子本ではなく紙本をおすすめします。正直、紙本は利益がないのですが(汗)、電子本はレイアウトが望んだ形になっていないため、紙本をおすすめしております。
この記事の参考文献
宮崎泰史「纏向遺跡出土の犬骨について」
鷲崎誠二「炭素14年代:INTCAL20と日本較正曲線JCALの統合」日本古代史ネット(2023)
Reimer et al., Radiocarbon (2020)
森岡秀人「纏向遺跡の桃核年代再測定」『考古学ジャーナル』2022
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