呂不韋の企て
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本誌第648話
嬴政と呂不韋が再会しました。呂不韋のもとに人々が集まり、また何かを企てるのではないか。嬴政含め、秦の重鎮たちは呂不韋の動きを制したいわけです。
嬴政が問いただすと、呂不韋は「嬴政に問題があるのです」と逆に嬴政を諭します。

(画像:本誌第648話より引用)
恐らくこれは大事な伏線になります。後述します。
第648話では、含みを持たせた終わり方をしています。領地河南と財産すべての没収を決定した秦に対し、呂不韋は驚きの行動に出ます。呂不韋は鴆毒(ちんどく)を飲み服毒自殺を自作自演して、馬車で河南を脱出したことになっていました。
<鴆毒とは>
鴆(ちん)は、中国の古文献に記述されている猛毒を持った鳥。 大きさは鷲ぐらいで緑色の羽毛、そして銅に似た色のクチバシを持ち、毒蛇を常食としているためその体内に猛毒を持っており、耕地の上を飛べば作物は全て枯死してしまうとされる(『和漢三才図会より』)。
つまり、原先生は「呂不韋を生かした」のです。
史実との比較
実際のところ、史実ではどう描かれているのでしょうか。嬴政は呂不韋がいる河南には行っておらず、呂不韋に詰問状を送りその後蜀への流刑を言い渡しています。
(史記より)紀元前236年、客や諸国と謀って反乱を起こすのではないかと危惧した政からの詰問状を受け、蜀地域への流刑を追加された。
これについては過去記事で書いた通り、呂不韋は河南の地を追い出されて、蜀に移住するという流れです。
■過去記事■ 呂不韋失脚の裏舞台を妄想する
原先生は、狡猾な呂不韋が嬴政による追求から逃れるために服毒自殺を演じ、嬴政に追い出されたのではなく、自らの意思で河南を捨て脱出、恐らくは蜀の地へ向かわせたというストーリーに仕立てたわけです。
むむむ、面白い!呂不韋ならやりかねませんよねぇ。
史記では、嬴政の命令によって流刑になった呂不韋がその後辿った末路について、こう書かれています。
(史記より)蜀への流刑の翌年(紀元前235年)、呂不韋は自らの末路に絶望し、鴆酒を仰いで自殺した。
原先生は史実の空白部分を上手くストーリー化していますが、呂不韋を「生かした」という点と、最後に嬴政をぎゅっと抱きしめることで「嬴政を我が子だと確信している」と思わせる点を描きました。
伏線
呂不韋「あなたは優しすぎるのです 大王」
この呂不韋のセリフは伏線ですね。秦が統一に向けて他国を圧倒していくにつれ、嬴政は秦そして自らに対する反乱分子や暗殺を企む刺客たちと対峙しなければなりません。
その都度、嬴政はこの呂不韋の言葉を思い出すことになるでしょう。
実際に史実では、嬴政は焚書坑儒など暴政を極めた…と言われることもあります。統一までの実質実力第一の大将軍である王翦も…あぁ、これ以上は後の楽しみのために語らないでおきましょう。
今後のキングダムにおいて、恐らく呂不韋は秦の統一まで姿を見せることはないと思われます。
呂不韋一族の蜀への流刑後については、また別の機会に書いてみたいと思います。
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