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キングダム第701話考察・大将軍の帰還

001ネタバレ⚠

さて、趙国では「廉頗のエピソード」を挟み、いよいよ正式に李牧の前線復帰が実現しました。

趙を出ていた廉頗の趙復帰を、趙・郭開が賄賂を送って「廉頗がボケ老人である」ことを捏造、結果的に実現させなかったエピソードは有名です。ただ、ちょっとこのエピソードの登場タイミングには違和感があります。

改めて、秦による趙攻略戦の全体図です。

戦地

本誌キングダムにおいては、平陽の戦いから武城の戦いに移行するところ。紀元前234~233年です。

廉頗は、紀元前243年に亡くなっています。

廉頗

平陽の戦いが行われている紀元前233年から見れば、10年前に亡くなっているわけで、原先生がこの廉頗エピソードをここに入れてくる意図は何なのでしょうか。確かに、<史記・廉颇蔺相如列伝>にはこの廉頗不採用のエピソードが記載されているのですが、「いつ」なのかが全く分かりませんでした。

原先生が単なる凡ミスで、「死んでいるはずの廉頗をここで出してしまった」のか、または「何らかの伏線として挟んできた」のかは、分かりません。もし伏線回収がないのであれば、史実の流れから見て廉頗がキングダムで登場するのは今回が最後かもしれませんね。

そして李牧の復帰。こちらも史実通りですね。

私の予想では、防衛戦に長けている李牧を邯鄲に入れてしまうと趙を滅ぼすことが不可能になるため、わざと桓騎が太行山脈を越えて趙北部に侵攻し、李牧と対峙したのが宜安(紀元前233年・肥下の戦い)なのではないかと思っています。

そう考えないと、なぜ邯鄲から遠く離れた場所で戦闘になるのかが分かりません。

戦地

紀元前233年の肥下の戦いと、紀元前232年の番吾の戦いには、秦が趙北部に侵攻する理由が必要です。私の妄想を少し詳しく解説すると下記の通りです。

<平陽の戦い~肥下の戦いに至る経緯(妄想)>

趙将・扈輒を討った桓騎は、武城攻撃時に、李牧の前線復帰を知る。総大将である王翦は、李牧が守りの堅い邯鄲に入城してしまうと趙攻略が不可能になると考えた。そこで王翦は、中華最大の挟撃作戦を展開することを決定する。

その挟撃作戦とは、桓騎軍を趙北部に展開させて、守備が薄くなるところから撃破していこうという作戦。最も機動力に優れる桓騎軍はその任務を全うするため、太原から趙領に入る。趙南部からは、引き続き王翦軍・楊端和軍が邯鄲を狙い、北部から侵攻する桓騎軍と邯鄲挟撃を実現するつもりだった。桓騎軍と王翦軍の直線距離は、約210kmという距離の挟撃作戦である。

王翦の作戦に気づいたのが李牧。李牧は北部を撃破されると邯鄲への補給路も絶たれてしまうため、桓騎軍の北部からの侵攻を防ぐために自ら出陣する。宜安の地(石家庄市の西)において、今にも侵攻を開始しようとする桓騎軍を発見。李牧は絶対的な地の利を活かせる超絶布陣を展開し、桓騎を迎え撃つ。

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この210kmという直線距離は、日本では東京都心部から北に向かい福島県二本松市までの距離です。しかも桓騎軍は、一度太行山脈を越えて秦領に入るという行程を取っているため、実際の移動距離はこの倍くらいになっている可能性が高いと思います。

このように地理的な考察をしている方が見当たりませんが、史書に記載されていることが本当なのか創作なのかを判断する1つの観点として、地理的考察は非常に有効です。

本誌キングダムでは、この桓騎軍による趙北部からの侵攻に関するストーリーがどうのように描かれるのか見ものですね。きっと私の妄想よりもドラマチックな展開が待っているはずです。そして李牧がどれだけ傑物だったのかを知ることに…


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