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「新型うつ病」のポリティクス(平成日本若者論史6)【「超文学フリマ in ニコニコ超会議」新刊】+おまけ

この記事は、2013年4月28日に開催された「超文学フリマ in ニコニコ超会議」の新刊として刊行した同人誌に、旧サークルブログ(アメブロ)において公開した、「新型うつ」に関する雑誌記事への公開質問状を追記しております。note転載にあたり全文無料で公開していますが、投げ専用に有料記事にしています。なお、下記の同人誌にも収録しています。


まえがき 兼 本書の問題意識

ニコニコ超会議からこんにちは。28冊目の同人誌となります、後藤和智です。せっかくのお祭りの中で開催される文学フリマですから、何か新刊を用意しようと思ったので急遽作成いたしました。いつかこのテーマでまとまった同人誌を書いてみたいという希望があったので、これを機会に形にしてみようと思いました。テーマは「新型うつ病」です。当初の企画書では「福島第一原発観光地化計画」を批判しようかと考えていたのですが、相手の動きが予想以上に早くてかつ広汎であることと、それを上回るような批判的資料が容易に集まらないことからそちらは諦めました。

閑話休題、本書の発行日にあたる2013年4月28日は、NHKスペシャルで「新型うつ病」が採り上げられてからちょうど1年マイナス1日になるのですね。当該番組では、若い世代に「新しいタイプの」鬱病、すなわち「新型うつ病」が広がっているということが採り上げられ、既存の鬱病とは明確に違うということ、「新型うつ病」の広がりによって会社が苦心していることが挙げられ、そしてそこからの「治療」として、自衛隊での訓練(!)を含むいくつかの方法が紹介されていました。当該番組の公式サイトには次のように書かれています。

今、企業にとってうつ病を中心としたメンタルヘルスの問題は緊急の課題となっている。特に最近、大きな注目を集めているのが「現代型うつ」とも呼ばれる、新しいタイプのうつだ。現代型うつは、若者に多いとされ、従来型のうつ病と同様、不眠や気分の落ち込みなどの症状を呈する一方、常にうつ症状に陥っているわけではないのが特徴だ。職場を離れると気分が回復し、趣味や旅行など好きなことには活動的になり、うつになった原因は自分ではなく、職場など他人にあると考える自己中心的な性格がよく見られるという。さらに現代型うつは一見、“怠け”や性格の問題と捉えられることも多く、従来の抗うつ薬が効きにくいとされ、対応が難しいのが現状だ。また精神科医療の現場でも、現代型うつの患者は急増しており、日本うつ病学会でも対応策を模索し始めている。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0429/

さらに、この番組が放映されて以降、複数の週刊誌が「新型うつ病」を採り上げるようになりました。その中では、「新型うつ病」を、現代の若年層や社会の問題点として書いているものも少なくありませんでした。私は「新型うつ病」を採り上げた週刊誌として、『AERA』『週刊文春』『週刊現代』『週刊東洋経済』の4誌に対して公開質問状を出しましたが、結果は「取材先は公開できない」などという理由から、全てなしのつぶてでした。

しかしこれらの雑誌が、「若者論」として「新型うつ病」を採り上げていたのは紛れもない事実です。例えば『週刊東洋経済』の記事では、精神科医の意見として次のようなことが採り上げられています。

精神科医で作家の最上悠氏は、「少子化とネット社会の影響があるのは明らかだ」と指摘する。広島大学大学院の山脇成人教授は「(テレビゲームなど)簡単にリセットできるバーチャルな世界と違って、本当の対人関係では、一度けんかをすると、修復作業がすごく必要になる。そういったトレーニングをしていないと、周囲とのコミュニケーションに問題が発生しやすくなる」と話す。
ゆとり教育など競争を回避する社会で育ち、親からあまり怒られたことのない若者が増えている。社会生活のルールや協調性を学機会が減っているのかもしれない。

『週刊東洋経済』2012年6月16日号p.49

見てもらえばわかるとおり、完全に若者論のロジックになっているのです。このように、若年層の精神の病をめぐる問題が「若者論」として処理され、その「原因」としてゲームやインターネット、「ゆとり教育」が叩かれたり、あるいは通俗的な現代社会批判――『週刊現代』はこの問題を生活保護の問題と絡めて、現代人から勤勉性が失われたということで同根の問題だと処理していた!――として語られてしまう状況には、さすがに危機感を覚えなければならないと思います。

「新型うつ病」という概念の成立史をたどると、やはりこの概念が「若者論」であるということを痛感せざるを得なくなります。「新型うつ病」概念そのものは、若者論に親和的な精神科医によって生み出されたもので、その開発者も当初から「若者論」としての傾向を示していました。

他方で「新型うつ病」概念は、ひとり若者論に親和的な精神科医(群)の言説のみを下地に広がったものでもありません。我が国における鬱病の語られ方と相俟って、若者論として急成長したと言うことができるのです。

本書は3章で構成されます。第1章は、「新型うつ病」論が若者論として成長した背景の要因として、鬱病の語られ方に焦点を当てます。特に我が国における非定型鬱病への無理解は、「新型うつ病」という概念を成長させるのに大きな役割を果たしたと思います。第2章は「新型うつ病」概念の創出を行った精神科医の香山リカの言説の変化を読み解き、若者論としての「新型うつ病」概念を裏付ける思想を読み解くというものです。香山は若者論に親和的な精神科医として有名ですが、特に1998年以降、「解離」という概念を積極的に使うようになって以降の香山の言動は、「新型うつ病」概念の問題点を捉える上で極めて重要になります。第3章はまとめで、「新型うつ病」概念の広がりによってもたらされるものへの懸念を論じます。

若年層の精神病が「若者論」として処理されることにより、真に問題にすべきことが放置され、さらに若年層に対してシバキ主義が横行してしまうことが懸念されます。そのため、今一度「新型うつ病」概念を、その背景と成立史から捉え直す必要があるのだと思います。

第1章 非定型鬱病への無理解――日本の鬱病論からのアプローチ

1.1 「新型」鬱病と「新型でない」鬱病

「新型うつ病」という奇妙な概念を読み解くためには、「新型うつ病」は、なぜ「新型」鬱病なのか。そもそもそれについてはっきりとした定義がなされているのか、というところから入っていく必要がある。

そもそもメディアで語られている「新型うつ病」とは、普通働き盛りの中高年がかかるような一般型の「鬱病」とは違い、若い世代に多く見られる特徴的な鬱病症状というイメージが概ね共有されていると言っていい。例えば『週刊現代』2012年6月30号における、《仕事となると体調が悪くなるが、遊びなら何の支障もないというのが特徴で、従来のうつ病と異なる症状を示すため「新型」と呼ばれている》(『週刊現代』2012年6月30号p.62)という記述にも見られるとおり、従来の「鬱病」が一日中鬱症状を示すのに対し、「新型うつ病」については「勤務中のみ鬱症状を示すが、勤務から離れると症状が軽減する、またはなくなる」ということが特徴として挙げられることが多い。

そしてそこから、このような「新型うつ病」が、現代の若年層の「怠け」だと見たり、あるいは現代社会の風潮が生み出した悪しき病として論じられることがままあることはまえがきでも示した通りだ。特にそのような論調が激しいのが、先ほど見た『週刊現代』である。その締めは、従来型の「鬱病」――つまり、「新型うつ病」ではない!――にかかった経験があるとされる荻野アンナの話として、次のような言葉で締められている。

近年、こうした新型うつが急増していることについて、従来型うつの経験者はどのように見ているのか。15年前にうつを患った作家の荻野アンナ氏は、自身の経験を振り返ってこう話す。
「私が、親の介護からうつになったときは、眠りが浅くなって体が動かず、目覚めてから立ち上がるのに3時間程かかったこともありました。まだうつの情報は少なく、病気に気づかなくて『自分は怠け者だ』と責めてしまっていたのですが、『薬で調整できる』『医者に行けばいいんだ』ということがわかったときは、それだけで涙が出るくらい嬉しかった。新型うつの患者さんを知らないので、よくわからないですが、若いうちから『ストレスがあったら会社を休めばいい』なんてことに慣れてしまうと、その先、大変ですよね。まぁ、いろんな意味で、皮肉も込めて、いまはいい世の中なんでしょうけど」
つらいことに直面したら逃げる、自分の利益を最優先する――易きに流れる人々が蔓延してることこそが新型うつの最大の原因であり、問題ではないか。

『週刊現代』2012年6月30号p.65

『週刊現代』がアンフェアなのは、同誌が問題視している「新型うつ病」の患者については、「新型うつ病」概念を支持する精神科医の伝聞しか情報を集めていないことだ。そしてそのような不十分な取材や調査で、「新型うつ病」を勝手にこうだと決めつけ、さらに《追い詰められると普通に働くことができる――病気というにはあまりにも不自然だ。このように、生活保護の不正受給問題と同様、「権利ばかりを主張し、楽して利を取る」という人々が増殖しているという時代背景こそが新型うつの問題ではないだろうか》(『週刊現代』2012年6月30号p.65)などという生活保護に関する誤解と絡めた現代社会批判(なお、生活保護問題については、 生活保護問題対策全国会議[2012]を参照されたい)を平然と展開するようになっている。

また『AERA』2012年7月9日号にしても、

新型うつが目立つようになってきたのは、今の30代から下の世代だ。25年間にわたって不登校の中学生の訪問ケアや、国立大学で学生の相談に乗ってきたカウンセラーの袰岩奈々さんは、新型うつ世代の中学生時代や大学時代に向き合ってきた。
当時から、「従来型の重篤な不登校」を「新タイプのお気軽不登校」に変えてきた世代。その世代が社会人になれば、「お気軽うつ休暇」をとるのは当然といえば当然だ。

鳥沢優子[2012]p.59

などという世代論が平然と書かれている。ここからもわかるとおり、「新型うつ病」論とは完全に「若者論」であり、「若者論」であるからこそ、このような通俗的な社会論やバッシングができると見た方が良さそうである。

1.2 非定型鬱病とは何か

それではこれらの記事が「新型うつ病」なるものについてどこから知見を得ているかというと、その多くは「新型うつ病」概念を実感として肯定する精神科医ばかりで、学会や業界団体などにおける定義を参照することはほとんどない――というより、学会や業界団体は定義を出していないのである。例えば日本うつ病学会は、「新型うつ病」に関するFAQを出しており、その中には次のように書かれている。

結論から述べますと、「新型うつ病」という専門用語はありません。むろん精神医学的に厳密な定義はなく、そもそもその概念すら学術誌や学会などで検討されたものではありません。

http://secretariat.ne.jp/jsmd/qa/pdf/qa4.pdf

同様の見解は厚生労働省の運営する心の病のポータルサイト「こころの耳」にも見られ、「現代型うつ病」の項には次のように書いてある。

正式な医学病名ではなく、従前からの典型的なうつ病と違うものを意味する総称として名前が一人歩きしている傾向があり、専門家の間でも見解は一致していません。「新型うつ病」などとも言われ、あたかも最近新しく生じたうつ病のようですが、実は古くから「ディスチミア親和型」「逃避型うつ病」「アパシー」「退却神経症」「パーソナリティ障害(境界性、自己愛性など)」「甘え、怠け、わがまま、自己中心的な性格の問題」など専門家の間では様々な見方をされてきています。本人だけの問題と考えられがちですが、社会が生んでいるという観点も重要と思われます。DSM-Ⅳ-TR(米国精神医学会)にはメランコリー型に対し非定型うつ病の診断基準の記載があり、1)気分の反応性:楽しい出来事には気分が明るい、2)食欲の増加、体重増加、3)過眠、4)鉛様の麻痺(身体が鉛のように重い)、5)拒絶過敏性(他人の言動にひどく敏感)、などを特徴としています。

http://kokoro.mhlw.go.jp/glossary/mentalhealth.html

ここまで見てもわかるとおり、「新型うつ病」というのはそれを語る論者の間で定まった見解というわけではない。そのため統計を出すことなどはほとんど不可能だが、そこにつけ込んで「新型うつ病」の「急増」が主張されているとも捉えられる。

また類似の概念は以前より「非定型うつ病」などというもので語られ、こちらについても専門家で意見が割れているものである。現代型鬱病に関する論客の一人である松浪克文によると、現代のうつ病論の類型として、《ある種のパーソナリティ傾向あるいはパーソナリティ障害と関連づけて論じられるうつ病》(松浪克文[2009]p.85)、《非定型うつ病》(松浪、前掲、p.85)、《「現代のうつ病も昔のうつ病と同一の病態であるが、単に病像に変化が起きているのだ」と主張する筆者の立場》(松浪、前掲、p.86)の3つを示しており、松浪の主張する第3の類型を除いて、それを論ずるには注意が必要だとしている。

「新型うつ病」をめぐる議論において、海外や我が国で行われてきた、非定型鬱病、若年層の鬱病に関する過去の議論が参照されることはほとんどないか、あっても定見に欠けることをいいことに自分の社会観、世代論を投影するものであることが多い。しかし、そのような態度は、学問としても、また医療としても許されざる態度に他ならない。しかし、そのような学問や医療の倫理にもとる行為がなぜここまで広汎に見られるようになったのか。一つは「新型うつ病」論が「若者論」として流布していることで、これについてはここまで述べてきたとおりである。もう一つは我が国の鬱病に関する言説をめぐる文化である。

1.3 日本の鬱病論に対する疑念

我が国の鬱病概念は、主に働き盛りの中高年が鬱病になるということを担保として広がってきた。鬱病にかかる中高年層の「真面目さ」は、中高年の「心の病」が注目されるようになってから、強調されている。多くの精神科医が、我が国の鬱病言説においては、古典的なメランコリー親和型の鬱病ばかりが強調されているという指摘をしている。そしてそのカテゴリに当てはまらない若年層の鬱病は、そのようなメランコリー親和型の鬱病とは対極で捉えられ、それが示す人間像も正反対のものとして描き出される。野村総一郎は次のように述べる。

(筆者注:「現代型のうつ病」という概念は)一般社会には非常にわかりやすいネーミングであり、啓発しなくても、すでに広まっている。ただ「仕事はしないが遊びはする」、「会社への帰属意識がなく、自分勝手」といった具合にネガティブなイメージで、安易にとらえられている。それは古典的なメランコリー親和型の人の誠実さを浮かび上がらせる効果はあるかもしれないが、うつ病全体のイメージを悪化させ、患者の処遇も厳しくなるリスクもある。これは現代型の一部の特性だけを強調して一般に伝わっているためである。啓発するとしたら、正確な全体像であろう。その場合、「本人の性格が悪い」、「本当のうつ病ではない」、「単に甘えているだけ」あるいは逆に「社会の犠牲者である」などと浅薄に受け取られないような注意が必要である。また、精神医療全体で治療技法を開発する姿勢を示すことが重要である。

野村総一郎[2011]pp.19-20

このことは、少なからぬ鬱病の当事者や支援者においても、「新型うつ病」に対するバッシングが見られることにも言うことができるだろう。典型的なものとして上野玲の『都合のいい「うつ」』(ベスト新書、2010年)を挙げることができるが、上野は自らも鬱病の罹患経験があり、また鬱病に関する支援団体の代表も努めている。そのような鬱病の当事者にとっても、既存の鬱病の範疇に入らない若年層の鬱病が、自らとは違う「身勝手」なものとして映るということが起こっている可能性がある。本章第1節で挙げた荻野アンナの例もこれに該当するだろう。つまり生来「真面目」な人間としての既存の(メランコリー親和型)鬱病患者においても、「新型うつ病」を怠け者としてバッシングすることが、我が国の鬱病言説の文化の維持のために要請されていると言うことができる。

しかしそのような言説は、自らの正当性を誇示するあまり、他の患者、特に若年層に対する締め出しを強化してしまうことに他ならない。そしてそのことが若年層の精神医療の問題を世代論に囲い込み、解決から遠ざけてしまうことは、近年の「新型うつ病」言説の広がりを見ても明らかだろう。

第2章 「若者論派」精神分析の陥穽――香山リカの変遷から

2.1 「30代うつ」から始まった

現在に至る「新型うつ病」概念を形成した論客として、若者論に親和的な精神科医として知られていた香山リカが挙げられる。それまでも「仕事中だけ鬱症状を示す」という事例や、あるいは「本当の鬱病ではなく、あくまでも一時的な心の防衛・逃避機制として鬱症状を示す」(擬態鬱病)などの議論は存在していたものの、現在のように、若者論と若年層の「新型うつ病」が直接的に論じられるようになったのは、その概念の元祖が香山であり、また香山自身もそのようなストーリーに沿った議論を展開してきたということを外すことはできないだろう。

香山が現在の「新型うつ病」概念に繋がる「30代うつ」概念を書籍として発表したものとして、『仕事中だけ「うつ病」になる人たち』(講談社、2007年。後に『なぜあの人は、仕事中だけ「うつ」になるのか』に改題してPHP文庫、2011年)がある。

同書において香山はまず自分の診断室に入ってきた46歳の女性の話として、その女性の異動してきた30代の部下が、鬱病で休職しているにもかかわらず、海外旅行に行っているらしいという話を紹介する。そして香山は、同様のケースが現れるようになったとし、また統計の上でも30代で心を病む人が増えているということを紹介した上で、自分の感じているような「新しいタイプのうつ病」が増えているのではないかとしている。そして《彼らの多くは、ひとことで言うと「自分に甘く、他人に厳しい」》(香山リカ[2007=2011]p.56)とした上で、青年期精神病理学の権威である笠原嘉の「正業不安」言説(この言説自体は1988年にあった)を引き合いに出して解説する。しかし同書第4章からは、香山は統計的な裏付けのない世代論を引き合いに出して論じるようになるのである。香山は斎藤環を引き合いに出し、現代の30代が、自分の所属する40代といかに違うかを解説している。
ただし同書においては、香山は明確に若年層をバッシングしているわけではない。ところが2008年になって出された『「私はうつ」と言いたがる人たち』(PHP新書、2008年)の中では、既に「うつ病と言うとなんでも許される社会」を問題化し、鬱病が責任逃れのツールになっていると批判しているのである。さらに2009年に香山は『雅子さまと「新型うつ」』(朝日新書、2009年)の中で、やはり現代の30代周辺の若年層と「新型うつ病」との親和性を指摘していた。

つまり、「新型うつ病」概念とは最初から香山において若者論として作られたものであり、若者論の文脈において流通したものであるということは否定することはできないだろう。

そしてこのような議論に至るまでには、香山の若者論の変容が大きく関係している。その変容を読み解くものとして、3つの著書が挙げられる。第一に、1998年に出された『インターネット・マザー』(マガジンハウス、1999年)である。それまでサブカルチャーに親和的な論客として若年層の「お悩み相談」で活躍してきた香山は、同書において、精神分析の理論である「解離」を若年層全般に「適用」することにより、現代の若年層の「病理」について論じるようになる。2002年に話題になった香山の『ぷちナショナリズム症候群』(中公新書ラクレ、2002年)は、このような香山の「解離」論と、自らの1980年代的なサブカルチャーに対する憧憬のミクスチャーに過ぎず、香山の理論の研究にそれほど新しいものを与えるものではない。また「解離」概念は、ほとんど同じ頃に、こちらも若者論に親和的な精神科医である斎藤環が使うようになったほか、同様の概念を、これまた若者論に親和的な社会学者である宮台真司が「脱社会化」として論じていた。そのため香山の「解離」概念を理解するためには、その周辺の若者論者の動きと合わせて考える必要があるだろう。

第二に、2004年に出された『就職がこわい』(講談社、2004年/講談社+α文庫、2008年)である。この時期は、玄田有史などを中心に、若年層の就労をめぐる問題について、経済学や社会学などの知見によって「若年層の心性の変化」という認識に疑問をぶつけるという議論が多かった。しかし(精神科医として、そして若者論者としての)香山は、玄田などに疑問を唱え、自らの経験から、タイトルにあるとおり「就職が怖い」という若年層の心性を描き出した。なお香山は後に2005年に内閣府など複数の省庁による「若者の人間力を高めるための国民運動」に呼びかけ人として参加している。

そして第三に、2007年に出された『なぜ日本人は劣化したか』(講談社現代新書、2007年)である。香山は、『ぷちナショナリズム症候群』によって左派において得られた「主に若者の「右傾化」を嘆き、新自由主義的な社会の流れに苦言を呈する」というスタンスから劣化言説を唱えてきた。『〈私〉の愛国心』『テレビの罠』(いずれもちくま新書、それぞれ2004年、2006年)がこれに該当するが、2007年の『なぜ日本人は劣化したか』において、ついに「劣化」というものをタイトルにまで出すようになった。

なお筆者がこのような香山の動きに対して、それが客観的な根拠に基づいていないことや、「左派」であったはずの香山が若年層を差別するようなことを平然と書くようになっているということを批判したとき、香山はその応答として(?)『私は若者が嫌いだ!』『「悪いのは自分じゃない」症候群』(いずれもベスト新書、それぞれ2008年、2009年)を出して、こちらでも(ほとんど自らの思い込みや経験を一般化しているに過ぎない)劣化言説を展開している。

このような、サブカル精神科医、ないし「若者の代弁者」としての精神科医から、「解離」を論理として振りかざす論客を経て劣化言説に至る、という道は、香山の言説を読む上で欠かせないものである。

2.2 前史――「解離」論以前の香山リカとその周辺

香山の言説の検討に入る前に、香山自身、そしてその周辺であるサブカルチャー言説や若者論の変遷を簡単に追っていきたい。

香山は1980年代よりサブカルチャーに関する論説を発表しており、1989年、連続幼女殺傷事件(所謂「宮崎勤事件」)に際して出された『Mの世代――ぼくらとミヤザキ君』(太田出版、1989年)にも寄稿している。また香山の著書として、人生相談を元にした『リカちゃんの最古のお部屋』(扶桑社、1991年)や、サブカルチャーを中心に社会を論じた『おかしくってもダイジョーブ!!』(ハヤカワ文庫、1993年)などがあり、サブカルチャーのあり方から精神科医として現代人、特に若年層の心を論ずる、というスタンスは早期から確立されていた。

一方、香山の周辺である若者論、特にサブカルチャーに親和的な若者論者による若者論は、1990年代を通過していく過程で大きな変貌を遂げた。先に引いた『Mの世代』のように、大塚英志などの一部の「おたく族」系の論客による、漫画などから現代の消費のあり方、あるいはコミュニケーションのあり方を読み解くという論説が出てくるようになった。

これは、1980年代のバブル期に、若年層向け雑誌の言説が特定の文化集団に属する若年層のあり方や実存を主張する「マニフェスト」として流通するようになり(特に浅田彰などの「ニューアカ」はその代表例である)、また広告代理店や一部の社会学者、コピーライターなどが現代の「消費」のあり方について積極的に発言するようになり、そのような言説を生み出すことが「おたく族」にも求められるようになったことが背景として挙げられる。

一方若者研究の側も、若者文化(ユース・サブカルチャーズ)に関する研究が、(多様化した)若年層の現状を読み解くことについて限界を迎えており、若者研究の主題が文化や消費からコミュニケーションに移りつつあったという現状があり、そこで大塚や宮台真司、中島梓=栗本薫などの「おたく族」から見た日本社会やコミュニケーションのあり方という議論が注目されていった。このような経緯を経て、1990年代初め頃は、「おたく族」系の議論が若者論の主役として上り詰めていく時期と説明することができる。

そのように「おたく(オタク)」論と若者論が強固に結びついていく過程で勢いをつけた論客として、先に挙げた大塚英志や宮台真司、浅羽通明や切通理作などサブカルチャー雑誌を起点とするオピニオン誌『宝島30』(宝島社)周辺の論客、そして香山が挙げられる。彼らは客観的、巨視的に若年層を捉えるというよりも、主に1960年代生まれのバブル世代の生育歴、なかんずく漫画やアニメなどの歴史を起点とし、現代社会がどのような時代であるか、あるいは現代における「成熟」とはなにか、ということを中心に論じていた。若者論において1970年代にデータを用いる議論がうち捨てられていった経緯についてはここでは省略するとして(なお、1960~1970年の若者論の流れについては、小谷敏[1993]に詳しい)、若者論の主題が若年層の客観的で多様な姿を描き出すのではなく、自らの言説にとって都合のいい一部の若年層を持ち上げたり、あるいは一部の雑誌の読者の実存に語りかけるようなスタイルが定着していったことが挙げられよう。

そうした若者論の動きは、必然的に、自らが「共感」を示し「利用」していた若年層への「共感」が失われるととたんにバッシングに変転するものであると言うことも忘れてはならない――そしてそれが1998年に、ほぼ同時多発的に起こった。

筆頭として挙げられるのは宮台真司であろう。宮台は1998年に栃木県黒磯市(現:那須塩原市)で起こった教師殺傷事件から、現代の若年層は最早「反社会的」ではなく「脱社会的」に犯罪を起こすようになっているとし、「彼らには「犯罪を起こしてはいけない」という規範が内面化されていない。むしろ犯罪を起こしたくてうずうずしている」(要約――宮台真司[1995=1998]文庫版あとがき)という具合に、あからさまに若年層を問題視するような言説を出すようになっている。

ちょうどこの時期の宮台が、若い世代に対する共感を失っていたことを後のテキストから見ることができる。1990年代半ば頃に援助交際の「フィールドワーク」や、あるいはナンパ師として東京の都市圏や近郊で活動していた宮台は、2002年に増補版が出された『これが答えだ!』(飛鳥新社、1998年/朝日文庫、2002年)の文庫版や、宮台の出世作となった『制服少女たちの選択』(講談社、1994年/朝日文庫、2006年)の文庫版の追補などで、宮台が主なターゲットとしていた1970年代半ば頃生まれの女子高生に比べて、それ以降の世代、すなわち1970年代終わり頃や1980年代生まれ頃の女性には共感がモテなくなったとし、「援交第n世代」という世代論を創出している。このことは、宮台のような論客の若者論が、若年層への共感や認識が変わることによって簡単に擁護から批判、さらにはバッシングへと変転してしまうことを如実に表している(このような若者論の危うさは、1990年代移行の若者論者に広汎に見ることができる)。

2.3 『インターネット・マザー』

さて、香山の話に入ろう。1998年頃より、香山や斎藤環などといった若者論に親和的な精神科医――ちなみに彼らの多くはジャック・ラカンの精神分析に依拠している――が「解離」という表現を使っているが、これは宮台真司の言う「脱社会的存在」という言葉を精神分析の言葉で言い換えたものと見ることができる(後藤和智[2008])。宮台の「脱社会的存在」論においては、社会の基盤が失われたことによって若年層がモンスター化したととらわれているのだが、香山の「解離」論においてその「解離」の原因として挙げられていたのはインターネットである。

『インターネット・マザー』(マガジンハウス、1999年)は、テレビゲームやインターネットなどと自己のあり方について論じた本で、テレビゲームについては、旧著『テレビゲームと癒し』(岩波書店、1996年)のような中立的な記述を行っている。しかしインターネットに対しては、《私たちは今でも、インターネット空間にアクセスするたび、液体の中に全身を浸して浮遊するという経験を繰り返しているのではないだろうか? そして、そこで「個」は融解し消滅するだけでなくて、「ドクター・キリコ」のようにときには人の心を鎮め、またときには死の引き金を引いてしまうような新しい人格、あるいは生命体が生まれているのだとしたら……》(香山リカ[1999]pp.15-16)という記述に代表されるように、過度に病理的に書いている。

また同書においては、「解離」的な心性を持った若年層の増加と、それに対して戸惑う「大人」としての自分という構図も鮮明になる。《いささか空想を膨らませすぎたようである。しかし、いずれにしても私たちは、今の日本を生きる二重の自己を持つ若い人たちになんらかの方法で向かい合っていかなければならないのだ》(香山前掲p.130)という記述に見られるように、「解離」的な心性を持った若年層を、自らには理解ができない、あるいは理解が難しい存在として描くという行為を、香山はこの時期から積極的に行うようになっている。『インターネット・マザー』における香山の言説の転換点は、「解離」という概念の「発明」と共に、このような心性による世代の切り離しとも言うことができるだろう。

このような態度が、若年層のコミュニケーションに限らない、政治や社会全般について拡大されていくまでそれほど時間はかからなかった。例えば『中央公論』2000年10月号において村田晃嗣が「若い世代の改憲論」という論考を出したとき、香山は宮台真司(!)との共著『少年はなぜ人を殺すのか』(創出版、2001年)において次のようなことを書いている。

「鬱陶しさがイヤ」という感覚は、先ごろ、『中央公論』に掲載されて不思議なくらい好評だった若き政治学者村田晃嗣の「若い世代の改憲論」にも通じると思うんです。(略)「これまでの護憲派はすべて後ろ向きで、まったくこれから二一世紀を生きる若い我々のことは考えもせずに・戦争責任とか言ってるだけだ。そういう人のことは放っておいて、私たち若い世代で私たちの未来のためになぜ改憲が必要なのかということを前向きに論じましょう」ということ。
「鬱陶しさ」の徹底的な排除です。(略)全体のコンテクストがあって、そのために一つ一つの議論があるのではなく、ただ演繹的に議論を進めていって最後にトリヴィアルにして危険すぎる結論に平気で達してしまう。

宮台真司、香山リカ[2001]pp.86-87

村田に対するこのような批判は、2001年9月11日の同時多発テロに際して出された『多重化するリアル』(廣済堂、2002年/ちくま文庫、2006年)にも見られ、同時期の対テロ戦争に関する推進派の言説と、若年層の「解離」がさらに強く結びつけられた社会論になっている。香山はインターネットに対しては《解離を促進する社会の側の要因を取り除いていく必要がある》(香山リカ[2002a]p.180)として、インターネットや携帯電話のメールも封鎖して、コミュニケーションが目の前の現実でとどまるようにすることを「提案」しており、インターネットを中心とする若年層の現実感の喪失、そしてそこから発生する「解離」が様々な問題の根底になっているという論調をさらに強めている。2002年にベストセラーになった『ぷちナショナリズム症候群』は、このような背景から生まれたものだ。

2.4 『就職がこわい』

2001年に刊行された玄田有史の『仕事のなかの曖昧な不安』(中央公論新社、2001年/中公文庫、2005年)や、2002年に出された宮本みち子の『若者が《社会的弱者》に転落する』(洋泉社新書y、2002年)のように、1990年代終わり頃から2000年代初め頃に欠けて、「パラサイト・シングル」論に代表されるような、現代の若年層におけるフリーターなどに対してそれを甘えだとか自立の精神が欠けているなどという批判に対してデータや政策論の視点から反論する向きが出てきていた。そして2003年頃には、そのような認識が政治の場にも一定の影響を持つようになっている。

他方で、「解離」を基軸として自分の世代と下の世代の「違い」を強調するような言説を積極的に発信するようになった香山は、このような傾向に疑問を呈し、若年層の労働問題を再び若年層の意識の問題に戻そうとする動きを見せた。それが『就職がこわい』(講談社、2004年/講談社+α文庫、2008年)だ。香山は同書で若年層における就職に対する「不安」を強調しており、その根本的なものを解明しないと若年層の就業をめぐる問題は解決しないとしている。しかし香山の言説は、ただ自分の問題視したい若年層の就業の問題について、自らの問題意識を投影しているだけで、客観的な根拠に欠けるきらいがある。

同書においては、玄田のようなデータや経済学の知見に基づく言説に、若者論という自らの領域が侵犯されることに対する焦りが見えてくるように思える。例えば《若者を就職から遠ざけている要因は、けっして社会構造の側や大人の側にだけあるのではない。/若者の内側からふつふつとわいてくる不安、恐怖、消そうとしても消えないトラウマ、絶望的な無力感や不善感。そういった内的なマイナス要素が払拭されないかぎり、いくら環境を整え、条件を良くしても、若者は働こうとしないだろう》(香山リカ[2004=2008]p.84)という物言いや、あるいは同書において「学生は」「学生たちは」「多くの学生は」「いまの若者は」などといった主語が頻出することから、自らこそが若年層の問題の「本質」を知っているという視点が窺える。

そのような香山の「焦り」が見え隠れするくだりとして、玄田や長山靖生を批判したあとに発せられた次のようなものがある。

この問いは、たとえば「社会の変化が携帯電話を生んだのか、携帯電話が社会を変化させたのか」という「社会決定論か技術決定論か」に近いものがあるが、社会学ではその議論には正解がないということになっている。だから、「社会が悪いのか若者が悪いのか」にも正解はなく、良心的に答えようとすれば「両方が悪い」ということになってしまうのだろう。かといって、「雇用対策と若者の意識改革の両方を、同時に進める必要がある」といった玉虫色的な提案では、結局のところは何の解決にも結びつかない。

香山前掲p.179

もちろん、香山における若年労働問題に対する「社会が悪い/若者が悪い」という捉え方がごくごく一面的なものに過ぎないこと(しかも「悪い」というものは多分に価値判断を含んでいる)を指摘する必要はあろうが、本題はそこではない。我々が注目すべきは、社会学の語りが「正解」を示さないことに対する香山の憤りであろう。若年層の問題の「本質」を知っていることを議論のベースにしてきた(ただし、その自信には客観的な裏付けがあるわけではない)香山にとってすれば、既に本質を知っている問題が解決されないことこそが「問題」として認識されるのである。

そのため、『就職がこわい』は、香山の若年層の問題に対する、自分こそが本質を知っており、自分の提言を受け入れるべきだという全能感が極致に達している著書と言うことができるのである。これは、若年層の「理解者」「代弁者」「解説者」としてキャリアを積んできた(あるいは、そのようにメディアで持ち上げられてきた)ということが、自分より若年層を「知らない」にも関わらず平然と青少年問題を語っている玄田などへの苛立ちとして、同書で現れているということである。

2.5 『なぜ日本人は劣化したか』

『インターネット・マザー』によって生まれた、「解離」を基軸とする自分の世代と若年層の「切り離し」という近年の香山における構図は、主に左派層のメディアに受け入れられた。香山によって、左派にとっての若年層のイメージが「右傾化」というもので語られるようになると、中高年の左派は自分たちの実存、領域が脅かされているのではないかという危機感を持つようになり、「反・若者」「反・現代の風潮」の論客として香山を積極的に起用するようになった。

そのような「反・若者」「反・現代の風潮」的な立場から書かれた香山の著書として、『〈私〉の愛国心』『テレビの罠』(いずれもちくま新書、それぞれ2004年、2006年)や、『いまどきの「常識」』(岩波書店、2005年)などがある。香山は完全に劣化言説の担い手として一定の地位を確保したと言えるだろう。

香山は「反・若者」などとしての香山、すなわち「劣化言説の香山」としての地位を得つつ、他方で香山は若年層向けの本もいくつか出してはいる通り(例えば『NANA恋愛勝利学』(集英社文庫、2006年)など)、「若者向け精神科医の香山」「サブカルチャーの香山」という地位も保持し続けていた。香山は1980年代からの若者論によって得た地位を利用して、様々な「キャラクター」を使い分ける論客として振る舞っていた。

「劣化言説の香山」の言説の極北に位置するのが、2007年に出された『なぜ日本人は劣化したか』(講談社現代新書、2007年)だ。同書において香山は、《日本人は、「劣化」ししているのではないか。それも全世代、全階層、全分野にわたって。しかも、急速に》(香山リカ[2007]p.8)と述べているのだが、香山が問題視しているのはもっぱら若年層であり、若年層向けの雑誌からの依頼や、ゲームクリエイターによる発言(しかもそれは誤報であることが指摘されている)、インターネットのコミュニティサイトなどである。そして香山は次のようにも述べている。

この劣化は知識やモラルといった主に脳内での活動に限って進んでいるのみならず、体力、身体能力などからだの領域でも起きているようなのである。すぐに「死にたい」「生きるのに疲れた」とつぶやく若者の例も紹介したが、(略)こうなるともはや、生物として生命を維持する力そのものが劣化しているのではないか、とさえ言いたくなる。ちょっとしたことで傷ついて、「もう死んだほうがいい」と考える若者が増えているのも、心が弱くなっているのではなくて、生物としての耐性が低くなっており、「死にたい」という発想がわくのは、彼らにとってはある意味で自然の反応なのではないか、とさえ思うことがある。

香山前掲pp.144-145

ここまで読んで、香山は最早差別者と化してしまった、と断ずるのはたやすい(というか私もそうしていた)。しかし他方で「若者向け精神科医の香山」「サブカルチャーの香山」というキャラクターもまた生き続けていることを考えると、香山のそれぞれのキャラクターが、それぞれ違った読者層やメディアによって消費されており、私のように横断的に見ている論客は少数派なのではないかということが窺える。そして若年層向け、あるいはサブカルチャー系のメディアにおいては、「劣化言説の香山」を隠すことによって、「若者の理解者」という立ち位置を維持していたのではないか。

香山の言説を横断的に見た場合、他方で劣化言説によって若年層をバッシングし、他方で若年層の心理について理解を示してみたり、あるいは漫画やアニメなどについて論じて見せたりしている香山という、一体自分の中でどのように折り合いをつけているのかという疑念が生まれざるを得ない。しかし香山は筆者には窺い知ることができない巧みなメディア戦略によって支持を集めてきた。それが「劣化言説の香山」が受け入れられる素地を作ったと考えられるのである。

「新型うつ病」という言説が、若年層の世代的な「病理」としてここまで広がったのも、香山が「劣化言説の香山」という一つのキャラクターを隠して若年層向けメディアで信頼を醸成してきたことと無関係ではないだろう。そして香山が「売れっ子」となっていたから、香山のあからさまな劣化言説も受け入れられた。

2.6 まとめ

ここまで見てきたとおり、「共感」を起点とする香山の言説は、それ故に「解離」という論理を得て、それによって暴力性を持ち、ついにはあからさまな劣化言説に繋がっていくという経緯をたどっていることが見て取れる。もう一つ、香山は若年層の「理解者」という「昔取った杵柄」によって、長い間若年層の現状の「解説者」として「信頼」されてきた。特に1990年代以降の、若年層の「コミュニケーション」のあり方、そして1990年代後半からの「病理」を強調する言説が要請されていた若者論の界隈において香山はそのトレンドに合わせるように振る舞っていた。しかしメディアの側は、香山の「ご託宣」をそのまま若年層の「病理」として肯定的に紹介するだけで、その依って立つ根拠に対して疑問を向ける向きは少なかった。

それまでかなりの蓄積がなされてきたにも関わらず、メディアでの注目度が低かった若年層の(非定型)鬱病傾向が、香山による「30代うつ」「新型うつ病」という名付けによって一気に広まったことは注目に値するだろう。本章第4節で見たとおり、香山の『就職がこわい』は、当時玄田有史や本田由紀などによって若年労働言説(の内、フリーター批判)に対して疑問が呈されていたときに、その問題を再び若年層の「内面」に求め、そのような認識が広がるようになったというバックラッシュとしての性格を持ち合わせている。同様に、香山の「新型うつ病」論は、「ニート」論批判や労働相談の広がりなどによって疑問が持たれていた若年労働言説への、再度のバックラッシュと言うことができるだろう。

「若者の理解者」という立ち位置を存知するために振る舞っていた香山が、若年層の問題に関して、少なくない頻度で通説批判に対するバックラッシュの役割を果たしていることは改めて指摘せざるを得ないだろう。しかしそれが理解されにくい(事実、香山は過去に『私は若者が嫌いだ!』という著書を出しているにもかかわらず、2012年には『若者のホンネ』(朝日新書、2012年)という本を出している!)のは、現代の若者論というものがいかに立ち位置ゲームになっているかということを如実に示している。

2009年にベストセラーとなった香山の『しがみつかない生き方』(幻冬舎新書、2009年)に際して、『週刊SPA!』2010年2月8日号が特集を組んだとき、香山の批判者として私のコメントが掲載された。私は「危険な本質は不変である」とし、香山の自己啓発言説もまた、一定の根拠に基づいていないということで近年香山が発表している若年層批判と表裏一体であるということを述べた。それに対して香山は私が「エビデンスというものにしがみついている」と批判したのである。香山にとって客観的根拠とは「この程度」の扱いであると言うことを、我々は知っておいて損はあるまい。

第3章 まとめ――「新型うつ病」のポリティクス

本書では、所謂「新型うつ病」に関する言説が世代論としての性格を強く持っているという問題意識から出発し、第1章ではその言説が既存の非定型鬱病に関する議論を無視していること、第2章では「新型うつ病」概念を広めた香山リカの言説の変遷について触れてきた。

ここまで得られた知見から、本書の締めとして、「新型うつ病」概念がどのような社会的意味を持つのかについて考察してみたい。香山の「活躍」によって、元々理解の少なかった若年層の鬱病が「世代論」としての地位を与えられるようになったというのが本書の主張である。そして「新型うつ病」概念に至るまでの香山は、若年層の「代弁者」「解説者」としての地位を維持する一方で、「解離」概念に基づいて自らの世代と若年層について明確に線引きを行い、若年層を(主に左派に対して)社会的な脅威として描き出す劣化言説を展開してきた。「若者向け精神科医の香山」と「劣化言説の香山」の双方でメディアでの信頼を獲得していき、その結節点に生まれたのが「30代うつ」、後の「新型うつ病」概念である。

「30代うつ」に至る香山の言説の動きの中で、香山が決して突き崩さなかったものがある。それは第1章で示した我が国のメランコリー親和型鬱病に偏重した鬱病言説の文化と、1990年代以降形成されてきた、若者論における客観性の軽視である。後者については、香山自身もまたその形成に関わってきたので突き崩さなかったことは致し方ないとしても、前者については、香山が若年層に詳しい精神科医を僭称するのであればそれを突き崩すことはできたはずだ。ただ、なぜ香山がそれをしなかったのかについて推測することはできない。

しかし確実に言えることは、香山の言動は、自らもその形成に関わってきた若者論の文脈で、精神科医として若年層の問題を提出することにより、精神医学の言説の場に、若年層の精神医療上の問題を世代論として処理してしまうことを許容してしまったということである。世代論は容易に社会劣化言説と結びつく。そして世代論に基づく精神科医の「語り」が許容されることにより、若年層の精神医療上の問題を「甘え」として処理し、バッシングに結びつけることが「医学的に」許容されてしまう――これこそが「新型うつ病」のポリティクスと言えよう。

参考文献・資料

  • 小谷敏[1993]「社会学的青年論の視角」、小谷敏:編『若者論を読む』社会思想社、1993年10月

  • 松浪克文[2009]「現代のうつ病像――診断学的問題」、神庭重信、黒木俊秀(編)『現代うつ病の臨床――その多様な病態と自在な対処法』創元社、pp.75-97、2009年8月

  • 野村総一郎[2011]「現代型のうつ病をどうとらえるか」、野村総一郎(編著)『多様化したうつ病をどう診るか(精神科臨床エキスパート)』医学書院、pp.1-25、2011年10月

  • 生活保護問題対策全国会議[2012]『間違いだらけの生活保護バッシング』明石書店、2012年8月

  • 鳥沢優子[2012]「「新型うつ」にしない子育て」、『AERA』2012年7月9日号、pp.57-60、朝日新聞出版、2012年7月

  • 香山リカ[1999]『インターネット・マザー』マガジンハウス、1999年5月

  • 宮台真司、香山リカ[2001]『少年はなぜ人を殺すのか』創出版、2001年1月

  • 香山リカ[2004=2008]『就職がこわい』講談社+α文庫、2008年2月、原書は2004年2月

  • 香山リカ[2007]『なぜ日本人は劣化したか』講談社現代新書、2007年4月

  • 香山リカ[2007=2011]『なぜ、あの人は仕事中だけ「うつ」になるのか』PHP文庫、2011年6月(原書は『仕事中だけ「うつ病」になる人たち――30代うつ、甘えと自己愛の心理分析』講談社、2007年)

  • 後藤和智[2008]『おまえが若者を語るな!』角川Oneテーマ21、2008年9月

  • 後藤和智[2011]「「ゆとり教育世代」の恐怖?――ステレオタイプはいかに消費されるか(検証・格差論 第6回)」、『POSSE』第13号、pp.207-214、POSSE、2011年12月

付録:所謂「新型うつ」に関する報道についての公開質問状

提出にあたって

同人サークル「後藤和智事務所OffLine」は、所謂「新型うつ」と呼ばれるものの報道について、雑誌「AERA」「週刊現代」「週刊文春」「週刊東洋経済」の4誌に公開質問状を、6月29日に仙台駅内郵便局より書留で送付しました。

こちらの質問状は、若年層の心理、特に職場における心理に関する報道に着目し、その報道を比較することにより、各誌の若年層に対する報道姿勢を明らかにし、市民の判断材料とすると共に、若年層に関する報道の質を高めるという目的をもって作成されました。回答は、対象となった雑誌より到着次第、速やかにこちらのブログに掲載する予定です。

 質問の対象とした雑誌記事

『AERA』
 ・2012年6月25日号「新型うつが日本を蝕む」pp.10-13
 ・同上「「なんちゃって鬱」の病巣」pp.14-15

『週刊現代』
・2012年6月30日号「「新型うつ」これが真相です」pp.62-65

『週刊文春』
 ・2012年6月7日号「「新型うつ」は病気か? サボリか?」
  http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1444
 ・2012年6月14日号「「新型うつ」を急増させた三大要因」
  http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1446
 ・2012年6月21日号「権威が警告「新型うつはうつじゃない!」」
  http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1464

『週刊東洋経済』
 ・2012年6月16日号特集「人ごとではないうつ・不眠」内「問題視される新型うつ 治癒しにくいのが難点」pp.48-49

前文

朝日新聞出版「AERA」編集部 編集長 一色 清様 編集部 大重 史朗様 ライター 鳥沢 優子様
講談社「週刊現代」編集部 編集長 鈴木 章一様
文藝春秋「週刊文春」編集部 編集長 新谷 学様 ライター 森 健様
東洋経済新報社「週刊東洋経済」編集部 編集長 鈴木 雅幸様

同人サークル 後藤和智事務所OffLine
代表 後藤 和智

謹啓

私は、青少年問題について個人で研究・執筆活動を行っている同人作家です。このたび、貴誌でいわゆる「新型うつ病」に関する報道がなされ、その内容につきまして疑問を持ちましたので、報道の意図を明らかにすべく、お手紙申し上げました。

 いわゆる「新型うつ病」に関しては、最近になって若い世代に増えているという報道がなされ、今年(2012年)も、4月末の「NHKスペシャル」を契機 に、いくつかのメディアがこれについて採り上げておりますが、特に若い精神疾患を持った人たちに対して偏見や差別を煽っているものも少なくなく、若い世代 を追い込んでしまう可能性が高いと考えております。そのため、各種メディアがどのような根拠と情報に基づいて報道を行っているのかを比較し、報道の質の向 上と精神疾患に対する正しい理解を広めることが、本質問状の目的です。

質問はAとBに分かれております。Aはこのたび質問状を提出した全てのメディアに対して共通です。Bは貴誌の報道に特化した質問事項となっております。

 なお、この質問状は公開としております。詳しいことに関しましては諸条件をご覧ください。繰り返しになりますが、本状の目的は、貴誌の糾弾ではなく、若年層の精神の問題、さらには若年層全体に関する報道を比較し、その質の向上を目的としております。そのため、誠意ある回答をお願いいたします。

謹白

質問状に付帯する諸条件

1.本状の目的
本状は、いわゆる「新型うつ病」に関する報道を切り口として、若年層に関する報道に対する複数のメディアの姿勢を比較し、それを公開することにより、報道について市民の関心を喚起し、報道の質の向上を目指すものです。

2.質問状の公開について
本質問状は、同人サークル「後藤和智事務所OffLine」のリリースとして、ブログ「後藤和智事務所OffLine サークルブログ」に公開しております。

(以下、転載にあたり省略)

・質問A(共通)

A-1. こちらの記事の想定読者層をご回答ください。

A-2. 貴誌の想定する「新型うつ病」の定義をご回答ください。

A-3. A-1の想定読者層の中に、貴誌が「新型うつ病」と定義する人は含まれているとお考えでしょうか。含まれているとする場合、どのくらいの割合をお考えでしょうか。

A-4. こちらの記事を、貴誌が「新型うつ病」と定義する人が読んだらどのように考える、もしくは行動すると思うかご回答ください。

A-5. こちらの記事を書く上で参考にした文献や資料をできるだけ多くご回答ください。書籍・論文・雑誌の記事のほか、テレビ番組やネットニュースの記事、さらには個人ブログやインターネット掲示板の書き込みでも構いません。

A-6. こちらの記事にはいわゆる「新型うつ病」の「実例」が採り上げられていますが、そのような経路でこちらの「実例」にアプローチしたかご回答ください。「人づてで聞いた」「医者に紹介してもらった」などの大雑把なもので構いません。

A-7. こちらの記事には数名の専門家や識者が登場しますが、どのような判断規準で選定したかご回答ください。選定の規準となった著作や論文などを挙げていただいても構いません。

A-8. 社団法人産業カウンセラー協会の「現代型うつ病」に関する説明(注)によれば、これについて、《実は古くから「ディスチミア親和型」「逃避型うつ病」「アパシー」「退却神経症」「パーソナリティ障害(境界性、自己愛性など)」「甘え、怠け、わがまま、自己中心的な性格の問題」など専門家の間では様々な見方をされてきています》という解説がなされています。いわゆる「新型うつ病」や非定型鬱病に関する過去の議論を参照したことはあるでしょうか。
 (注)http://kokoro.mhlw.go.jp/shien/yougo/term01-02_mental_01_column.html

・質問B(AERA)

 B-1. pp.10-11の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 部長男性が「新型っぽい」と表現した「新型うつ」(「現代型うつ」)は、20~30代の若者に多いとされ、従来型のうつ病と同様、不眠や頭痛、気分が悪くなるなどの症状をきたす一方、常にうつ症状が続くわけではないのが特徴だ。職場を離れると回復し、趣味など好きな対象には積極的になる。うつになった原因は自分ではなく、他人にあると考えるなど「他罰的」な言動も共通するという。一見「怠けている」ともとらえられ、抗うつ剤も効きにくいとされる。
【引用終わり】

 この記述の出典、もしくはこの記述を書く上で参考とした資料をお答えください。示せない場合はその理由をお答えください。

 B-2. p.11の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 今年4月、新型うつを特集したNHKが実施した調査では、新型とみられる社員がいると答えた企業は65%に上るなど、いま職場は新型うつ社員に翻弄されている。
【引用終わり】

 《職場は新型うつ社員に翻弄されている》とありますが、なぜ《翻弄されている》という表現を用いたのでしょうか。

 B-3. p.12とp.13の下記の記述についての質問です。
p.12

【引用はじめ】
 「悪いのは他人」という「他罰性」のほか、「新型うつ」の特徴は、些細なことでの挫折だ。学校の現場では、挫折した教師たちの休職が相次いでいる。
【引用終わり】

p.13

【引用はじめ】
 都教育庁によると、2010年度に精神疾患を理由に休職している教師は519人。08年度の540人をピークに減少傾向ではあるが、毎年500人を超える。
【引用終わり】

 後者について、教師の精神疾患による休職の増加のうち、貴誌の定義する「新型うつ病」によるものの寄与度はどのくらいだと考えておりますか。

 B-4. p.14の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 Aさんのようなタイプは最近「新型うつ」と呼ばれる。従来型のうつ病は、朝起きると気分が落ち込み、食欲や遊ぶ気力などはない。こうしたうつ病とは別の特徴をもつ症状は、「非定型うつ病」として分けて考える。
【引用終わり】

 それでは、なぜこのくだりでは、「非定型うつ病」というれっきとした呼称があるにもかかわらず、あえて「新型うつ」という呼称を用いたのでしょうか。

 B-5. 記事「「なんちゃって鬱」の病巣」に挿入されている、渡部芳徳医師による「各うつ病の特徴」という図について、この図は他の専門家によるレビューを受けたものでしょうか。そうでない場合、なぜ他の専門家にチェックさせなかったのかご回答願います。

 B-6. 「新型うつが日本を蝕む」のリード文には《明らかにこれまでのうつ病とは違う症状だが、職場でも家庭でも、いま日本中で大増殖している》とありますが、その《大増殖》を示す統計的根拠をご教示ください。ある場合は、なぜ示さないのか、ない場合は、なぜないと考えるのか、そしてどのような根拠で《大増殖している》とお書きになったのか、ご回答ください。

・質問B(週刊現代)

 B-1. p.62とp.63の下記の記述についての質問です。
p.62

【引用はじめ】
 仕事となると体調が悪くなるが、遊びなら何の支障もないというのが特徴で、従来のうつ病と異なる症状を示すため「新型」と呼ばれている。
【引用終わり】

p.63

【引用はじめ】
 このように、患者が医師の言葉尻をあげつらうのは珍しいことではない。新型うつの主な特徴として、吉野医師は、①自らうつであることを主張する、②他者非難、他責傾向が強い、③職場復帰を極力後回しにする、といった傾向を指摘するが、患者Bは、まさにこの3つに当てはまっている。
【引用終わり】

 これらのような記述をする際に参考にした文献や資料などをご教示ください。特に後者については、他の人の意見も参考にした上でこのように書いたのでしょうか。資料や根拠が示せない場合は、その理由をお答えください。

 B-2. p.63の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 これにより、やたらとうつに詳しく、診断書目当ての「患者」も増えている。
【引用終わり】

 「増えている」という根拠をお答えください。根拠がない場合、なぜ「増えている」と判断されたのかご回答ください。

 B-3. p.63の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 取材を進めると、こんな事実が明らかになってきた。「新型うつの患者は大企業と公務員に多い」と、専門家たちが口をそろえるのだ。
【引用終わり】

 こちらについて3件質問です。

 甲.《「新型うつの患者は大企業と公務員に多い」》としておりますが、どのような取材を行ってそのような結論に至ったのか、プロセスをご教示ください。

 乙.《専門家たちが口をそろえるのだ》としておりますが、何人の専門家に意見を伺ったのでしょうか。

 丙.このあとこの記事では、就業規則について述べられていますが、就業規則により長期休職ができることがどのように問題なのかご回答ください。

 B-4. p.65の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 追い詰められると普通に働くことができる――病気というにはあまりにも不自然だ。このように、生活保護の不正受給問題と同様、「権利ばかりを主張し、楽して利を取る」という人々が増殖しているという時代背景こそが新型うつの問題ではないだろうか。
【引用終わり】

 こちらに関して2件質問です。

 甲.なぜ唐突に「生活保護の不正受給問題」を持ち出したのでしょうか。ちなみに不正受給をめぐる問題をめぐる報道については、生活保護問題対策全国会議(注1)、反貧困ネットワーク(注2)、自由法曹団(注3)などが報道を批判する声明を出していますが、これらの存在はご存じでしょうか。

 乙.《「権利ばかりを主張し、楽して利を取る」という人々が増殖しているという時代背景》とありますが、《増殖している》というのはどのような根拠から述べているのでしょうか。

(注1) http://seikatuhogotaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-33.html

(注2) http://antipoviety-network.org/2012/06/10/バッシングを利用した生活保護制度の改悪を許さ/

(注3) http://www.jlaf.jp/html/menu2/2012/201206261226575.pdf

 B-6. p.65の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 新型うつが増えている原因は他にもある。一つは、うつ病の診断方法(アメリカの精神医学会が作成した「DSM」というマニュアル)が一般化したことで、誰でも容易にうつ診断が可能になったことと、SSRIという副作用の少ない抗うつ薬が開発され、処方されやすくなったこと。さらに、診療報酬の問題もある。
【引用終わり】

 こちらに関して2件質問です。

 甲.冒頭で「新型うつ」が増えている原因としてDSMが一般化したことを上げていますが、なぜそれが鬱病一般ではなく「新型うつ」が増加した原因と考えるのでしょうか。

 乙.SSRIが鬱病の診断を増やしたという意見は、一般にSSRI原因論として広がっているものですが、それを採択するに至った根拠をご回答ください。

 B-7. p.65の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 近年、こうした新型うつが急増していることについて、従来型うつの経験者はどのように見ているのか。15年前にうつを患った作家の荻野アンナ氏は、自身の経験を振り返ってこう話す。
「私が、親の介護からうつになったときは、眠りが浅くなって体が動かず、目覚めてから立ち上がるのに3時間程かかったこともありました。まだうつの情報は少なく、病気に気づかなくて『自分は怠け者だ』と責めてしまっていたのですが、『薬で調整できる』『医者に行けばいいんだ』ということがわかったときは、それだけで涙が出るくらい嬉しかった。新型うつの患者さんを知らないので、よくわからないですが、若いうちから『ストレスがあったら会社を休めばいい』なんてことに慣れてしまうと、その先、大変ですよね。まぁ、いろんな意味で、皮肉も込めて、いまはいい世の中なんでしょうけど」
 つらいことに直面したら逃げる、自分の利益を最優先する――易きに流れる人々が蔓延してることこそが新型うつの最大の原因であり、問題ではないか。
【引用終わり】

 こちらに関して4件質問です。

 甲.なぜ《従来型うつの経験者》として荻野氏を採用したのでしょうか。また、何人の《従来型うつの経験者》に取材したのでしょうか。

 乙.荻野氏は《新型うつの患者さんを知らないので、よくわからないですが》と述べておられますが、それならなぜ貴誌の言う「新型うつ」を知っている人を採用しなかったのでしょうか。

 丙.荻野氏の発言の中にある《まぁ、いろんな意味で、皮肉も込めて、いまはいい世の中なんでしょうけど》とは、どのような社会状況について述べた言葉なのでしょうか。

 丁.《つらいことに直面したら逃げる、自分の利益を最優先する――易きに流れる人々が蔓延してること》とありますが、その根拠を明示してください。明示できない場合は、なぜ《蔓延してる》と判断されたのでしょうか。

 B-7. 「新型うつ」に関する統計をご教示ください。この記事の中では数値的な情報が示されていませんが、「新型うつ」についての数値的な情報がある場合は、なぜ記事中で示さないのか、ない場合は、なぜないと考えるのか、そしてどのような根拠で増加していると認識したのか、ご回答ください。

・質問B(週刊文春)

 B-1. 連載第1回p.3下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 新型うつとは通称で、正式な病名ではない。だが、従来のうつ病とはあきらかに異なる症状で、いくつか共通した傾向もある。
 第一に、発症する年齢層が20代後半から30代の若い世代に偏っている(従来型うつ病は40、50代に多く発症する)。
 第二に、うつの原因に自分を責めるのではなく、他者を責める「他罰性」が強い(従来型は自分を責めて苦しむことが多い)。
 そして第三が、誰もが抱く疑問で、うつとされつつも、日常生活はさして障害がなく、合コンや海外旅行、コンサートなど自分の好きな活動にも問題なく参加できるという特徴だ。中には、療養中に結婚式を挙げた者もいる。
 会社では憂鬱で仕事はできないが、好きな活動は問題ない。休養中には「休む」以上のアクティビティに邁進する。こうした症状に周囲は困惑どころか、憤慨したりもする。
【引用終わり】

 これらのような記述をする際に参考にした文献や資料などをご教示ください。資料や根拠が示せない場合は、その理由をお答えください。

 B-2. 連載第1回pp.3-4の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 だが、それは「従来型うつ」の話。そんな症状とは一見ほど遠いのが新型うつだ。しかも、その数は驚くべき速さで増えている。
 厚生労働省の統計によれば、うつ病や躁うつ病などの気分障害は1999年の44万人から2008年にはじつに約2.4倍の104万人にまで増加した。
 企業人のうつ治療を多く手がけるメディカルケア虎ノ門の五十嵐良雄院長によれば、この増加分のほとんどが新型うつだという。
「過去のデータから追っていくと、1999年まで気分障害(うつ病、躁うつ病など)には大きな変化はない。ところが、2000年を境に急速に増えた。実感値で言えば、この増えた患者がそのまま新型うつといっていいでしょう」
【引用終わり】

 五十嵐院長は《実感値で言えば、この増えた患者がそのまま新型うつといっていいでしょう》と述べていますが、これについて、他の医師や専門家の意見・研究を参照して、正しいかどうかのチェックを行った上で掲載したものなのでしょうか。そうではない場合、なぜチェックを行わなかったのでしょうか。

 B-3. 連載第1回p.5の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 翌週、同社の人事と打ち合わせの際、郁也の話をしたところ、人事の人間は途端に困惑した表情を浮かべた。診断書を渡した日、郁也はツイッターでこう記していたのだという。
〈診断書ゲット!〉
【引用終わり】

 こちらについて、2012年6月28日 23時頃に「診断書 ゲット site:twitter.com」でgoogle検索をかけましたが、それらしいツイートを確認することはできませんでした。記事にあるような書き込みがあったことを、貴誌は直接確認したのでしょうか。

 B-4. 連載第1回p.7の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 もう1つ新型うつで難しいところは、再発するケースが多いことだ。
【引用終わり】

 従来型の鬱病より《再発するケースが多い》という統計的根拠をご教示ください。示せない場合、なぜ「再発するケースが多い」と判断されたのでしょうか。

 B-6. 連載第2回p.5の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 パナソニック健康保険組合東京健康管理センターの冨高辰一郎医師は著書『なぜうつ病の人が増えたのか』で様々な調査結果から、うつ病患者が増えたのはSSRIが登場したことだとして、こう記している。
〈うつ病患者が増え始めるのはSSRIの発売後である。実際、どの国や時代を調べても、経済の悪化に伴ってうつ病受診者が増えたという論文は見つけられなかった〉
 端的に言えば、効率のよい診断基準と新薬が登場したことで、患者の回転率も上がり→多くの患者を診ることができるようになり→患者数が増えやすくなったということだ。因果関係が逆のように思えるが、そこには先の要因、メディアが加わっている。
【引用終わり】

 第2段落の引用文における議論は、SSRI原因説として一部で広がっている認識ですが、ここに書いてあることを客観的に裏付けるような別の人による論文などを参照されましたか。

 B-7. 連載第3回p.4の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 自傷行為もしたことがあるという彼女は、自分の症状に歯がゆさを覚えつつ、なぜこうした病気になったのか、原因が何なのかを知りたいと願っていた。従来型と同様、「新型うつ」の当事者もまた、その症状、そして世間の見方に懸念を覚えていたのである。
 非定型うつ病、逃避型抑うつ、気分反応性うつ病、未熟型うつ病、現代型うつ病、ディスチミア親和型うつ病、双極性障害2型、適応障害……。
 ほとんどの人にはちんぷんかんぷんな言葉だろう。右に並べたのは、新型うつに関して取材を進める中で「似ている」と指摘されていた病名や症例名だ。いずれも会社での業務は難しいが、私生活や趣味は問題ない若者に顕著といった症状を示すものだった。
【引用終わり】

 こちらの引用文にもある通り、特に若い世代の精神疾患については、《非定型うつ病、逃避型抑うつ、気分反応性うつ病、未熟型うつ病、現代型うつ病、ディスチミア親和型うつ病、双極性障害2型、適応障害》などの様々な議論がなされてきました。ならばなぜこの連載ではあえて「新型うつ」という、他のメディアにおいては「怠け者」などのネガティブなイメージを多く持つ単語を最初から使っていたのでしょうか。

・質問B(週刊東洋経済)

 B-1. p.48の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 勤務中だけうつ状態に陥り、仕事を離れれば普通の生活に戻ることから、「5時までうつ」とさまざまな名称で呼ばれている。産業医、精神科医、産業カウンセラーなどの間で問題視され始めたのは7~8年前ぐらいから。その後、マスコミが取り上げたことで「新型うつ」が一気に知名度を上げた。
【引用終わり】

 《産業医、精神科医、産業カウンセラーなどの間で問題視され始めたのは7~8年前ぐらいから》とありますが、その根拠となるものをご教示ください。

 B-2. p.48の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 上司からの叱責などをきっかけに発症するケースが多く、周囲から“怠け病”としか思えない状況が続く。仕事が終われば、友人との飲み会にも普通に参加できるが、翌朝は起きられずに遅刻。仕事もミスが目立ちはじめ、精神科で診察を受けてうつ病との診断が下り、休職してしまうのが一般的なパターン。
(略)
自分がうつになったのは上司が悪いから、と他人の責任にしがち。休職して迷惑をかけても何とも感じない。状況で変化するので薬の効果も薄い。軽傷だが治癒しにくいため、人事部泣かせの病として注目度が増している。
【引用終わり】

 このような記述をする際に参考にした文献や資料などをご教示ください。特に《上司からの叱責などをきっかけに発症するケースが多く》と《休職して迷惑をかけても何とも感じない。状況で変化するので薬の効果も薄い》に関しては、病者の行為を一方的に非難する記述だと思いますが、こちらについては特に強く根拠の開示を希望いたします。資料や根拠が示せない場合は、その理由をお答えください。

 B-3. p.48の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 (略)日本うつ病学会のホームページは「新型うつについて精神医学的に厳密な定義はなく、その概念も検討されていない」としている。重症化する危険のあるうつ病は提携とされ、これに当てはまらない過食や人間関係による過敏症など特定の症状は非定型とする。数多くある非定型の中に含まれるのが、「新型うつ」であるということなのだろう。
【引用終わり】

 この下りにある通り、日本うつ病学会はいわゆる「新型うつ病」について、明確な定義はないとしております。しかしこの記事の中では、いわゆる「新型うつ病」について、「怠け病」などのネガティブなイメージばかりが並んでおります。それはなぜでしょうか。

 B-4. p.49の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 精神科医で作家の最上悠氏は、「少子化とネット社会の影響があるのは明らかだ」と指摘する。広島大学大学院の山脇成人教授は「(テレビゲームなど)簡単にリセットできるバーチャルな世界と違って、本当の対人関係では、一度けんかをすると、修復作業がすごく必要になる。そういったトレーニングをしていないと、周囲とのコミュニケーションに問題が発生しやすくなる」と話す。
【引用終わり】

 こちらに関して3件質問です。

 甲.この最上・山脇両氏の指摘と、この記事で採り上げられている「新型うつ」との関係はどこにあるのでしょうか。

 乙.最上氏は《少子化とネット社会の影響があるのは明らかだ》と述べておりますが、なぜ「明らかだ」という意見を検証もなく掲載したのでしょうか。

 丙.山脇氏の発言においてはテレビゲームのアナロジーが用いられておりますが、テレビゲームは人間関係の育成に役に立たないという暗黙の前提が置かれているように思えます。このような発言を掲載した理由をお答えください。

 B-6. p.49の下記の記述についての質問です。

【引用はじめ】
 ゆとり教育など競争を回避する社会で育ち、親からあまり怒られたことのない若者が増えている。社会生活のルールや協調性を学機会が減っているのかもしれない。
【引用終わり】

 こちらに関して2件質問です。

 甲.貴誌の考える「ゆとり教育」の定義を教えてください。

 乙.《親からあまり怒られたことのない若者が増えている》とありますが、その客観的な根拠を示してください。示せない場合は、なぜ「増えている」と断ずるのか、その理由をお答えください。

 B-7. p.49のイラストは、これが「新型うつ」の典型例として示しているものでしょうか。層でない場合、このイラストは何を示しているのでしょうか。

 B-8. p.48にといて《リーマンショック以降、20代の若手社員に増えているのが、「新型うつ」「現代型うつ」などと呼ばれる、一般的なうつとは異なるタイプの症状だ》としていますが、それを示す統計的根拠をご教示ください。P.49には「20~30代の不調者が増加している」として、労働行政研究所の調査を採り上げておりますが、そもそもこの統計は、最近3年間のものであり長期的なものではなく、さらにその主要因が「新型うつ」であることを示すものでもありません。「新型うつ」が増加しているという確固たる根拠がある場合は、なぜ記事中で示さないのか、ない場合は、なぜないと考えるのか、そしてどのような根拠で増加していると認識したのか、ご回答ください。

各誌からの回答

なお、『週刊文春』からはなかった。


『AERA』からの回答


『週刊現代』からの回答(一部加工)


『週刊東洋経済』からの回答

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