【顔面麻痺完治】身体が起こした「ストライキ」から1ヶ月。僕が取り戻した表情と、手放した仮面。
鏡の前に立ち、「イー」と口を横に広げてみる。 右側の口角が、ちゃんと上がる。
1ヶ月前、麻酔をかけられたように感覚を失った右顔面は、ようやく僕の意思で動くようになった。医師からも「ほぼ完治」のお墨付きをもらった。
本来なら手放しで喜ぶべきところなのだろう。けれど、僕の心にあるのは、安堵だけではない。どこか、「祭りのあと」のような静けさと、もう二度と「あの頃の自分」には戻れないんだな、という奇妙な確信だった。
これは、顔面神経麻痺(ベル麻痺)という強制停止イベントを通じて、僕が何を失い、何を得たのかの記録である。
身体からの「最終通告」
発症は11月27日だった。舌の右側の感覚がなくなり、翌日には右目が閉じにくくなった。 診断名は「末梢性顔面神経麻痺(ベル麻痺)」。 原因はヘルペスなどのウイルスの再活性化。免疫力が低下し、身体が悲鳴を上げた結果、神経がむくんで信号が届かなくなったのだという。
当時の僕は、仕事でキャパシティを超えていた。 仕事のプレッシャー、そして「期待に応えなければ」という強迫観念。 嫌われたくない、失望されたくない。そんな思いから、心では「NO」と叫んでいるのに、顔だけは必死に「愛想笑い」という仮面を貼り付けていた。
だから、顔が動かなくなった時、僕は直感的に思ったのだ。 「ああ、身体がストライキを起こしたんだ」と。
これ以上、自分を偽る仮面を被り続けることはできない。お前がその仮面を外さないなら、物理的に表情を作れないようにしてやる。 そんな、身体からの手荒い最終通告だったように思う。
病気という名の「免罪符」
治療のため、ステロイドの点滴を受け、身体を休める日々が始まった。 皮肉なことに、顔が動かなくなり、会社を休んだり在宅勤務に切り替えたりした期間は、僕にとって久しぶりに訪れた「安息の時間」だった。
社会人になってからずっと、僕は「休むこと」に罪悪感を抱いてきた。 何もしていない自分には価値がない。生産的でない時間は悪だ。 そうやって自分を追い立ててきたけれど、顔面麻痺という「わかりやすい病気」になったことで、ようやく僕は堂々と休む権利を得た気がした。「病気だから仕方ない」という免罪符がないと休めないなんて、どれだけ自分を虐待してきたのだろう。
皮肉にも、身体が壊れたことで、僕は初めて心からリラックスできたのだ。 自然の中でぼーっとしたり、ジャーナリングで思考を吐き出したりする中で、自分がどれだけ「世間の常識」や「他人の期待」に過剰適応していたかを痛感した。
筐体とOSが違う
療養中、僕は改めて自分の「取扱説明書」と向き合った。 僕はHSP気質で、刺激に弱く、マルチタスクが苦手だ。それなのに、スピードと変化が求められる環境で、外交的な「できる人」の真似をして働いていた。
それはまるで、スペックの低い軽自動車で、F1レースに出場しようとしているようなものだ。あるいは、自分のOSには対応していない重たいアプリケーションを、無理やりインストールしようとしていたようなものだ。
フリーズして当然だ。エラーが出て当然だ。 今回の顔面麻痺は、ただの「システムダウン」だったのだ。
元に戻った顔、戻らない生き方
1ヶ月が経ち、顔の麻痺はほぼ治った。 ドライアイで涙が出ることも減り、うがいをする時に水がこぼれることもなくなった。
でも、僕は決めた。 顔の機能は元に戻っても、生き方は元には戻さない。
もう、愛想笑いの仮面は被らない。 嫌なことは嫌だと、表情に出せなくても、心の中でちゃんと認める。 「期待に応える」ことよりも、「自分の感覚を守る」ことを最優先にする。
もしまた、僕が自分を偽って無理をして、愛想笑いでその場をやり過ごそうとしたら。 きっと僕の身体は、また全力でストライキを起こすだろう。次は顔だけじゃ済まないかもしれない。
「再発させないためにはどうすればいいですか?」 医師にそう尋ねた時、返ってきた答えはシンプルだった。 「ストレスを溜めないこと。無理をしないこと」
それができれば苦労はしないよ、と以前の僕なら思ったかもしれない。 でも今はわかる。それは「ワガママに生きる」ということではなく、「自分という人間のスペックを正しく理解し、その範囲で生きる」という、極めて現実的な生存戦略なのだ。
顔が動く。 自分の意思で、笑いたい時に笑える。 その当たり前の機能を取り戻した今、僕はその笑顔を、本当に心を許せる人たちと、自分が心から面白いと感じた時のためにだけ使っていこうと思う。
