【沖縄と歴代県知事】第1弾・屋良朝苗 〜敵とも手を組んだ「復帰の父」〜
ハイサイ!八重瀬町議会議員の秋田一成(あきた かずなり)です。
今年の9月、沖縄県では県知事選挙が行われます。沖縄の4年を、そしてこの先の沖縄のかたちを決める、とても大きな選挙です。
そこで、この選挙を前に「歴代の沖縄県知事」を紹介するシリーズを始めることにしました。県外にお住まいの方には「沖縄の知事って、こんな時代を背負ってきたんだ」と知ってもらいたい。そして県内の方には、9月の一票を考えるきっかけにしてもらえたらと思っています。
※このシリーズは、特定の党派や立場を応援するものではありません。
第1弾は、初代沖縄県知事・屋良朝苗(やら ちょうびょう)さんです。
■ 屋良朝苗ってどんな人?
在任期間:1972年5月15日〜1976年6月14日(初代沖縄県知事)

屋良さんは、もともと教育者で沖縄教職員会の会長として、長く祖国復帰運動を引っ張ってきた人です。1968年、アメリカ統治下で初めて行われた住民の選挙(主席公選)で当選し、1972年5月15日の本土復帰と同時に、初代の沖縄県知事に就任しました。このことから「復帰の父」と呼ばれています。
お酒も飲まず、タバコも吸わず、四六時中、沖縄の将来のことばかり考えている。あまりに生真面目で、周りから「屋良天皇」とからかわれたほど。一方で、常に手帳を持ち歩いて記録を残す「メモ魔」で、30年あまり書き続けた日誌は125冊にもなりました。日米交渉の苦悩で眉間にシワを寄せることが多く、「縦しわの屋良」とも呼ばれたそうです。
屋良朝苗日誌(沖縄県公文書館)
そんな屋良さんのエピソードを、3つ紹介します。
■ ① 政敵と手を組んで、一夜で県民の財産を守った
復帰の前、大事件が起きます。1971年のニクソン・ショックでドルが急落。当時の沖縄はドルを使っていたので、このままでは復帰のときに県民の財産が一気に目減りしてしまう。
ここで屋良さんが頼ったのが、山中貞則(やまなか さだのり)という政治家。立場は「革新 対 保守」で本来は敵同士ですが、実は山中さんは屋良さんの教員時代の教え子で、二人は師弟の間柄でもありました。二人は水面下で連携し、1971年10月9日、県内の銀行を一斉に閉めて、一日がかりで県民の持つドル紙幣に検印。この記録をもとに日本政府が差額を補償し、約294億円とされる県民の財産が守られました。
「沖縄通貨危機」に命をかけた政治家たち 沖縄返還の裏で行われていた極秘作戦

県民の財産のために、手段を選ばず、敵対する立場の人とまで手を組む。この行動力には驚かされます。しかも、いざという時に「この人なら」と頼れる相手が敵陣営にいた。屋良さんの人脈の広さがあってこそです。立場を超えて人と人がつながっていたこと、そして屋良さんの人柄と決断力が、県民の財産を守ったのだと思います。
■ ②「核抜き・本土並み・基地のない平和の島」
屋良さんは復帰の前、県民の願いを国に届けようと、自ら「建議書」をまとめました。中身は「核抜き・本土並み・基地のない平和の島」。県民の総意を込めた、いわば“沖縄からの注文書”です。
ところが、屋良さんがこれを携えて上京したまさにその日、国会では返還協定の採決が強行されてしまいます。建議書は、ほとんど中身を反映されないまま、沖縄は復帰の日を迎えました。復帰当日、嘉手納基地で、整然と並んだままの米軍機を眺めて、屋良さんはこうつぶやいたと伝えられています。
「復帰したというのに、何も変わっていないなあ」
この言葉は、半世紀たった今もずしりと響きます。正直に言えば、基地問題は今も解決していません。一方で、復帰から沖縄経済は大きく成長して、今では日本でもトップクラスの観光地になりました。それでも、屋良さんが願ったような根本的な解決には至っていない。これも事実です。

沖縄では、いつも「経済」と「基地」、この2つが天秤にかけられます。そして政治も、保守と革新が交互に政権を取り合ってきました。ふと考えます。もしあのとき、屋良さんの建議書がきちんと反映されていたら、今の沖縄はどうなっていたんだろうと。
※これは基地の賛否という話ではなく、“もしも”への素朴な興味です。
■ ③ ぶつかるより、粘る——「鈍角の態勢」
屋良さんが大切にしていた信条として、「鈍角(どんかく)の態勢」という言葉が伝えられています。
鋭い刃物のように“鋭角”で正面からぶつかれば、当たった瞬間に刃こぼれしてしまう。だから、巨大な相手(米軍や日本政府)に噛みつくのではなく、県民の支持という“厚み”を背中に、対立ではなく対話で、鈍く粘り強く押していく。革新の支持で当選しながら、保守の政権とも粘り強く交渉を重ねたのは、この姿勢があったからでしょう。
いまはSNSで「論破」がもてはやされ、速くて鋭いほどウケる時代です。屋良さんの“鈍角”は、その正反対の構えとも言えます。
情報が速くても、人の心がついてこなければ意味がない。発信されたことが、何でもそのまま鵜呑みにされてしまう今の空気は、正直こわいとも感じます。だからこそ、対話を重ねて粘り強く人の心に届かせていく屋良さんのやり方に強く共感します。
とはいえ、SNSを避けるつもりはありません。これだけ情報が行き交う時代に、発信そのものをしないのは、かえって無責任だと思います。大事なのは、速さや鋭さを競うことではなく、丁寧に、粘り強く、ちゃんと心に届く言葉を選ぶこと。私はそう思います。
■ おわりに
歴史上の人物だと思っていた屋良さんですが、その悩みや決断を知ると、今の沖縄が抱える宿題と、まっすぐつながっていることに気づきます。
経済か、基地か。速さか、粘りか。立場の違う相手と、手を組めるか。屋良さんが向き合った問いは、9月の県知事選で私たちが向き合う問いでもあります。
歴史を知ると、選挙が少し立体的に見えてくる。そんなシリーズにしていきたいと思います。次回は、第2代知事をご紹介します。どうぞお楽しみに!
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