映画「スタートレック」(1979年) - ただいま無料公開中!
最近、古めな映画がYouTubeで公開されることが増えてきたので、マメにチェックしていると、何とカーク船長とミスター・スポックのオリジナルシリーズの映画が公開されていることを発見しました。いやぁビックリです。既にAmazonPrimeでも見ることは出来たのですが、Prime会員でも別料金が取られるので、まだまだしっかり稼ぐ気なのだと思っていました。せっかくですから、公開当時の思い出を振り返りながら見直してみることにしましょう。
時は1979年、それは私がAPPLE][を手に入れた年で、そもそもこのパソコンを知ったのは、そうです「STARTREK」というゲームについて書かれた記事が始まりでした。
宇宙SFの時代 - 文藝春秋デラックス
もちろん「宇宙大作戦」は見たことがあったので、エンタープライズ号やクリンゴンといった世界観は知っていたのですが、それを(テキスト画面ですが)戦略ゲームに仕立てて遊ぶことが出来るなんて、パソコンの楽しさがどんなものであるのかを気づかせてくれるものでした。もちろん前年の1978年に大ブームとなったスペースインベーダーゲームの方が、ゲームらしくはありますし、もちろんパソコンでもプレイ出来ることは知っていたのですが、100円玉に追われずにジックリ考えて遊べる世界の方が憧れでした。
さて、その映画の方ですが、当時のアルアルで日本での公開は半年ほど遅れた1980年の夏でした。良く比較される最初のスターウォーズ・シリーズの第2作「帝国の逆襲」と同じ頃です。ですから少なくとも日本でのタイミングは最悪で、仰々しさばかりが目立ち貧相な特撮技術とありきたりのストーリーは少しばかりガッカリするものがありました。当時にも周囲にはいくらかのトレッキーがいたのですが、スターウォーズは娯楽映画で比べ物にならないと頑張っていたものの、少なくともこの映画に関しては「らしさ」が足りないことは認めていました。ユニフォームを変えたのもあまり印象は良くなかったですね。多分ですねぇスタートレックの方は「映画とはこういうモノ」という、それまでの概念に囚われすぎていたのだとも思うのですよ。スターウォーズ、つまりジョージ・ルーカスが卓越していたのは、それを覆したことだと思うのですが、まだ時代(というか制作陣)はそれに気がついていなかったのかもしれません。
まあ失敗作という批判を浴びながらも、それなりの成績を残したので、この後、数年おきに続編が作成され続けることになり、この映画の反省も活かされたようでまぁまぁの出来になりました。そしてテレビ放送を知らない人たちにもスタートレックの名前を知らしめるようにはなったのだと思います。
ということで、記念すべき映画版の第1作をお楽しみ下さい。
スター・トレック I (吹替版) ※残念ながら既に公開終了しました
NotebookLMによる解説動画
※相変わらず、漢字を読み間違えているところがチラホラ。ご容赦下さい。
あなたが知らない『スター・トレック』(1979) — 5つの衝撃的な製作秘話
1979年に公開された劇場版第一作『スター・トレック』は、その壮大で、時に瞑想的とも言える作風で知られています。しかし、スクリーン上で繰り広げられるドラマ以上に、その製作の舞台裏では遥かに激しい、破綻寸前の戦いが繰り広げられていました。
『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』が巻き起こしたSFブームの熱狂の中、伝説のシリーズを復活させるという一大プロジェクトは、まさに制御不能の自由落下状態でした。今回は、この映画が奇跡的に完成するまでの、創造と混沌が織りなす5つの衝撃的な製作秘話をご紹介します。
衝撃の事実1:これは元々映画ではなかった
驚くべきことに、『スター・トレック』劇場版第一作は、最初から映画として企画されたわけではありませんでした。そのルーツは、幻となったテレビシリーズの灰の中にあります。
このプロジェクトは当初、『スタートレック:フェイズII』 (Star Trek: Phase II) という新しいテレビシリーズとしてスタートしました。これはパラマウントが立ち上げようとしていた新テレビネットワークの目玉番組となるはずでした。
映画の核となるストーリー、つまり巨大な知性体「ヴィジャー」が創造主を求めて地球に迫るというプロットは、実はこの『フェイズII』のパイロットエピソードとして予定されていた「In Thy Image」という脚本が元になっています。映画に登場するデッカー司令官とアイリーア大尉も、元はこのテレビシリーズのメインキャラクターとして創造された人物たちです。
しかし、『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』が空前の大ヒットを記録すると、パラマウントの経営陣は考えを変えました。彼らはテレビシリーズの企画を白紙に戻し、このプロジェクトを社運を賭けた本格的な劇場用映画へと格上げすることを決定したのです。この決定が、後に続く壮大な混乱の序曲となりました。
衝撃の事実2:スポックは出演しないはずだった
『スター・トレック』にスポックがいないなど、今では考えられませんが、当初レナード・ニモイは出演を固辞していました。その背景には、パラマウントとの長年にわたる深刻な対立がありました。
ニモイは、自身の肖像が使われた関連グッズのロイヤリティを一切受け取っていなかったため、スタジオに対して強い不信感を抱き、新プロジェクトへの参加を拒否していたのです。そのため、『フェイズII』の企画段階では、スポックの代役としてゾオン (Xon) という新しいバルカン人のキャラクターが作られていました。
この絶望的な状況を覆したのが、監督に就任した巨匠ロバート・ワイズでした。熱心なトレッキー(スタートレックファン)であった妻の勧めもあり、ワイズは「レナード・ニモイの復帰」を監督を引き受けるための絶対条件としてスタジオに突きつけます。当時のスタジオ幹部マイケル・アイズナーが「耳の尖った奴がどうなろうと知ったことか!さっさと映画を作れ!」と吐き捨てたという逸話が残っているほど、スタジオ側の態度は硬化していましたが、ワイズの最後通牒は絶大な効果を発揮しました。
この強力な圧力により、スタジオはついに10年近く続いたニモイとの確執を解決。ちなみに、ニモイとウィリアム・シャトナーは「一方が得たものはもう一方も得る」という契約を結んでいたため、この解決金はシャトナーにも支払われ、映画の予算をさらに圧迫しました。こうしてスポックの復帰が実現し、代役のはずだったゾオンのキャラクターは脚本から姿を消したのです。
衝撃の事実3:視覚効果の制作は「大惨事」だった
本作には、当時の日本円にして100億円という破格の製作費が投じられましたが、その大部分を占める視覚効果(VFX)の制作は、完全な破綻状態にありました。
当初VFX監修に起用されたロバート・エイブルのチームは、莫大な予算と時間を費やしたにもかかわらず、スタジオ幹部が進捗を確認した時点で、完成していたのはたった1つのエフェクトショットだけでした。さらに悪いことに、スタジオは既に全米の劇場興行主から3500万ドルの前金を受け取っており、1979年12月の公開日は絶対に動かせないという状況でした。
このままでは公開は不可能と判断したスタジオは、エイブルを解雇。この危機的状況を救うため、まさに最後の賭けとして白羽の矢が立ちました。この危機を救うべく、『未知との遭遇』を手がけたダグラス・トランブル率いるFGC社が起用され、さらに膨大な作業を分担するために『スター・ウォーズ』のジョン・ダイクストラが率いるApogee社にも協力が要請されました。
しかし、当初視覚効果監修に起用したロバート・エイブルとそのスタッフが、…公開日に間に合わないと判断され解雇。製作スケジュールが遅れ予算もあまりかけられないという状況で起用されたのが『未知との遭遇』のトランブルと『スター・ウォーズ』のダイクストラだった。
彼らは残されたわずかな時間で、事実上ゼロから全てのVFXを制作し直さなければなりませんでした。そのプレッシャーは凄まじく、制作終了後、トランブルは過労と潰瘍で入院するほどだったと言われています。
衝撃の事実4:クリンゴン人の「あの顔」は本作で生まれた
『スター・トレック』シリーズを象徴する種族の一つであるクリンゴン人。彼らのギザギザの額は、今や誰もが知る特徴です。しかし、このデザインが確立されたのは、実はこの映画が初めてでした。
オリジナルのテレビシリーズ『宇宙大作戦』に登場したクリンゴン人は、特殊メイクも控えめで、より人間に近い外見をしていました。しかし、本作で初めて、彼らは現在まで続く隆起した額を持つデザインで描かれたのです。この一つのデザイン変更が、その後のフランチャイズ全体のクリンゴン人のイメージを決定づけることになりました。混沌とした製作の中で生まれた、数少ない揺るぎない功績の一つです。
衝撃の事実5:SF界の巨匠が「科学コンサルタント」として参加していた
本作のクレジットには、驚くべき名前が記されています。「スペシャル サイエンス コンサルタント」として参加したのは、SF界の「ビッグスリー」の一人、アイザック・アシモフでした。
彼が招かれたのには、非常に具体的で、そして少々滑稽な理由がありました。スタジオの保守的な重役たちは当初、「宇宙探査機が進化して巨大な機械生命体になる」というヴィジャーの基本設定に科学的な信憑性がないとして、強い抵抗感を示していたのです。
製作陣はアシモフという絶対的な権威を招き、このアイデアが科学的に十分あり得るものであると重役たちを何週間もかけて説得しましたが、効果はありませんでした。しかし、事態は思わぬ方向から解決します。男性誌『ペントハウス』に、NASAの宇宙研究所所長のインタビューが掲載され、ヴィジャーと全く同じコンセプトが語られていたのです。これを見た重役たちは、ようやく納得しました。この顛末について、アシモフは皮肉たっぷりにこう語っています。
「それが『ペントハウス』に白黒で載っていたものだから、スタジオは『これは本当だ、よし、そのエンディングでいけ』と考えたのさ」
SF界の巨人の権威よりもゴシップ誌を信じたこの逸話は、本作の製作がいかに奇妙で予測不可能だったかを物語っています。
結び
スクリーンにたどり着くまでの道のりは、エンタープライズ号のどの任務にも劣らないほど危険と困難に満ちていました。製作費と広告費がかさみ、「コストパフォーマンスが悪い」と評されながらも、映画は興行的に成功を収め、その後何十年も続くフランチャイズを再始動させるという最大の任務を果たしました。
これほどの混乱の中から作品が生まれることがあるとすれば、創造性とは一体何なのでしょうか?『スター・トレック』は、その答えの一端を、製作過程そのものをもって私たちに示してくれているのかもしれません。
スター・トレック (1979年の映画)
劇場版スタートレック
ヘッダ画像は、NotebookLMによるインフォグラフィック。
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