タイトルを知らない歌(耳ビジnote部)
私の好きな歌は、タイトルを知らない。
それは母が台所で口ずさんでいた歌だ。夕方、包丁がまな板を叩く音と、換気扇の低い唸りに混じって、母の鼻歌はいつも聞こえてきた。歌詞はほとんどなく、メロディーだけが、味噌汁の湯気と一緒にふわふわと居間まで漂ってくる。最後の音だけ、すこし長く伸ばす癖があった。
子どもの頃の私は、それを聞くと「ああ、もうすぐご飯だ」と思うだけで、特別な歌だなんて思ったこともなかった。
大人になって家を出て、自分で台所に立つようになった。鍋で野菜を炒めながら、ふと気づくと、何かを口ずさんでいる。あのメロディーだった。最後の音まで、母と同じように伸ばしていた。教わった覚えもないのに、指紋のように身体に残っていた。
歌というのは、こんなふうに人から人へ、こっそり手渡されていくものらしい。いつか母に、あれは何の歌なのかと聞いてみよう。そう思いながら、聞かないまま何年も過ぎた。
親というものは、いつまでもそこにいる気がしてしまう。電話をすれば声が聞けて、帰省すれば台所に立っている。だから急がなかった。
2年前、母はすい臓がんで急逝した。見つかったとき、残された時間はわずかだった。病室で何を話したのか、よく思い出せない。歌のタイトルも、とうとう聞けなかった。
葬儀が終わり、日常が戻り、悲しむ暇もなく仕事に追われた。
ある晩、遅く帰って、ひとりで台所に立った。湯を沸かし、ぼんやりと手を動かしていたとき、気づけば私は、あの歌を口ずさんでいた。
最後の音を、長く伸ばしていた。その瞬間、堪えていたものが一気に溢れた。流しの前で、声を殺して泣いた。母はもういない。それなのに母の歌は、私の唇の上に、まだ生きていた。
タイトルを知らないことを、以前は少し残念に思っていた。今は違う。楽譜もなく、レコードにもならず、検索しても出てこない。この世で私だけが歌えるのだとしたら、それは母が私にだけ残してくれた形見なのだと思う。財産でも遺言でもなく、湯気の中のメロディーひとつ。
台所に立つたび、私は歌う。うまくもない鼻歌を、最後の音を伸ばして、母がそうしていたように。私の好きな歌は、タイトルを知らない。けれど世界中のどんな名曲より、私を泣かせる歌である。
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