おばあちゃん、「マリの話をもう一度」
母方の祖母に会いに行くといつも、
「小波ちゃん!!やっと来たねーー!!
おばあちゃんな、待ちくたびれとったばい!!」
そう言いながらギューッと抱きしめてくれる。
毎月決まって同じセリフだった。
祖母は、少し離れたところに住んでいたけれど、私が幼い頃は毎月必ず連れて行かれた。
祖母にとって私は、初めての女の孫であり、自分の一人娘(私の母)が生んだ初孫でもあり、例えようのないほど可愛がってもらった。
時々、我が家の電話が鳴ると、母から「多分おばあちゃんだから、小波が出てみて!」と言われる。
私がこまっしゃくれて「はい、◯◯(名字)でございます」などとよそ行きの声で出たりすると、
「小波ちゃんな?!しっかりしなはったなぁ!はよう顔ば見たか!!次はいつ来らるっと?!」
(訳:小波ちゃんなの?しっかりしてきたねぇ。早く顔が見たい。次はいつ遊びに来てくれる?)
いや、こないだ行ったとこだよ、おばあちゃん!と思いながら、満更でもない。
「じゃあ、お母さんに代わるね!」と言っても、
「うんにゃ、まだよか!もっと小波ちゃんとしゃべりたか!!」と色々としゃべりかけてくれるのだが…
祖母は方言が強い。
会って話すときはなんとなくの雰囲気で伝わるし、相槌や笑うタイミングが掴めるのだが、電話越しだと実はよくわかっていなかった。
「えへへ」とか「うん、ううん?」等でごまかして数分を過ごした後、「お母さんが代わるって!ばいばい」と一方的に強制終了して受話器を母に渡していた。
そんなおしゃべりで話好きな祖母が幼い私に語って聞かせてくれていたお話の中で、大好きだったのが愛犬、マリの話。
祖母が子供だった頃に飼っていたという柴犬マリ。
手毬のようによく跳ねて転がるから「マリ」と名付けられたらしい。
「茶色の毛並みがツヤツヤしとってな。マリっ!ち呼ぶと、ワウ!ワウ!て言うてから、あっちさこっちさ、転げ回りよったたい」
マリが手毬のように転がる様を、祖母は、いつも楽しそうに嬉しそうに身振り手振りをつけながら話してくれるのだ。マリの話をしている時の祖母の手振りや表情が本当に楽しそうで、それを見るのが大好きだった。
いくら祖母の方言が強くても、マリの話は何十回もせがんで聞かせてもらったのでよく覚えている。
「マリが今も生きとんなら、小波ちゃんと遊べとったろうになぁ…」最後はいつも少し切なくなってマリの話は終わるのだ。
そんな祖母は、毎年端午の節句の頃になると、祖父と二人で私たち孫のために、ちまきを大量に作ってくれた。
まず、祖父が近くの川にちまきを巻く茅の葉を取りに行ってくれる。それを祖母が丁寧に洗って、中に
餅(だんご餅)を入れて、きれいに包んで茹でる。
本当に大量に作ってくれるので、5月の週末は、しばらく毎週がちまき祭り。
最初こそ「わぁーい、ちまきだ!!」と喜ぶものの、毎週となると飽きてきて「今日もまた昼ご飯、ちまきなん?」と不平不満をもらしていた。
今から思えば贅沢な話だし、祖父母に申し訳ない。
もう二度とあのちまきを食べることができなくなってから、その美味しさとありがたみを知った。
祖母が倒れたのは、私が社会人になって間もない頃。
当時、既に祖父は他界しており、祖母は叔父と二人で暮らしていた。
そしてある朝、朝食を作っている最中に倒れたらしい。
くも膜下出血だった。
幸い命は取り留めたものの、半身麻痺、言語障害が残った。
倒れる前はいつも朗らかでニコニコしていた祖母。
体質なのか食べても食べても痩せていて、年頃だった私が、たまに会った時に「おばあちゃんは痩せてるからいいなぁ♡」と言うと、「なーーん!!痩せていいこつなんかいっちょもなか!小波ちゃんのお肉ばちょっとばっかし、婆さまにはいよ!」
(訳:何も!痩せてていいことはひとつもない。小波ちゃんのお肉をおばあちゃんに少し分けてちょうだい)
お茶目に笑って私の二の腕の肉をぷにぷにしてた。
私がまだ結婚する前には、「小波ちゃん、こっち(祖母の住む県)に帰ってきなは。一緒に住も。」と言うこともあった。
私は既に県外に出ており、仕事も忙しくてなかなか会いに行くこともできず、それでも、祖母が寂しく思っているのはよくわかっていたので、時々手紙を書いた。
祖母はとても喜んでくれて、手紙が着くとすぐに電話をかけてきては、方言全開のトークを聞かせてくれた。相変わらず意味は半分もわからなかったけど、子供の頃よりは少しはわかるようになっていたし、嬉しそうな声を聞くだけで私も嬉しかった。
倒れた時の祖母は70代後半。
あんなにおしゃべりが大好きだったのに、倒れてからは一切の言葉が話せなかった。
まず、表情がほぼない。
私は、その時生まれて初めて祖母の真顔を見たかもしれない。それがとても悲しくて苦しくて、今思い出しても涙が出る。
それから、1年と少し、祖母は施設で過ごした。何度かお見舞いに行ったけれど、祖母に表情が戻ることはついぞなかった。
その後、2度目のくも膜下出血を起こして呆気なく亡くなってしまった。
亡くなったことは確かに悲しかった。
涙もたくさん出た。
でも、私は、最初に祖母が倒れて、祖母が祖母でなくなったときが一番辛かった。
そしておそらく誰よりも祖母が辛かったと思う。
祖母が亡くなったとき、ようやく苦痛から解放されたんだとさえ思った。
おしゃべりが大好きで、いつだって小波ちゃん小波ちゃん!と笑いかけてくれた祖母。
今年は祖母の23回忌。
もしあの世があるのなら、祖母にあの笑顔と方言全開の楽しいおしゃべりを取り戻していて欲しいと思っている。そして、私がいつの日か同じ世界にいけたなら、また愛嬌たっぷりの笑顔でマリの話を聞かせてほしい。
おしまい
