全部を賭けないことに、賭けているじゃないか。
「恋は盲目」という言葉をはじめて聞いたとき、ケッと思っていた。
そんなことになるわけないだろう。信じられない。やばい奴。
なんて心の中で思いながらバカにしていた。どんなに愛する人が目の前に現れても、さすがに盲目にはならんだろう、と。
でも実際に恋をしたらあっさりと盲目になってしまうのだから、人間って不思議なものである。
寝ても覚めても四六時中彼のことで頭がいっぱい。LINEは数分おきにチェック。既読スルーが続くと心臓がバクバクする。あれ?おかしなこと言っちゃったかな、と何度も送った内容をチェックする。やがて別れがくると、狂ったような精神状態になり、仕事もおぼつかなくなる。失恋ソングを聴きまくり、自分を重ねに重ね、電車の窓にうつった情けない自分に絶望する。「おれといたら幸せになれない」「傷つけたくない」というやさしいのか分からん言葉が頭のなかでずっとリフレインし続けて、男なんて、男なんて、男なんて!と思いながら、もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対なんて思いながら、また次の恋愛へいき、同じようなループにどハマりする。
「重い」「女房気取り」というささやきが聞こえてくるのを必死に振り払いながら、全部を賭けると言ってもいいくらいの盲目さで、彼に尽くす、尽くす、尽くしまくる。
….大なり小なり、そういう経験をしたことがある人っているのではないでしょうか。ハイ、ワタシはアリマス。
だから、今回ひろのぶと株式会社から出版される本「全部を賭けない恋がはじまれば」というタイトルを見たときウッと苦い顔をしてしまった。
「全部を賭けない恋」って、なんだそれ??..と。
私は「恋ってそれなりに賭けるもの」と生きてきた側の人間なので、この本は自分とは交わらないだろう、著者の稲田万里さんと私は別世界に生きる人だろうと思っていた。
そうして実際に読んだら、やっぱり別世界を生きてきた人だった。
恋に対して、男性に対して、最初から割り切っているところがある。
自分が傷つかないように、やがて終わるがくるものだから、とお互いに了承したうえでセックスに励む。これは ”ねっとり” よりも ”さっぱり” という表現がふさわしい。多少の苦味を残しながらさすらうように、次の場所、また次の場所へと向かっていく。
しかし、悔しいかな。ページをめくり出したら止まらなくて、あっという間に最後まで読んでしまった。ほんとうにさっぱりと、軽快に、一つひとつのエピソードが書かれていて今まで自分がしてきた重々しい恋のようにズドンと沈むことがない。なんなんだ、これは。
特にこの一文に、ぐっときた。
心の中に言葉を深く入れなければ、こういうことでいちいち傷つかない。人の言葉をずっと抱えておくと、それは次第に自分の言葉になってしまう。
あぁ、そうか。「賭けない」って、そういうことなのかと。
深く傷つかないために、自分で自分を守っている。性だけじゃなくって、生をまるごとむき出しにして注いでいる。それは決して放棄したのではなくて、最後までヤリきるために見つけ出した、彼女なりの技であるのかもしれない。
全部を賭けないことに、賭けているじゃないか。
私とは決して交わらないけれど、悔しいけれど、
めちゃくちゃかっこいい生き方だと思う。
だから一つ後悔があるならば、この本にもっと早く出会って読みたかったなぁということだ。
恋愛をしはじめた19歳くらいの頃に読んでいたら、私の人生は変わっていたかもしれないと思うのだから。
