鈴木大拙に聞く🎤禅は、なぜ世界の思想になったのか🌙千夜一夜物語第160夜 日本版
日本が西洋を学んでいた時代に、西洋へ禅を伝えた男
1870年、鈴木大拙は石川県金沢に生まれた。明治維新から間もない日本では、西洋の科学、軍事、法律、教育制度を急速に取り入れ、「西洋から何を学ぶか」が国家的な課題になっていた。
そんな時代に大拙は、逆方向の仕事を始めることになる。
日本が西洋文明を翻訳していた時代に、鈴木大拙は日本の禅を英語へ翻訳した。
国立国会図書館は、大拙を英文30冊以上、和文120冊以上の著作を残し、「禅を世界に広めた国際的な仏教学者」と紹介している。(国立国会図書館)
しかし、大拙が海外へ伝えたのは、「座禅のやり方」だけではなかった。
自我とは何か。
知識とは何か。
言葉になる前の経験とは何か。
人間は世界と切り離された存在なのか。
こうした問いを、西洋の哲学、心理学、宗教思想と対話できる言葉に置き換えた。
禅を宗教施設の中だけに置かず、人間の意識を考える思想として世界へ提示したのである。
金沢で育った青年
本名は鈴木貞太郎。1870年11月11日、金沢の武家医師の家系に生まれた。幼いころに父を亡くし、経済的には決して恵まれていなかった。学校を中退し、小学校教師として働きながら学問を続け、その後東京へ出た。(Nippon)
若いころから親しかった人物の一人が、西田幾多郎である。後に日本を代表する哲学者となる西田と大拙は、長く思想的交流を続けた。(Nippon)
大拙は東京専門学校、現在の早稲田大学の前身や東京帝国大学で学んだが、大学の学位を取ることよりも、次第に禅の実践へ関心を深めていった。
円覚寺で禅に出会う
1890年代、大拙は鎌倉の円覚寺で参禅し、今北洪川、そして釈宗演に師事した。1894年には「大拙」という道号を受ける。(国立国会図書館)
禅では、言葉や理論だけで真理を理解できるとは考えない。
自分自身が直接経験することが重視される。
ところが大拙は後に、「言葉では伝えきれない禅」を、膨大な言葉を使って世界へ説明することになる。
ここに大拙の生涯を貫く、面白い矛盾がある。
「言葉では分からない」と言いながら、本を書く。
「自分で経験せよ」と言いながら、講義をする。
しかも、それを日本語ではなく英語で行う。
27歳でアメリカへ
1897年、27歳の大拙はアメリカへ渡った。イリノイ州の出版社で編集や翻訳に携わりながら、約11年間をアメリカで過ごした。国立国会図書館は、この時期に『大乗起信論』や大乗仏教についての英語出版を行ったことを紹介している。(国立国会図書館)
大拙にとって、この11年間は単なる留学ではなかった。
西洋人がどのように宗教を考え、どのような言葉なら東洋思想を理解できるのかを、生活の中で学ぶ期間でもあった。
英単語を日本語へ置き換えるだけなら辞書でできる。
しかし、「悟り」「無心」「空」「禅」という概念を、西洋思想の中で意味を持つ言葉として説明するには、相手の文化そのものを理解しなければならない。
大拙が身につけた最大の能力は英語力だけではない。「相手の思考の中へ入り、その言葉で説明する力」だった。
英語で禅を発信する
1909年に帰国した大拙は、学習院や東京帝国大学で教え、1921年には大谷大学教授となった。同年、大拙と妻ベアトリス・レーン・スズキらは英文仏教誌『The Eastern Buddhist』の活動を始め、仏教思想を英語で海外へ発信していった。
これは重要だった。
西洋の研究者が日本へ来て禅を調べるのを待つのではない。
日本側から英語で直接、思想を発信したのである。
大拙は単なる翻訳者ではなかった。
西洋の哲学、キリスト教神秘思想、心理学などの語彙を使いながら、禅を現代人にも理解できる形へ再構成して説明した。
禅はこの過程で、「日本の寺院で僧侶が行う宗教実践」であると同時に、「人間の意識や存在について考える思想」として読まれるようになっていく。
79歳から、もう一度世界へ
第二次世界大戦後の1949年、大拙は79歳で再びアメリカへ渡った。
普通なら引退を考えても不思議ではない年齢である。
しかし大拙は、その後約10年間にわたり海外で講義を続けた。1952年からはコロンビア大学で仏教思想を教えた。
彼の講義には、大学の研究者だけでなく、芸術家、作家、音楽家、心理学者などが集まった。
コロンビア大学出版会によれば、作曲家ジョン・ケージ、心理学者エーリッヒ・フロム、芸術家やニューヨークの知識人たちも彼の講義に引きつけられ、その講義は戦後アメリカにおける禅への関心を高める重要な契機となった。(Columbia University Press)
禅は寺院から大学へ入り、大学から文学、音楽、美術、心理学へ広がっていった。
それでは本人に話を聞いてみよう。
インタビュー開始
――まず、自己紹介をお願いします。
鈴木大拙:鈴木大拙です。金沢に生まれ、鎌倉の円覚寺で禅を学びました。その後、アメリカで長く暮らし、日本と欧米を往復しながら、仏教、とりわけ禅について英語と日本語で書き、話してきました。
――世界的な禅の思想家ですね。
鈴木大拙:私は自分をそれほど立派な肩書で呼んだ覚えはありません。
――海外では「禅マスター」と呼ばれることもありました。
鈴木大拙:私は正式な禅僧の老師として世界を回ったわけではありません。むしろ、禅を経験し、それについて考え、それを人に伝える者でした。実際、西洋の人々から老師と呼ばれることはあっても、大拙自身がその地位を主張していたわけではありません。
――では肩書は。
鈴木大拙:教師くらいで結構です。
禅とは何ですか
――最も単純な質問です。禅とは何ですか。
鈴木大拙:その質問に完全に答えられたら、禅ではなく説明書になってしまうかもしれません。
――いきなり難しくなりました。
鈴木大拙:あなたは水の化学式を知っていますね。
――H₂Oです。
鈴木大拙:では、それを読めば喉の渇きは止まりますか。
――止まりません。
鈴木大拙:水について知ることと、水を飲むことは違う。
――禅も同じ。
鈴木大拙:禅についての知識と、禅が指し示す経験は同じではありません。
――だから「不立文字」なのですか。
鈴木大拙:言葉が不要という意味ではありません。言葉を現実そのものだと勘違いしてはいけないということです。
言葉を超える禅を、なぜ英語で説明したのか
――そこが最大の疑問です。言葉を超えるという禅を、なぜ何十冊もの英語の本で説明したのですか。
鈴木大拙:船に乗らずに海を渡れますか。
――難しいですね。
鈴木大拙:言葉は船です。
――目的地ではない。
鈴木大拙:そうです。言葉そのものが悟りではありません。しかし、他者をそこへ導くために言葉を使うことはできる。
――英語という船を選んだ。
鈴木大拙:世界の多くの人と話すには必要でした。
――禅を英語へ翻訳するのは難しかったでしょう。
鈴木大拙:非常に難しい。「空」を単にnothingnessと訳せば、「何もない」という意味に聞こえる。「無心」もmindlessnessでは誤解される。
――辞書通りでは駄目なのですね。
鈴木大拙:翻訳とは単語を置き換える仕事ではありません。相手の頭の中に、同じ問いを発生させる仕事です。
なぜ禅は西洋人を引きつけたのか
――キリスト教文化の西洋で、なぜ禅が受け入れられたのでしょう。
鈴木大拙:西洋人だから禅が必要だった、とは考えません。近代人が抱える問題と禅の問いが重なったのでしょう。
――どのような問題ですか。
鈴木大拙:自我とは何か。自由とは何か。知識が増えても、なぜ人間は不安なのか。世界と自分は、本当に別のものなのか。
――科学では答えにくい問いですね。
鈴木大拙:科学が悪いのではありません。科学には科学の役割があります。しかし、科学的知識をいくら増やしても、「私は何者か」という問いは自動的には消えません。
――戦後のアメリカで、そうした問いが強かった。
鈴木大拙:二度の世界大戦を経験し、科学技術が人間を幸福にするだけではないことも明らかになりました。
――原子爆弾まで生まれた。
鈴木大拙:知識が増えることと、智慧が増えることは同じではありません。
コロンビア大学の講義
――80歳を超えてからニューヨークで大学の講義をするのは大変ではありませんでしたか。
鈴木大拙:年齢は数字です。身体にはかなり効きますが。
――そこは禅でも消せない。
鈴木大拙:腰痛には哲学より椅子が必要です。
――講義には芸術家も多く来ました。
鈴木大拙:学問として仏教を研究する人だけではありませんでした。音楽家、画家、心理学者、文学者。皆、自分の問題を持っていました。
1952~53年のコロンビア大学での講義では、大拙は古典的な仏教思想だけでなく、キリスト教神秘思想、心理学、欧米哲学などとも関連づけながら禅を語った。コロンビア大学出版会は、この講義が戦後の「Zen boom」の重要な基盤の一つだったと評価している。
――ジョン・ケージも影響を受けた人物の一人ですね。
鈴木大拙:私の講義を聞いた人が、その後何を作るかは本人の仕事です。
――音楽まで変えてしまった。
鈴木大拙:禅が音楽を作ったのではありません。彼が禅との出会いを、自分の音楽へ変えたのでしょう。
禅は宗教なのか、哲学なのか
――欧米では禅が哲学のように扱われることがあります。
鈴木大拙:分類したがるのは、人間の習慣ですね。
――宗教ですか。
鈴木大拙:仏教の伝統の中にあります。
――哲学ですか。
鈴木大拙:哲学的に論じることもできます。
――心理学ですか。
鈴木大拙:心の働きについて語ります。
――結局どれですか。
鈴木大拙:あなたは夕日を物理現象、芸術、心理現象のどれだと思いますか。
――全部です。
鈴木大拙:それでよいのです。
禅が世界へ広がった理由の一つは、一つの専門分野だけでは囲い込めない問いを扱っていたことにある。
西洋向けに禅を単純化したのでは
――批判もあります。あなたは禅を「純粋な体験」「悟り」「無心」といった言葉で強調しすぎ、寺院制度、儀礼、戒律など歴史的な禅の複雑さを薄くしたのではないか、と。
鈴木大拙:その批判は考える価値があります。
――認めますか。
鈴木大拙:何かを別の文化へ伝えれば、すべてを同時には運べません。
――つまり編集した。
鈴木大拙:焦点を当てたと言ってください。
――便利な言い換えですね。
鈴木大拙:禅の歴史、寺院制度、儀礼を否定したわけではありません。ただ私は、文化の違いを超えて人間が直接理解できる部分を強く語りました。
現代の研究では、大拙が禅を「文化を超えた直接的経験」として強調したこと自体が、近代的な再解釈だったのではないかという批判もある。したがって、「大拙が西洋へ伝えた禅」と「日本の禅宗の歴史全体」を完全に同じものとして扱わない視点も必要である。
東洋と西洋を対立させたかったのか
――「東洋思想対西洋思想」という構図で語られることもあります。
鈴木大拙:私は、その二つを完全に分ける考え方自体を疑っていました。
――東洋は直観、西洋は論理、といった説明は。
鈴木大拙:説明のためには使えます。しかし、説明が固定観念になれば危険です。
――あなた自身、「世界市民」のような意識を持っていた。
鈴木大拙:日本人であると同時に、世界の一員です。
大拙は東洋思想を西洋へ伝えたが、一方の文化が他方より優れていると単純に主張したわけではなく、むしろ「東洋対西洋」という二分法そのものを越えようとしたと紹介されている。
――では、禅は日本人だけのものではない。
鈴木大拙:真理に旅券は必要ありません。
英語を学んだから、禅が変わったのか
――英語を身につけたことは、あなた自身の思想にも影響しましたか。
鈴木大拙:もちろんです。
――単なる伝達手段ではなかった。
鈴木大拙:別の言語を使うと、自分が当然だと思っていた概念を説明し直さなければならない。
――例えば「無」。
鈴木大拙:日本語なら「無」と言って済ませることができる場面でも、英語では「それはnothingなのか」と聞かれる。
――答えなければならない。
鈴木大拙:すると、自分も「無とは何だ」と考え直す。
――外国語によって、自国の思想が見える。
鈴木大拙:外国語を学ぶ価値は、外国人と話せることだけではありません。自分の言葉で無意識に使っていた考えを、もう一度考え直せることです。
禅を世界へ広めたのは大拙一人なのか
――あなた一人が禅を世界へ広めた、と考えてよいのでしょうか。
鈴木大拙:一人でそんなことができるはずがありません。
――師の釈宗演も海外で活動しました。
鈴木大拙:そうです。僧侶、研究者、翻訳者、移民、読者、出版社、多くの人がいました。
――奥様のベアトリスも。
鈴木大拙:英語による仏教研究と発信を共に支えました。『The Eastern Buddhist』も私一人の仕事ではありません。(EBS)
――それでも、あなたの影響は大きかった。
鈴木大拙:私は長く英語圏で暮らし、英語で書き続けた。それによって禅へ入る扉の一つを作ったのでしょう。
――禅そのものを輸出したのではない。
鈴木大拙:扉を作っただけです。入るかどうかは、その人が決めます。
なぜ禅は世界の思想になったのか
鈴木大拙以前にも、欧米には仏教への関心があり、日本の僧侶たちによる海外活動も始まっていた。
したがって「大拙一人が禅を世界へ広めた」という物語は単純すぎる。
しかし、大拙には他の人物とは異なる大きな強みがあった。
禅の実践を経験していた。
仏教文献を読めた。
英語を使えた。
西洋で長く生活していた。
西洋哲学や宗教思想と対話できた。
そして何より、相手に理解できる言葉へ禅を翻訳する力があった。
戦後にはコロンビア大学をはじめ欧米各地で講義し、その聴衆には哲学者、心理学者、作家、音楽家、芸術家が含まれた。彼らが大拙の禅を、それぞれ自分の分野へ持ち帰ったことで、禅はさらに広い文化へ拡散していった。
禅が世界の思想になったのは、大拙が禅を西洋化したからだけではない。西洋人自身が、禅の中に自分たちの問題を考える言葉を発見したからである。
現代人に禅は必要なのか
――現代ではスマートフォン、AI、SNSがあります。禅はまだ意味がありますか。
鈴木大拙:道具が増えたことと、人間の心が変わったことは同じではありません。
――情報は当時よりはるかに多いです。
鈴木大拙:だから静かになりましたか。
――逆かもしれません。
鈴木大拙:知識が不足して苦しむこともあります。しかし、知識が多すぎて苦しむこともある。
――常に何かを見て、比較して、判断しています。
鈴木大拙:禅は「何も考えるな」と言うのではありません。
――では何を。
鈴木大拙:自分の考えを、現実そのものだと思い込まないことです。
――SNSには必要そうですね。
鈴木大拙:私の時代にSNSがなくて幸運でした。
――フォロワーは相当増えたと思います。
鈴木大拙:悟りに「いいね」の数は関係ありません。
禅を英語で語ったことの意味
鈴木大拙の功績を「禅を英語で紹介した人」とだけ説明すると、その仕事の大きさを見失う。
翻訳とは、JapaneseをEnglishへ置き換えるだけではない。
異なる文化が持つ前提を理解し、相手の知っている概念を使いながら、それまで知らなかった世界へ導くことである。
大拙はそれを、半世紀以上にわたって続けた。
彼が翻訳したのは、言葉ではなく世界観だった。
そして、その翻訳を通じて日本人自身にも問い返した。
禅とは何なのか。
日本的とは何なのか。
東洋と西洋は本当に別なのか。
言葉では表せないものを、なぜ人間は言葉で伝えようとするのか。
――最後に、現代の英語学習者へ一言お願いします。
鈴木大拙:英語を学ぶ目的を、外国人と会話することだけにしない方がよいでしょう。
――ほかに何がありますか。
鈴木大拙:自分が知っていると思っていることを、英語で説明してみる。
――説明できないことに気づく。
鈴木大拙:そこから本当の学習が始まります。
――禅も同じですか。
鈴木大拙:知っている言葉ほど疑ってみることです。
――最後に、「禅とは何か」を一言でお願いします。
鈴木大拙:一言で説明しないことです。
――ここまでインタビューして、それですか。
鈴木大拙:それが禅らしい締めくくりでしょう。
世界を理解するために外国語を学び、外国語を通して自分を理解する。鈴木大拙が世界へ渡した禅は、その往復運動の中で「日本の思想」から「人間を考える思想」へ変わっていった。
