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山尾庸三に聞く🎤工場より先に技術者を育てる必要があったのか🌙千夜一夜物語第156夜 日本版


日本に工場を造れば、近代国家になれるのか

明治維新を迎えた日本は、欧米諸国との大きな技術格差に直面していた。鉄道、電信、造船、鉱山、製鉄、灯台、近代建築。西洋には新しい機械と巨大な工場があり、それを動かす技術者がいた。一方、日本には優れた職人や伝統技術があったものの、蒸気機関、鉄道、近代的な鉱山や造船所を体系的に設計し、運営する人材は決定的に不足していた。
そこで明治政府は、外国から機械を購入し、外国人技術者を雇い、各地に官営工場を建設した。しかし、外国人にすべてを任せている限り、日本は技術を利用する国にはなれても、技術を生み出し、修理し、改良する国にはなれない。
この問題に早くから気づいた人物が、山尾庸三である。
山尾は工部省の設置と工学教育の整備に関わり、後の東京大学工学部につながる工学寮・工部大学校の創設を支えた。国立国会図書館は、山尾を工部省で外国人技術者の招聘と日本人技術者の養成に尽力した人物として紹介している。
山尾庸三が目指したのは、外国の工場を日本に移すことではない。外国の技術を理解し、日本自身の力へ変えられる人間を育てることだった。

攘夷運動に参加した青年

山尾庸三は1837年、周防国吉敷郡二島村、現在の山口市秋穂に生まれた。父は庄屋を務め、山尾は若いころから航海術や西洋の学問に関心を持った。

だが、最初から西洋文明の導入を主張していたわけではない。1862年には長州藩の尊王攘夷運動に参加し、品川御殿山で建設中だったイギリス公使館の焼き討ちにも加わったとされる。
外国を追い払おうとした青年が、その翌年には外国の技術を学ぶため、命がけでイギリスへ向かう。
一見すると、激しい思想転換である。しかし、山尾たちの目的は外国を嫌うことではなく、日本を外国に支配されない国にすることだった。そのためには、精神論で外国を追い払うのではなく、外国の強さの理由を学ばなければならないと考えたのである。
攘夷の方法が、外国を焼くことから、外国に学ぶことへ変わった。

長州五傑として密航

1863年、山尾庸三は伊藤俊輔、井上聞多、井上勝、遠藤謹助とともに、藩の命令を受けてひそかにイギリスへ渡った。後に「長州五傑」「長州ファイブ」と呼ばれる5人である。当時は海外渡航が厳しく禁じられており、留学は失敗すれば命にも関わる行動だった。

5人はロンドンのユニバーシティ・カレッジで英語や西洋の学問を学んだ。伊藤博文と井上馨は、長州藩と外国との戦争を防ぐため途中で帰国したが、山尾はイギリスに残った。
山尾が向かったのは、大学の講義室だけではなかった。
スコットランドのグラスゴーへ移り、昼は造船所で見習い工として働き、夜は学校へ通った。数学、造船、機械技術だけでなく、工場の運営方法や労働の仕組みまで、現場で学んだとされる。

山尾は、技術を本から学ぶだけでは足りないと知っていた。理論は学校で学び、技術は現場で確かめなければならなかった。

日本には工場より先に学校が必要だった

1868年、山尾は約5年間の留学を終えて帰国した。明治政府は鉄道、鉱山、造船、電信などの近代事業を急いでいたが、それを担える日本人技術者はほとんどいなかった。

外国人技術者を招けば、鉄道を敷き、機械を動かし、工場を建てることはできる。しかし、外国人が帰国した後はどうするのか。機械が故障したとき、誰が直すのか。日本の地形や資源に合わないとき、誰が設計を変更するのか。
山尾が出した答えは明快だった。
まず、日本人技術者を育てる。
1870年、山尾らの建議を受け、殖産興業を担う工部省が設置された。翌1871年には、工部省が進める各種事業の技術者を養成するため、伊藤博文と山尾が工学寮の設置を建議した。

工場を一つ建てれば、一つの工場ができる。
しかし、技術者を一人育てれば、その人物は工場を建て、鉄道を敷き、橋を造り、さらに次の技術者を育てられる。
山尾は、建物ではなく、技術を増殖させる人間へ投資したのである。

工学寮から工部大学校へ

工学寮の学校は1873年に開校し、後に工部大学校と改称された。工学寮を率いたのが山尾庸三であり、教育の実務を担ったのが、スコットランド出身の若い技術者ヘンリー・ダイアーだった。

教育は、予科、専門教育、現場実習をそれぞれ2年ずつ行う、合計6年間の構成だった。教室で数学や科学を学ぶだけでなく、工部省が運営する鉄道、鉱山、造船所、電信施設などで実地教育を受ける仕組みが整えられた。

これは、単なる西洋知識の翻訳学校ではなかった。
理論を学び、設計し、実際に造り、失敗を検証する学校だった。
工部大学校は、土木、機械、建築、電信、化学、冶金、鉱山など、近代国家の建設に必要な幅広い分野を扱った。東京大学の資料は、理論教育と実践教育を組み合わせた山尾の構想を、当時として画期的なものだったと説明している。

同校からは、建築家の辰野金吾、電気技術者の藤岡市助をはじめ、日本の工業化を支える人材が育った。工部大学校は後に帝国大学へ統合され、現在の東京大学工学部につながっていく。

それでは、本人に話を聞いてみよう。

インタビュー開始

――まず、自己紹介をお願いします。
山尾庸三:山尾庸三です。長州藩からイギリスへ留学した5人の一人で、帰国後は工部省で日本の工業化と技術者教育に携わりました。工学寮、後の工部大学校の設立と運営にも関わりました。
――「日本工学の父」と呼ばれています。
山尾庸三:父と呼ばれるのはありがたいですが、工学は一人で育てられる子どもではありません。
――ヘンリー・ダイアーや外国人教師、学生、現場の職人も必要だった。
山尾庸三:ええ。近代化を一人の英雄の物語にすると、工事現場にいた大勢の人が消えてしまいます。

なぜ外国を焼いた後、外国へ学びに行ったのか

――あなたはイギリス公使館の焼き討ちに参加した後、イギリスへ留学しました。矛盾していませんか。
山尾庸三:若いころの私は、西洋諸国を追い払えば日本を守れると考えていました。
――建物を焼けば、イギリスが諦めると。
山尾庸三:今考えれば、巨大な工業力と海軍力を持つ国に対し、公使館を一つ焼いて勝てるはずがありません。
――それでも実行した。
山尾庸三:当時は、相手の強さを知らなかったのです。
――イギリスへ行って何が分かりましたか。
山尾庸三:軍艦の強さは、大砲だけから生まれるのではありません。鉱山、製鉄所、造船所、鉄道、学校、金融、工場、それを動かす人材のすべてがつながっていました。
――軍艦だけを購入しても追いつけない。
山尾庸三:外国の強さは製品にあるのではなく、製品を次々と生み出せる仕組みにありました。

なぜ工場より先に技術者なのか

――日本の近代化には、工場より先に技術者を育てる必要があったのですか。
山尾庸三:工場だけなら、外国から買えます。
――機械も輸入できます。
山尾庸三:しかし、機械は故障します。資源も気候も地形も、イギリスと日本では違います。そのとき、設計図を読めず、改良もできなければ、工場は大きな輸入品のままです。
――外国人技術者を雇い続ければよいのでは。
山尾庸三:高い費用を払い続け、重要な判断を外国人に依存する国を、独立した近代国家と呼べるでしょうか。
――技術者教育は、経済政策であると同時に安全保障だった。
山尾庸三:そのとおりです。
工場は国家の筋肉です。しかし、その筋肉を動かし、鍛え、治す技術者は国家の頭脳です。

日本に学校を造るのは早すぎなかったのか

――当時の日本には、まだ本格的な工業がほとんどありません。工科大学を造るのは早すぎたのでは。
山尾庸三:工業ができてから技術者を育てようとすれば、誰が最初の工業を造るのですか。
――卵が先か、鶏が先かですね。
山尾庸三:少なくとも、蒸気機関は卵から生まれません。
――先に外国人に造ってもらい、その横で日本人が学ぶ方法もあります。
山尾庸三:それも必要です。だから工学寮では、教室と実地教育を分けませんでした。
――学校で理論、現場で実習。
山尾庸三:理論だけの学生は、現場で機械が動かない理由が分かりません。経験だけの職人は、新しい機械を一から設計するのが難しい。
――両方を持つ人材が必要だった。
山尾庸三:近代工業に必要なのは、手を使わない学者でも、理屈を知らない職人でもありません。頭と手を同時に使える技術者です。

ヘンリー・ダイアーとの学校づくり

――ヘンリー・ダイアーとは、どのような関係でしたか。
山尾庸三:ダイアーは若かったですが、工学教育について明確な構想を持っていました。私は日本が必要とする技術者像を伝え、彼は教育制度として具体化しました。
――外国人に学校づくりを任せることへ反対はありませんでしたか。
山尾庸三:外国人を雇う目的は、外国人に永久に任せることではありません。日本人が学び、やがて自分たちで運営できるようにすることです。
――教師を輸入したのですね。
山尾庸三:教師だけでなく、教育方法を導入しました。
――西洋の制度をそのままコピーしたのですか。
山尾庸三:日本には短期間で多くの技術者を育てる必要がありました。ですから、複数分野の工学教育と現場実習を一つの学校で行う、日本の事情に合った仕組みにしました。
山尾とダイアーは、ともにグラスゴーで学び働いた経験を持ち、工部大学校では理論と実践を統合した教育を進めた。

技術は外国から買えないのか

――外国の特許や機械を購入すれば、研究開発をしなくても近代化できるのでは。
山尾庸三:最初は購入してもよいでしょう。私たちも外国製の機械を使いました。
――では、自前の技術者は不要では。
山尾庸三:購入した技術を理解できなければ、価格も性能も判断できません。相手の説明を信じるしかなくなる。
――買い物をするにも知識が必要だ。
山尾庸三:さらに、外国の技術が日本に最適とは限りません。地震の多い国、急流の多い国、山の多い国には、それに合った設計が必要です。
――技術の国産化とは、外国製品をまねることではない。
山尾庸三:外国から学んだ原理を、自国の問題を解決する力へ変えることです。

工部省は何を造ったのか

――工部省は鉄道、電信、鉱山、造船所など、多くの事業を抱えていました。役所が産業を経営する必要があったのですか。
山尾庸三:民間に資金も技術も十分にない時代です。誰も最初の大規模投資を引き受けなければ、国家が始めるしかありません。
――政府が工場を造り、政府が技術者を育てる。
山尾庸三:最初の基盤を造るためです。永遠に政府がすべてを経営するという意味ではありません。
――官営事業には無駄も多かったのでは。
山尾庸三:もちろんです。新しい事業には失敗もあります。
――税金で実験した。
山尾庸三:民間企業の失敗は会社が負いますが、国家事業の失敗は国民が負います。だからこそ、技術だけでなく、経営と責任を理解する人材が必要でした。

学校の成果が出るまで待てたのか

――工場なら完成すれば、すぐ姿が見えます。しかし、教育の成果には時間がかかります。
山尾庸三:それが教育への投資が後回しにされやすい理由です。
――道路や建物の方が、成果を説明しやすい。
山尾庸三:学校を建てても、翌日に技術者が出てくるわけではありません。
――政治家には不人気ですね。
山尾庸三:自分の任期中に成果が出ない事業は、始めたくない政治家もいるでしょう。
――それでも工学寮を造った。
山尾庸三:近代化は数年で終わる仕事ではありません。今すぐ工場で働く人と、十年後に工場を設計する人を、同時に育てる必要があります。
教育とは、まだ存在しない未来の産業へ、先に人材を送り込む仕事です。

なぜ聴覚障害者の教育にも取り組んだのか

――あなたは工学教育だけでなく、盲・聾教育にも関わりました。なぜですか。
山尾庸三:イギリスの造船所で、耳の不自由な人が熟練工として働いている姿を見たとされています。
――障害があっても、教育と訓練によって技術者になれる。
山尾庸三:人に能力がないのではなく、能力を伸ばす教育が用意されていない場合があります。
――工部大学校と盲聾教育は、別の活動ではないのですか。
山尾庸三:根は同じです。
――どのような根でしょう。
山尾庸三:人間の可能性を、教育によって社会の力へ変えることです。
山尾は帰国後、盲学校と聾学校の設置を政府に建白し、楽善会による訓盲院の設立にも関わった。筑波大学附属聴覚特別支援学校は、英国の造船所で働く聴覚障害者を見た経験が、その活動の背景になったと紹介している。

山尾にとって教育は、選ばれた秀才だけのものではない。社会が見落としていた能力を発見する仕組みでもあった。

外国人教師に依存しすぎなかったのか

――工部大学校では、多くの外国人教師を雇いました。それでは外国依存ではありませんか。
山尾庸三:最初から日本人教師だけで最新工学を教えられたなら、苦労はありません。
――外国人の給与は高額だった。
山尾庸三:高い費用でした。しかし、教師が学生を育て、その学生が次の教師や技術者になれば、知識は国内に残ります。
――機械を買えば、古くなります。
山尾庸三:人を育てれば、その人が新しい機械を学び続けます。
――教師を雇う方が、機械を買うより長期的な投資だった。
山尾庸三:設備は使用すれば古くなります。教育された人間は、使用するほど経験を増やします。

技術者は政治から独立できるのか

――技術者を国家が育てると、政府の命令に従うだけの人材になりませんか。
山尾庸三:国家事業を担う以上、公共の目的は必要です。
――しかし、政府の判断が常に正しいとは限りません。
山尾庸三:そのとおりです。だから技術者には、命令を実行する能力だけでなく、計画が安全か、費用に見合うか、事実に基づいて判断する力が必要です。
――政治家に都合の悪い意見も言う。
山尾庸三:橋が危険なら、政治家が安全だと言っても橋は安全になりません。
――現代にも通じます。
山尾庸三:技術者の忠誠は、上司の機嫌ではなく、事実と公共の安全へ向けられるべきです。

工場より先に育てるべきもの

明治政府は、欧米から機械、制度、教師、設計図を導入した。しかし、それらを日本の力として根づかせたのは、学び、試し、失敗し、改良した日本人技術者たちだった。
山尾庸三は、すべての機械を自分で発明したわけではない。自ら鉄道網を完成させたわけでも、全国の工場を経営したわけでもない。
彼の大きな功績は、技術者が継続的に育つ仕組みを造ったことにある。
一つの工場は、一つの製品を作る。
一つの工学校は、数十年にわたって工場、鉄道、橋、通信網、発電所を造る人材を送り出す。
近代化の本当のインフラは、線路でも工場でもない。それらを造り、維持し、次の世代へ伝える人間である。

日本の近代化には、工場より先に技術者が必要だったのか

――最後に、中心テーマを聞きます。日本の近代化には、工場より先に技術者を育てる必要があったのですか。
山尾庸三:正確には、工場の建設と技術者の育成を同時に始める必要がありました。
――学校だけでも、工場だけでも足りない。
山尾庸三:工場のない学校では、学んだ知識を試せません。学校のない工場では、外国人が去った後に技術が残りません。
――どちらを重視しますか。
山尾庸三:長く国を支えるのは人です。
――機械ではなく。
山尾庸三:機械を設計したのも人、動かすのも人、故障を直すのも人、次の機械を造るのも人です。
――現代ではAIやロボットが仕事をします。
山尾庸三:それを作り、使い方を決め、誤りを直すのは誰でしょう。
――やはり人ですね。
山尾庸三:国が本当に輸入すべきものは、完成した製品だけではありません。新しいものを学び、自分たちの力で作り直せる能力です。
――山尾庸三の近代化とは、人材育成だった。
山尾庸三:工場を建てれば、今日の産業が生まれます。技術者を育てれば、まだ名前のない明日の産業が生まれます。

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