104 前編:AIと対話するようになって、自分は考えなくなったのか?
AIが当たり前になった日常
AIを使うことが当たり前になった。
調べ物をする時、文章を書く時、考えを整理したい時。以前なら一人で悩みながら答えを探していたようなことも、今ではAIとの対話の中で短時間で整理できる。
実際、その恩恵は大きい。
頭の中で絡まっていた考えが整理される。知らない知識にも素早くたどり着ける。文章の構成に悩んだ時も、別の視点を提示してくれる。
数年前の自分が見たら驚くだろう。
こんな便利な道具が手元にあるのだから。
記事を書く機会が増えてからは、なおさらその便利さを実感するようになった。
以前であれば、一つのテーマについて考えをまとめるだけでも時間がかかった。頭の中にあるものを整理し、順序立てて言語化する。途中で行き詰まり、また考え直す。その繰り返しだった。
今は違う。考えを投げかければ、AIが整理して返してくれる。別の視点もくれる。自分では気付かなかった論点まで提示してくれる。まるで優秀な対話相手を得たような感覚だった。
しかし、便利さを感じる一方で、最近ある違和感を覚えるようになった。
以前よりも物思いにふける時間が減った気がする。散歩をしながら答えのないことを考える時間も減った。何日も同じ問いを抱えながら過ごすことも少なくなった。
疑問が浮かべばAIに聞く。考えがまとまらなければAIに相談する。気が付けば、昔よりも早く答えにたどり着けるようになっていた。
そのこと自体は悪いことではない。
それでも心のどこかで引っかかる。
本来なら何日もかけて考えていたことを、数分で終わらせてしまっているのではないか。
そんな疑問が浮かんだ。そしていつしか、一つの問いに行き着いた。「AIによって自分は考えなくなったのではないか?」
失われるのは仕事だけなのか?
AIについて語られる時、よく耳にするのは仕事の話だ。AIによって仕事が奪われる。あるいはAIによって生産性が向上する。
どちらも間違いではないと思う。
実際、技術革新はこれまでも仕事の形を変えてきた。だが、自分が気になったのは少し違う部分だった。
仕事ではなく、人間そのものへの影響だ。
AIが知識を補い、思考を助けてくれる時代になった時、人間はどう変わるのだろうか。
人類は進化するのだろうか?
それとも退化するのだろうか?
そんなことを考えるようになった。
ふと振り返ると、これまで大切にしてきた時間の多くは、一人で考える時間だった。
散歩をする。
ジャーナリングを書く。
趣味に没頭する。
その中で浮かんだ問いを、自分なりに咀嚼する。答えが出ないことも多かった。むしろ答えが出ないことの方が多かったかもしれない。
それでも、その時間には確かな意味があった。
考えたり悩んだりしている最中は苦しいこともある。
しかし振り返ると、その時間があったからこそ見えてきたものもあった。
だからこそ不安になった。
AIによって失われるのは仕事だけなのだろうか。もしかすると、人間が人間らしく考える時間そのものが失われていくのではないか。
そんな不安を抱きながら、答えを探し始めた。
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まだまだ未熟な文面多々見られるかと思いますが、何卒ご容赦くださいませ。
当記事があなたにとって意味ある記事であることを願っています。
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