立場をまたいだ人間が、分断の中でどう言葉を持つか
先日、船内で一等航海士から冗談交じりにこんなことを言われた。
「どうすんの?このままじゃ会社潰れちゃうよ。ちゃんと当事者意識持ってる?」
半分は冗談、半分は本音。コーヒーブレイク中の、船内では時々ある、笑いを含んだ少し重たい会話だった。
けれど、そのとき私は何も言葉にできなかった。
その言葉の背景には増える中途採用者や新人の力量に対する不安があったのだと思う。現場を回す側からすれば「この先、本当に大丈夫なのか」という危機感がある。人が入ってきても、即戦力になるわけではない。むしろ教える側の負担が増えることもある。
そしてもう一つ、その問いには別の意味もあった。
私は一度、陸上勤務を経験し、再び海上勤務に戻ってきた。だからこそ一航士は単に「会社についてどう思うか」を聞きたかったのではなく、
「陸を見てきたお前は、この現場の不満や不信感をどう受け止めているのか」
そんなことを少し冗談めかして確かめたかったのかもしれない。
海上勤務だけをしていると、陸上部門はどうしても遠い存在になる。「現場を分かっていない」「結局しわ寄せは本船に来る」「陸上は何をしているのか」そうした不満や不信感が積み重なっていくのは自然なことだと思う。
一方で、陸上勤務を経験すると陸には陸の事情があることも分かる。何も考えていないわけではない。誰かが現場を軽んじているわけでもない。会社としての方針、関係各所との調整、すぐには変えられない構造もある。
ただ、それを知っているからといって現場の不満を簡単に否定できるわけでもない。
現場のしんどさは確かにある。本船でしか見えない負担がある。机上では分からない緊張感がある。その場その場で判断し、身体を動かし、責任を引き受けている人がいる。
だから私はそのとき言葉に詰まったのだと思う。
会社を一方的に擁護するのも違う。現場の不満にただ同調するのも違う。どちらかの側に立って分かりやすい答えを出すことができなかった。
けれど今振り返れば、その沈黙は自分が立っている場所の複雑さに気づいた瞬間だった。
陸と海。会社と現場。管理する側と動かす側。
本当はそんなふうに単純に分けられるものではない。けれど、組織の中ではどうしても分断が生まれる。見えている景色が違えば言葉も違ってくる。お互いに悪意がなくても「分かっていない」と感じることはある。
その中で両方の立場を少しずつ経験した人間には、たぶん役割がある。
それはどちらか一方の代弁者になることではなく、会社の説明係になることでも、現場の不満をそのままぶつけることでもない。
両方の景色を知ったうえで、言葉を探すこと。どちらの正しさも簡単には切り捨てず、それでも自分の立場で何ができるかを考えること。
陸上勤務を経験した人間として、私は会社側に対する不信感はまったく持っていない。
少なくとも私が見てきた範囲では、陸上の人たちの中に、乗組員のことを蔑ろに考えている人は一人もいなかった。むしろ、それぞれの立場で本船のことを考え、どうすれば現場を支えられるかを模索している人たちばかりだった。
もちろん、陸と海では見えている景色が違う。考えていることがうまく伝わらないこともあるし、現場から見れば不満や疑問が生まれる場面もある。けれど、それは「どちらかが悪い」という話ではなく、立場の違いから生まれる距離なのだと思う。
だからこそ私は陸上を経験して海上に戻ってきた者として、その距離を少しでも埋められる存在でありたい。
そして何より、自分たちの世代でこれからの現場を支えられるようになりたい。上の世代の方たちが「この先も大丈夫だ」と少しでも安心できるように、今の自分にできることを一つずつ積み重ねていきたい。
当事者意識とは、威勢よく会社の未来を語ることだけではないと思う。
現場の不満を聞き流さないこと。会社の思いも簡単に疑わないこと。立場の違いによって生まれる距離を、自分の言葉と行動で少しずつ埋めていこうとすること。
立場をまたいだ人間が、分断の中でどう言葉を持つか。
今回の沈黙は、その問いを自分に残した。
