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根性論より、理由を知りたいと思う





■「頑張れ」という言葉が苦手だった



私は昔から、「頑張れ」「気合いで乗り越えろ」という言葉が、あまり得意ではありませんでした。


もちろん、その言葉に励まされる人がいることも知っています。


実際に根性や粘り強さで困難を乗り越えてきた人もたくさんいるでしょう。


だから、根性論そのものを否定したいわけではありません。


ただ、私自身には、その言葉があまり響かないのです。


それよりも、


「なぜ、それをやる必要があるのか。」


「どういう理由で、その行動が必要なのか。」


そういった説明があるほうが、私は納得して前へ進むことができます。


振り返ってみると、この考え方には、幼い頃の経験が大きく影響しているように思います。



■理由よりも、従うことを求められた幼少期



私の幼少期は、決して穏やかなものではありませんでした。


父はDVをする人でした。


怒る理由が理解できないことも多く、ただ恐怖だけが残る日もありました。


「なぜ怒られているのか。」


「何がいけなかったのか。」


そう考える余裕もなく、ただ怒鳴られ、萎縮し、顔色をうかがう毎日でした。


子どもだった私は、「理由を知ること」よりも、「怒られないようにすること」を覚えていきました。


自分の考えを伝えることもありませんでした。


反論すれば、もっと怒られるかもしれない。


質問すれば、言い返したと思われるかもしれない。


だから黙る。


従う。


それしか、自分を守る方法がありませんでした。



■学校でも同じような経験をした



学校へ行けば、安心できる場所になると思っていました。


でも、そうではありませんでした。


教師から強い口調で叱責されることもありました。


「言われた通りにしろ。」


「余計なことを考えるな。」


そんな空気を感じることがありました。


もちろん、先生方には指導する立場があります。


学校生活にはルールも必要です。


ですが、子どもだった私は、「なぜそうする必要があるのか」が分からないまま命令されることに、苦しさを感じていました。


説明より命令。


納得より服従。


その積み重ねが、「理由を教えてほしい」という気持ちを、より強くしていったのだと思います。



■社会に出てから気づいたこと



社会人になってから、さまざまな職場で働いてきました。


ダブルワークをしていた頃。


期間工として働いた頃。


長時間労働が続いた職場。


今の工場。


働く環境は何度も変わりました。


その中で気づいたことがあります。


私は、「理由を説明してくれる上司」のもとでは安心して働けるということです。


「この作業は安全のために必要です。」


「この順番でやると効率が良いです。」


「このルールには、こういう理由があります。」


そう説明してもらえるだけで、納得して行動できます。


一方で、


「いいからやれ。」


「昔からこうなんだから。」


「気合いが足りない。」


そう言われると、心が閉じてしまいます。


やる気がなくなるというより、「考えることをやめてしまう」のです。



■納得できると、人は前向きになれる



私は、人は納得すると動ける生き物だと思っています。


理由が分かれば、自分で考えられます。


考えられるから、工夫もできます。


工夫できるから、成長にもつながります。


反対に、「考えるな」と言われ続けると、自分で判断する力まで失われてしまいます。


私自身、幼い頃は自分で考えることが怖くなっていました。


「間違えたら怒られる。」


「目立ったら責められる。」


そんな経験が積み重なっていたからです。


だからこそ今は、「考えていいんだ」と思える環境を大切にしています。



■根性だけでは続かない



私は、これまでたくさん無理をしてきました。


睡眠時間を削って働いたこともあります。


二交替勤務で生活リズムが崩れたこともあります。


借金を返すために必死だった時期もあります。


その頃は、「頑張るしかない」と思っていました。


でも、それだけでは続きませんでした。


身体も心も限界があります。


だから最近は、「頑張る理由」を考えるようになりました。


健康でいたいから歩く。


未来の自分のために自炊をする。


読者に届けたいことがあるから文章を書く。


理由があると、不思議なくらい続けられます。


気合いだけではなく、自分が納得できる理由があるからです。



■人にも理由を伝えられる人でありたい



この経験を通して思うことがあります。


私は、人に何かをお願いする時も、理由を添えられる人でありたいということです。


「これをやって。」


ではなく、


「こういう理由があるからお願いしたい。」


そう伝えたい。


そのほうが、お互いに気持ちよく動けると思うからです。


恐怖で人を動かすことはできるかもしれません。


でも、それは長くは続きません。


信頼や納得の上にある行動のほうが、ずっと強く、長く続くものだと思います。



■おわりに



私は今でも、「気合いで何とかしろ」という言葉に少し身構えてしまいます。


それは、過去の経験があるからでしょう。


父や教師との出来事が、私の考え方に影響を与えていることは間違いありません。


ですが、その経験があったからこそ、私は「理由を伝えること」の大切さにも気づくことができました。


人は、命令だけでは動けないことがあります。


説明され、納得し、安心して初めて、一歩を踏み出せることもあります。


少なくとも私は、そういう人間です。


だからこれからも、根性だけに頼るのではなく、「なぜそうするのか」を考えながら生きていきたいと思います。


そして誰かと関わる時も、相手が納得できる言葉を選び、理由を丁寧に伝えられる人でありたい。


それが、幼い頃の私が本当に欲しかったものだからです。



ここまで、この記事を読んでいただきありがとうございます🙇

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