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「男らしさ」が、ずっと分からなかった



■ 男らしさを求められるのが、怖かった


学生時代の自分を振り返ると、「男らしさ」という言葉に、いつも居心地の悪さを感じていた。

男らしくしろ。

堂々としろ。

もっと胸を張れ。


そう言われるたびに、私はなぜか縮こまってしまった。

反発する勇気もなく、うまく応えることもできず、ただ黙ってやり過ごすしかなかった。


今思えば、あの頃の私は、精神的にかなり追い込まれていた。

両親の離婚。

父親からのDV。

家庭の中に安心できる場所がなく、常に緊張した状態で生きていた。


そんな状態で「男らしくあれ」と言われても、どうすればいいのか分からなかった。



■ ナヨナヨして見えたかもしれない自分


端から見れば、私はナヨナヨした生徒だったのかもしれない。

声は小さく、姿勢も悪く、視線は下がりがち。

堂々としている同級生と比べれば、頼りなく見えただろう。


男性の教員からは、よく叱咤された。

「もっとしっかりしろ」

「男なんだから」

「そんな態度じゃダメだ」


その言葉を聞くたびに、私は自分が否定されているような気がした。

行動ではなく、存在そのものを否定されている感覚だった。



■ 恐怖の中で、堂々とすることはできなかった


今なら、はっきり言える。

あの頃の私は、堂々とできる状態ではなかった。


家では、父親の機嫌を損ねないように振る舞う必要があった。

言うことを聞かなければ、叩かれるという恐怖があった。

だから、常に周囲の顔色をうかがい、刺激しないように生きていた。


そんな人間が、学校に行った途端、

「堂々としろ」「男らしくしろ」と言われても、無理な話だった。


それは、震えている人間に

「震えるな」と命じるようなものだったと思う。



■ 男らしさという言葉の、雑さ


「男らしさ」という言葉は、とても便利だ。

理由を説明しなくても、

相手の事情を考えなくても、

一言で片付けることができる。


でもその便利さは、時に残酷でもある。


なぜ堂々とできないのか。

なぜ弱々しく見えるのか。

そこに至るまでの背景を、一切見ないまま、

「男らしくない」と切り捨ててしまう。


あの頃の私は、

男らしさを求められていたのではなく、

ただ「扱いやすい強さ」を押し付けられていただけだったのかもしれない。



■ 男らしさが分からなかった10代


10代の私は、「男らしさ」が何なのか、本当に分からなかった。

強く出ることなのか。

我慢することなのか。

弱音を吐かないことなのか。


どれも、しっくりこなかった。


そもそも、自分の気持ちすら分からなかった。

怖いのか、悲しいのか、怒っているのか。

それを考える余裕もなかった。


だから、男らしさについて考える以前に、

「生き延びること」で精一杯だったのだと思う。



■ 20代で気づいた違和感


20代になっても、「男らしさ」は分からないままだった。

それでも、少しずつ違和感を覚えるようになった。


「男らしくしろ」と言う人たちは、

本当に強いのだろうか。

本当に余裕があるのだろうか。


むしろ、

弱さを見せることを恐れているようにも見えた。


自分の弱さを隠すために、

他人に「男らしさ」を押し付けているのではないか。

そんなふうに思う瞬間が増えていった。



■ 30代で、少しずつ見えてきたもの


30代になって、ようやく自分なりの答えが見え始めた。

それは、はっきりした定義ではない。

でも、以前よりもずっと静かで、現実的なものだった。


男らしさとは、

声を張ることでも、

強がることでも、

弱音を封じることでもない。


怖いときに、怖いと認めること。

無理なときに、無理だと言えること。

助けが必要なときに、人に頼ること。


それもまた、立派な生き方なのだと、今は思っている。



■ 男らしくなれなかった自分を、責めなくなった


最近の私は、

男らしくなれなかった過去の自分を、あまり責めなくなった。


あの頃の自分は、

弱かったのではなく、傷ついていただけだった。

堂々とできなかったのではなく、

常に身を守る必要があっただけだった。


そう考えると、

ナヨナヨしていたと言われた自分も、

必死に生きていた一人の人間だったのだと思える。



■ 今の自分が思う、男らしさ


今の私にとっての男らしさは、とても地味だ。

派手さもなければ、分かりやすさもない。


それは、

自分の弱さを知っていること。

無理をしすぎないこと。

他人に強さを押し付けないこと。


そして、

過去の自分を、切り捨てずに抱えて生きること。


それができるようになった今、

私はようやく少しだけ、安心して立っていられる。



■ 「男らしさ」が、ずっと分からなかった自分へ


もし、あの頃の自分に声をかけられるなら、こう言いたい。


男らしさが分からなくて、当然だった。

怖い中にいた人間に、

分かりやすい強さなんて持てるはずがなかった。


分からないままでも、生きていてよかった。

時間をかけて、自分なりの形を見つければよかった。



■ 同じ言葉に傷ついた人へ


もし今も、

「男らしくしろ」という言葉に苦しんでいる人がいたら、

その違和感を大切にしてほしい。


堂々とできなかった時期があってもいい。

ナヨナヨして見える時間があってもいい。


それは、弱さではなく、

あなたが生き延びてきた証かもしれない。


ここまで、この記事を読んでいただきありがとうございます🙇

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