わたし、うつになりました#12
そんなある日のことだった。
事業部全体のオンラインミーティングで、組織の「今後の方針」について語られた。画面の向こうで語られている内容は、どれも「本来あるべき姿」であり、とても共感できる素晴らしいものだった。
しかし、その綺麗な理想と、現場のあまりに過酷な実態とのギャップが、私の胸に重くのしかかった。猛烈な虚しさを感じ、私は「この会社での明るい未来は見えない」と、完全に希望を失ってしまった。
心の中に限界が近づいていたのだろう。職場にいた臨床心理士・公認心理師のスタッフに、私は思わずその絶望を口にしてしまっていた。するとそのスタッフは親身になって、
「僕が間に入って、マネージャーにあなたの状態を伝えようか?」
と言ってくれた。
しかし──私はその差し伸べられた手を、自ら振り払ってしまった。
誰かが間に入ってくれたところで、どうせこの現場の何もかもが変わるわけがない。そんな諦めが、私の思考を支配していたのだ。
この間も、職場の心理士からは時々声をかけられていた。だが、ある日ついに、私の調子が著しく悪いことを知っている現場のメンバーから、臨床心理士へ直接情報が伝わっていた。心理士は私の前に来ると、いつになく強いトーンで忠告した。
「〇〇さんの様子について、メンバーから聞いてるよ。このまま繁忙期に入ったら、本格的なうつに突っ込むことになるよ」
しかし、「繁忙期はもう目の前」だった。
当時の私には、もうなすすべがなかった。完全に属人化してしまっているプロジェクトの中で、「この資料を作れるのは私だけだ。自分がやるしかない」と思い込んでいたからだ。事実、本来は現場で対応するはずの資料作成を、本部のマネージャーがいくつか引き受けて作らざるを得ないほど、組織の体制は逼迫していた。
◇
年末、実家に帰省した際、迎えに来ていた親からは、車に乗ったそばから「調子が悪い」と言われた。顔に出ていたのだ。
年明けの受診では、消化器内科の主治医から「やっぱり(年末年始に)休めば良くなるんだね」と言われ、改めて「適応障害」と「睡眠障害」の診断だと告げられた。そして医師は、「ほんとはちゃんと休んだほうがいいんだけどね……」と、前回と同じ言葉をぽつりと残した。
2月に入ると、再び「もうやっていく自信がない」という思いに強く襲われるようになった。
「リーダーになって1年目だから、分からなくて当たり前だ」と自分に言い聞かせようとは思いながらも、心身ともにすり減っていく。また、日によって調子の波が非常に大きくなり、ここで初めて「しばらくゆっくり休みたい」という気持ちが、本音として心の底から湧き上がってきた。
その波の激しさは、まるで壊れた携帯電話のように、急にプツンと電源が落ちたかと思うと、しばらく時間が経つと何事もなかったかのように普通に戻る、という状態だった。周囲の目から見ても「明らかにおかしい」と言われるほどの、異常な波だった。
そして、いよいよ恐れていた繁忙期が始まった。
初日、私は耐えがたいほどの激しい頭痛に襲われ、近くの薬局へ痛み止めを買いに走った。すでに常用していた睡眠薬があったため、飲み合わせを薬剤師に確認する必要があったのだ。
カウンターで相談している最中、よほど私の顔が酷かったのだろう。私の顔をじっと見つめていた薬剤師さんから、消え入るような声でこう言われた。
「……このような状態でも、お仕事は休めないのですか?」
この日は、プロジェクトのキックオフ(初日)だった。「早退したい」なんて、とうてい言えるはずもなかった。
◇
この頃の私は、完全に脳のブレーキが壊れた「過集中」の状態に陥っていた。
2ヶ月ほど、月60時間の残業を平然とこなしていた。細かく休憩時間を計算に入れれば、実質は70~75時間ほど働いていただろう。休憩を取ることすら忘れ、夕方にパタッとエネルギー切れを起こしては、倒れ込むように短時間の休憩に行く……という日々が続いた。土曜や夜間も、気がつけば自宅で少しずつパソコンを開いて仕事をしていた。
異常なのは、この時期、私がそんな働き方をしていても、会社から何かを注意されることも一切なかったことだ。
そして、何より一番負担が大きかった。 「初めて手がける提案書」であるにも関わらず、社内のチェックもサポートもないまま、ダイレクトにクライアントの手に渡るのだ。いくら、昨年の資料を活かした修正とは言え、コロナ禍で情勢も変わっている。
「もしクライアントから何か指摘されたらどうしよう」 「これで提案が通らなかったらどうしよう」
そんな不安と重圧が、常にあった。
この頃には、睡眠薬を服薬していても「入眠困難」と「中途覚醒」に朝まで悩まされるようになっていた。
しかし、脳の麻痺とは恐ろしいものだ。寝られなくても、なぜか疲労を感じないのだ。私はそのアドレナリンによる麻痺をいいことに、限界を遥かに超えて無理をして働き続けた。
それでも私は、以前親から言われた「病院には行かなくて大丈夫」を頑なに信じて、専門医である「精神科」の受診を避けていた。自分がそんな大ごと(病気)になっているとは微塵も思っていなかったのだ。
それなのに、ただ、「会社を辞めたい」というモードだけが、数日間ずっと頭を離れなくなっていた。
当時は全く自覚がなかったが、私は重度の食欲不振にも陥っていた。
朝や昼はゼリー飲料などの軽いものだけで済ませ、夜はサバの塩焼きだけ。時には、大好きな茶わん蒸しやアイスクリームを、ほんの3分の1しか口にできない日もあった。
体重は、徐々に、しかし確実に落ち続けていた。
結果として、ここからトータルで13キロも激減することになるのだが──。
この時の私はまだ、自分の身体がどれほどの飢餓状態にあり、ボロボロになって悲鳴を上げているのかさえ、全く気づいていなかった。
