イジメられる側に原因があっても無くても、イジメていいわけ無いやろがい
ニュースにも取り上げられましたが・・・栃木県の県立高で、男子生徒が別の男子生徒に対し殴る・蹴るといった暴行を加えているとみられる動画がSNS上に投稿され炎上しておりますな。
この事件についてはnoteの民もいろいろと記事化して論を述べておりますね。
さてこういう場合は「イジメる側」と「イジメられる側」のどちらに非があるのか論がいつも話題になりますが・・・今回は生々しい暴力の動画を目の当たりにしたので、イジメられる側の非を唱える人は殆ど見かけませんな。
まぁそういうモンです。
いくらアタマのなかで理屈立ててリベラル論を掲げたくとも、実際にブッ飛ばされる映像を目の当りにしたら、そんな綺麗ごと言ってられんでしょう。
という訳で、イジメる側に非があるのは避けようもない事実。
そもそもイジメられる人がいるからイジメが起きるのではなく、イジメる人がいるからイジメが起きるのだ。
ではイジメる側とイジメられる側のどちらに原因があるのかというお話ですが。
これはケースバイケースでどちらとも言えない。
勿論イジメる側が原因で起こるイジメが殆どのケースだと思うが、一応そうでない場合も考えておいてもらいたいです。
例えばの話ですが、イジメられる側が不義理を働いて誰かを傷つけたとする。
それに対して義憤を覚えたヤツが、正義の制裁を下してるつもりでイジメになるケースもある。(特に男女の交際問題からから始まるイジメとか
正義気取りの面倒臭ぇヤツらが、自らの正義執行に酔いしれてるってのが物凄く厄介。
人は誰かを叩く時、正義と言う大義名分を掲げればどこまでも残虐になれるモノだからなぁ。
過剰なSNS叩きなどは、大抵がこの歪んだ正義執行者なのではないか?
では仮にイジメられる側に問題があった場合、イジメられるのは当然か?
いや、ンなこたぁ無えだろがい。
誰にどんな原因があろうが、イジメていい理由なんかあるわけが無い。
キチンと話し合って、双方トコトンまで言いたい事を言い合うも良し。
話し合いの余地すらないなら、今後は極力、互いが関わらないように距離を置けばよい。
自分にとってどうしようもなく合わない人間だとて、攻撃しなければ気が済まない、その加虐性にこそ問題アリだ。
だからメンタルケアやアンガーマネジメントが必要なのは、イジメる側の方ではなかろうか。
そしてイジメが行われる土壌では、加害者を頂点としたイジメを容認するような暗黙のルールが成り立っているので、その組織体系を崩さねばならない。
だから加害側全員を転校させて、ヒエラルキーの底辺からやり直させる必要があると思うのです。
つまり何が言いたいかというと「是非論」と「原因論」は分けて考えなければいけませんよ、という事です。
でも如何なる原因があろうとも、いじめを是とする方式は成り立ちませんよ。
自分と合わない人間、いけ好かない人間、腹の立つ人間なんかいくらでもいるんだから、それをいちいち叩いてたらダメなんじゃないかね?
私にだってムカつく人間はおりますよ。
だけどそいつらの失敗を願ったり、叩いたり、足を引っ張ったりするほど落ちぶれちゃいねぇ。
ただこちらに関わること無く、勝手に幸せにも不幸にもなってくれ、わたしゃ知らん!という立場である。
さてイジメには「イジメる人」「イジメられる人」「傍観者」の3種が存在します。
この傍観者という立ち位置の是非については、note内でも意見が分かれておりますな。
次回はこの「傍観者」について話したいと思う。(気が向いたら
ちなみにハリーさんはどの立ち位置かって?
そりゃ「イジメられる側」でんがな。
ちなみに今は「イジメられる側」から、「とことん戦う側」に転じましたが。
守るべきモノも無いし、失うモノなど何も無い。
仮に右の頬張られてそのまま俯いているようでは、私はそんな私自身を誇れない。
勝てるか勝てないか、損か得かは問題ではないのです。
理不尽に屈したまま抵抗すらしない、そんな自分が許せないのだ。
と、いつも腹くくって生きているのですが、何故かかつてのイジメっ子と再会しないんだよなぁ。(勿論自分からは仕掛けないが、売られた喧嘩は買う
まぁ今後もイジメる側になるつもりは無いし、かといって我関せずと日和見する事も無い。
だからこそ理不尽に晒されてる人を目の前にしても、逃げることなく戦う。
この辺のエピソードはいくつか記事にしてあるので、ハリーマニア(誰だ?)ならご存じでしょう。
世界平和を謳うつもりは無いが、とりあえずオイラの半径3m以内でイジメや狼藉が起ころうものなら黙っちゃいねぇ。
同調圧力というモノがヘドが出るくらい嫌いなので、オカシイと思った事には異を唱えます。(空気は読んでも従わない
あの頃の自分を助けてくれる人など1人も居なかったから、せめて自分くらいはそんな人になりたいし、後ろめたさを感じながら生きるのはまっぴらゴメンだね。
どうせ1度は失いかけた命だし、いつ死んでも悔いのないような生き方だけは心掛けたいモノです。
