【ショートショート】 十六夜の門にて 《3つのお題に空想のひらめきを第51回》

丑三つ刻の手前。とうに寝静まった村に、秋口の虫たちだけがなんとか音を繋ごうと、草の後ろからか細くリィンと鳴いている。絹糸の手ざわりに似た十六夜の月光が注ぐも、時折丸い頬をくすぐる薄い雲がかかる。
入り門を潜り、六尺を越える逞しい鬼が村の領に足を踏み入れる。住民に気付かれないよう、慎重で柔らかな足取りをして、小川を渡る古い木橋を進んでいった。
一軒の家の前で鬼は止まり、戸口で膝をついて身を屈める。そこに櫛を置いた。鶴だけが控えめに描かれた櫛。持ち主の女の子は十ぐらいだろうか。一人のときは鼻歌を唄い、よく家の手伝いをしている子だ。
鬼はゆっくりと立ち上がり、来た道をまたそろりと引き返した。入り門を出たところで夜の空を見上げる。月は、幕の中での秘め事に誘おうとする雲に靡くことなく、くっきりと輝いていた。
「もう用は済んだの? 泣き虫おにさん」
不意を突かれた鬼は急ぎ振り返る。門柱の前に、一匹の三毛猫が座っていた。
「…化け猫か」
「あら、初対面で随分無粋な言い方ね。これでもこの村じゃ、桜を咲かせる猫なんて縁起もの扱いなのに」
鬼は一つ小さな溜め息をつく。
「そちらもだろう。初対面で泣き虫などと。あの娘の落とし物は届けた。私は山に戻る。邪魔したな」
くるりと猫に背を向け、鬼は歩き出す。
猫は後ろ姿に声をかける。
「ちょっと待ってよ。朝はまだ先。月夜のもちつきはもうしばらく続くわ」
鬼が歩を止める。
「他に何の用だ?」
猫が動き、鬼の前に回り込む。
「あなたを見たのは、今日で二度目かも知れない」
「…何?」
「大きな戦で、私はたまたまそこに居合わせた。ある侍が、先陣を切って馬を駆り、敵陣に突っ込んで行った。修羅のような顔をしながら、なぜか大粒の涙をボロボロと溢して。今のあなた、その時の侍にそっくり」
「…」
「後で聞いたわ。その侍、戦の直前で父親に裏切られたのよね。もともと主君に不満があり、後妻が産んだ次男のほうを可愛がってそちらに家督を継がせたかった。それで侍が城を離れたのを見計らって、父親は居城ごと敵方に寝返ってしまった。侍がその事実を知ったのは、あの戦場でだったと。心当たり、ないかしら?」
風も虫の音もない。どちらも闇夜の懐に隠れて息を潜めている。
「…心当たりがあったとしてそれが何だ? そんな侍はもういない。いたとして人の形を成していない」
猫は少し首を傾げる。
「そう? こんな夜中に女の子が落とした櫛をわざわざ忍び足で届けに来るなんて、かなり人間くさいと思うけど」
鬼と猫の目が合う。この時だけ、月も写らず。
やがて鬼が、観念したようにふっと笑う。
「全く。ズケズケと物を言う猫だ。もう明け方は冷えるようになってきた。風邪を引くなよ」
「ねぇ、もしあなたが人間に戻れたら、また来てくれる? 泣き顔しか知らない男なんて、なんだか目覚めが悪いもの」
そよりと一つ、風が吹いた。
「わかった。その時はな」
鬼は山のほうへと去っていった。
翌朝、女の子が戸口で櫛を見つける。
失くした櫛が戻ってきたと、弾んだ声で家族に伝えた。
腰の曲がった祖母が顔をほころばせ、山の守り神さんが届けてくれたんかねぇ、と言う。
女の子は櫛に残った太い指跡をまじまじと見る。
守り神さんって、ごっつい指してるんやねぇ。
数年の後、四里ほど東の村に一組の夫婦が移り住んできた。
長身の夫と、物怖じしない妻。子供を授かり、生涯をその地で終えた。
元ネタMemo
猪苗代盛胤 1565〜1641
蘆名氏に仕えた猪苗代家十四代当主。
伊達と蘆名の決戦、摺上原の戦いでのいきさつは作中のとおりで父・盛国は伊達側に寝返った。
蘆名敗走後、常陸に逃れる。仕官の誘いもあったが蘆名敗北の責任は我が身にあるとし、これを固辞。
故郷にほど近い猪苗代町内野で農民として妻子と暮らし、生涯を閉じた。
子の盛親は鳥居忠政(鳥居元忠の次男)、保科正之に仕え、算術の達人として知られた。
*こちらに参加させていただきました🙇♂️
今回のお題を見たとき、盛胤のことを書いてみた
くなりました
お題:
桜を咲かせる猫
月夜のもちつき
泣き虫おに
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