古典擅釈(22) 強さについて『折りたく柴の記』③
正済は日常生活においても、同じような姿勢を守り続けました。
白石の記すところをたどってみましょう。
――私に物心がついたころ、父の髪にはもう黒い筋が少なくなっていた。
顔は四角で、額は広く、目は大きくて、髭は多く、背丈は低めであったが、全体に骨太で、たくましく見えたものだ。
喜怒哀楽を顔色に表すことはなく、笑うときも声高に笑われたことはない。
人を叱るときにも、荒々しい言葉は使われなかった。
ものをおっしゃるときも、言葉は少なく、立ち居ふるまいは軽々しくなかった。
驚かれたことや、騒がれたこと、事に耐えかねなさったことなどは、見たことがない。
たとえば灸治をなさるときも、灸が小さく数少ないのは無益だとおっしゃって、大きな灸を数多く、五カ所も七カ所も一時に据えさせ、それでもつらそうな様子をお見せになることはなかった。
身の静かなときは周りを常に清浄にし、壁には古画を掛け、花瓶には四季の花を一輪挿し、それに向かって黙坐して日を消しなさった。
また、自ら絵を描かれることもあったが、その場合も着色することなどは好まれなかった。
病のとき以外は人を召されることはなく、何事も皆、自らなさった。
朝夕の食事も、飯は二椀を越えなかった。
手で椀をささげると、その軽重によって飯の分量がわかるので、その他のものは飯の量に応じて多くも少なくも食し、いつも適度な量を越えることはなかった。
おいしいと思ったものでも、一菜だけを多く食うと必ずそのために身を損なうことがある。
好き嫌いをせず、何でも少しずつ食えば、食べ物が互いに抑制しあうのか、食事のために身を損なうことは少ないと思われる。
そんなことをおっしゃったこともあった。
普段はこちらが用意したものを召し上がって、何かを用意せよとおっしゃることはなかった。
ただ四季の新味の品は、何ものに限らず用意せよとおっしゃって、家人とともに食された。
酒はわずかに飲んだたけで酔われるので、ただ盃を手にして、歓を交えなさるだけであった。
茶は好んで飲まれた。
服装も、洗いすすいだものはお召しになったが、垢づいたものは就寝時もお召しにならず、外出時には必ず新しい衣服を身につけられた。
その際も、身にふさわしからぬ品は用いられなかった。
古人は常にその身の死んだ後が見苦しくないようにと心掛けたものだ、などとおっしゃったものである。……
白石の父のこの姿に、私はどこか懐かしさのようなものを感じます。
それはほんの少し前までの日本の父に普通に見られた姿の典型を、白石が三百年前に描いたからではないか……。
お前の妄想だよという声に抗いつつ、そう思います。
決して揺らぐことのない不動の姿への原初的な欲求が、生存の根源にあるからではないかと感じるほどです。
身が静かであるとき、清らかな部屋で一幅の古画と一輪の花を前にして、正済は端座します。
緊張を強いられる現実から解放され、静謐な空気の中で無為の時を過ごす。
弛緩とは全く異なる安息の時間。
正済は能動性を発揮しないところで最大の能動性を発揮しています。
「無為にして為さざる無し」という老子の言葉の発現がそこにあります。
〈続く〉
