私たちがつく嘘の正体
子供の頃。
私たちは「嘘をついてはいけません」とあんなに教わってきたはずなのに。
大人になった私たちは、気づけば毎日小さな嘘ばかりついています。
帰りの電車の中、ふと手元の眩い画面を見つめるとき。
例えば、楽しみにしていた約束を「ごめん、仕事が終わらなくて」と急にキャンセルされた夜。
本当はひどく落ち込んでいるくせに、LINEの画面には「全然大丈夫!気にしないで、お仕事お疲れ様」と、明るいスタンプと一緒に打ち込んでしまう。
今の私たちは、この小さな長方形の友人がいないと、恋の始まりすらままならない。
LINEの通知音に一喜一憂し、既読がつくまでの空白の時間に、勝手に想像を膨らませては臆病になる。
もし今スマホを失くしてしまったら……
その時点で強制的に途切れてしまうような。細い糸をたぐり寄せる毎日。
それにここ数年、私たちは「見えない壁」に囲まれて生きているような気さえするのです。
マスク越しでしか相手の表情を探れなかった、あの分断された期間。
そして、オフィスという空間に引かれた「コンプライアンス」という透明な境界線。
不用意に踏み込んで誰かを傷つけたり、不快にさせたりしないように。
私たちは少しずつ、無難な言葉だけを選んで、一定の距離を保つようになっていきました。
それはまるで、前の人が引いた白線の上を、寸分の狂いもなく、決してはみ出さないように歩いているみたい。
「大丈夫」
「どっちでもいいよ」
「気にしないで」
本当に大丈夫なわけがないし、どっちでもいいはずがない。
それでも、踏み込んで相手の重荷になるくらいなら、あるいは自分が傷つくくらいなら、平気な顔をして笑ってみせる。
空気を読み、スマートな大人でいようとするほど、私たちは自分の本音に蓋をして、不器用な嘘を重ねてしまいます。
それは決して、相手を騙すための悪い嘘ではありません。
疲れている相手への「気遣い」であり、この心地よい関係に波風を立てないための「思いやり」。
そして同時に、面倒な人間だと思われて嫌われたくないと願う、自分自身の「身を守る」ための防具なのです。
傷つけたくない。困らせたくない。この心地よい距離を壊したくない。
スマホという細い糸にすがり、見えない壁の手前で立ち止まりながら。
私たちは今日も、本当は震えている手を隠して「大丈夫」と嘯く。仮面を被って、「大丈夫」と笑う。
その強がりが、愛おしく、そして少しだけ寂しい。
だからこそ、私たちは心のどこかで待っているのではないでしょうか。
「大丈夫」という重たい防具をそっと外して、本当は震えているその手を、不器用に差し出せる瞬間を。
そうして、お互いがポケットに隠したその小さな嘘を、どちらかが一歩だけ踏み越えたとき。
そこに初めて、二人の本当の物語が待っているのかもしれないと、私は思うのです。
(おわり)
▼そんな「大人の見えない境界線」が揺らぐ瞬間を描いた4つの物語を、現在「#創作大賞2026」にエントリーしています。
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