[0]人間とAIの“よき関係”を求めて──NOTEをはじめるにあたって/DICOMO2025基調講演より
こんにちは。鈴木晶子(すずき・しょうこ)です。このたび、思索や研究の断片、講演の余韻、日々の問いの芽を記していく場として、NOTEを始めることにしました。
私は、哲学・教育人間学・技術倫理を専門としながら、AI・物理・文化・人間性の接点で、「不確実性を生きる知のかたち」を探究しています。特に、「わざ」「間」「触覚知性」といった日本的な文化資源と、急速に進化する人工知能や技術とのあいだを架橋する思索と対話に取り組んでいます。
福島県・母畑温泉で考えたこと
─ DICOMO2025基調講演からの発信
2025年6月26日、福島県の母畑温泉で開催されたDICOMO2025にて、基調講演の機会をいただきました。タイトルは、
「人間とAIのよき関係 ― 生命と物質をつなぐ不確実性のデザイン」。
現在、AIによって人間の振る舞いや能力が模倣・再現される時代にあり、従来「人間にしかできない」とされてきた領域にも、機械知性が着実に入り込んできています。
そのような技術的進展が進む一方で、「人間らしさ」とは何か、そして私たちは“どのような関係”をAIと築くべきかが、ますます鋭く問われています。
講演では特に、生命と物質のあいだにある“不確実性”の闇に光を当てることを試みました。
予測可能性や計算の精度が高まるにつれて、逆説的に、私たち人間のレジリエンスや「未定性に耐える力」が弱まっているのではないか?──そんな問いを足がかりに、不確実性を“避けるべきリスク”ではなく、“可能性の源”として捉える視座を提案しました。
この視点は、「触覚知性」や「動的知識」、さらには日本文化に根ざした身体性や感受性の知と深く関わっています。私たちの文化には、あいだに立ち、ゆらぎと共に在ることを肯定する知があります。
それはAIと向き合う現在においても、重要な思想的資源になりうると感じています。
若手研究者たちとの対話そしてふくらむ希望
講演後、特に若手の研究者や技術者の方々が多数列をなしてくださり、熱心に質問や議論を交わしました。その姿は、単なる「技術的発展」ではなく、「この先、どのような未来を共に築いていくのか?」という、もっと根源的な問いに向き合おうとする意思に満ちていました。
文理のあいだが、いままさにAIという契機を通じて再び手を取り合う時期に来ている──その手応えを、あの温泉地の静けさの中で、強く感じました。
そして、AIをめぐる知の地殻変動に立ち会うこの時代の責任と希望を、あらためて心に刻むことができました。
* * *
このNOTEについて
このNOTEでは、
AIと人間のよき関係をめぐる思索
「不確実性を生きる知」としての哲学や教育的洞察
「わざ」「間」「触覚知性」など、文化的知と技術の交差点
講演・研究の舞台裏や進行中の対話・実験的プロジェクト
を、少しずつ記していきたいと思います。
静かに考え、言葉を磨き、未来にひらかれた問いを耕していくような場を、このNOTEで育てていけたらと願っています。これからもよろしくお願いいたします。
最後までお読みいただき有難うございました。感謝の裡に。
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AIと人間の関係は、いま、どんな方向へと向かっているのでしょうか。
そして、私たちはこの変化の中で、何を手放し、何を大切に残そうとしているのでしょうか。
あなたの感じたこと、心に残った問いがあれば、ぜひコメント欄で教えてください。
対話のなかから、新しい思索が芽生えることを願っています。
(English summary below ↓)
Toward a Good Relationship between Humans and AI — Designing Uncertainty between Life and Matter
In my keynote lecture at DICOMO2025 (June 26, Fukushima), I reflected on the shifting boundaries between human abilities and artificial intelligence. As machines increasingly emulate human behaviours once considered uniquely “human,” the very notion of humanity is being re-examined.
I proposed that we reconsider the role of uncertainty, not as a threat to be eliminated, but as a generative space connecting life and matter. By drawing on Japanese cultural resources such as tactile intelligence, dynamic knowledge, and ma (間), we may be able to envision a new kind of relationship between humans and AI—one based not on control, but on coexistence and resonance.
The lively response from many young researchers after the lecture reminded me that we are now living through a tectonic shift in knowledge. This is not only a technical transformation but an ethical and philosophical one. In this NOTE, I hope to continue cultivating such reflections and open-ended questions.
