産業ロックを定義する〜2. スーパー・グループ編
スーパーグループというのは60年代からあり、CreamやBlind Faith, Crosby, Stills , and Nash (and Young) などが成功を収めています。しかし彼らはある意味メンバーのバックグラウンドから想像できる範囲の音楽性であり、もちろん想像を超えるクオリティを持っていたとはいえ「とんでもない意外性」というものではありません。例えばBlind FaithがエレポだったりCSNがハード・ロックだったりすれば別ですが。
そんなわけで、産業ロックのパターンとしてスーパー・グループ型というのを最初にまとめました。有名なミュージシャンが集まっているものの、楽曲のスタイルがそれそれのバックグラウンドとは異なり産業ロック化したひとたちです。
ForeignerはSpooky ToothのMick JonesとKing CrimsonのIna McDonaldが中心となり結成され、ヴォーカリストには当時ほぼ無名のBlack SheepにいたLou Grammを迎えています。なにはともあれKing Crimsonの創設メンバーであり大きな役割を果たしながらアルバム1枚で脱退、その後も目立った活動がなかったIanの再始動ということがForeignerの最大の話題でした。
しかしアルバムが発表されるとその内容はKing Crimson色は皆無であり、1stシングルのFeels Like A first Time(77年全米4位「衝撃のファースト・タイム」←誤訳ですね)のようにLou GrammのヴォーカルスタイルによるFreeに通じるストレートでブルージーなロックが主体でした。であればまだ良かったのですが、2ndシングルCold As Ice(77年全米6位「つめたいお前」)はQueenをシンプルにしたような、今でいうピアノ・ロックのようなスタイルで戸惑った人は少なくなかったでしょう。そしてとにかく売れました。アルバムは全米4位、当時で2−300万枚の認定だったと記憶しています。現時点では500万枚。さらに3rdシングルのLong, Long Way From Home(78年全米20位「遥かなる旅路」)もヒットし、ロック・バンドがアルバムから3枚もヒット曲を出すという異例の成功となりました。
ここからのちに渋谷陽一さんが提唱する「産業ロック」的な議論が起こります。曰く、技量も経験も実績もあるミュージシャンが音楽的野心よりも目先の利益を優先した、などなど。確かにこのバンド、売れすぎました。実際には次回紹介するように前年76年からロック・バンドにシングル・ヒットが生まれる兆候はあったのですが、ここまでヒット連発というのはEaglesやFleetwood Macクラスくらいですし、Album Rock(ポップはシングル、ロックはアルバムで聴くべし、それに合わせてラジオ局フォーマットを整備すべし、みたいな感じ)という定義がゆらぐような現象だったのでしょう。
続いてはAsia。John Wetton (ex. King Crimson, UK), Steve Howe (ex, Yes), Goeff Downes (ex. The Buggles, Yes), Carl Palmer (EL & P)という布陣。スーパー・グループ数あれどここまでのスケール感を持ったものはもう二度と現れないでしょう。
Asiaのデビューアルバムは米国では売れに売れて年間チャートの1位になりましたが本国では割と冷ややかで11位止まり。シングルもほとんどヒットせず「プログレの母国では通用しなかった」形です。なので結果論で酷評された感もありますが、当時はそこまで産業だ売れ線だなどと言われてなかったと思います。
アルバム聴いた人だとわかると思うのですが、別にテンプレ的な曲をやっていたわけではなく彼らとしては長すぎない曲の中で最大限の挑戦をしたのだと思います。それでもYesやELPとは全然違いましたが。
そしてSurvivor。70年代に活躍したブラス・ロック・バンドのThe Ides Of March。Vihcle(70年全米2位)のヒットを放っていましたが、70年代半ばから休止状態。その後中心人物Jim Petrickはソングライターとして活動し、38 Specialらに提供した曲が次々にヒットします。彼が次に考えたのが、もう一度バンドを組みたい、そしてヴォーカルは自分ではなくもっと力量のある人を、というForeignerのようなパターンを目指します(たぶん)。
呼び寄せたメンバーは74年の飛行機事故でメンバーの大半を失い解散してしまったブラス・ロック・バンドのChaseからGary SmithとDennis Keith、昔の仕事仲間からFrankie SullivanとDave Pickler。Survivorがスーパー・グループなのは案外知られてないですね。
デビュー当初は売れませんでしたが、あのEye Of The Tiger(82年全米全英1位)がきっかけでトップ・バンドの仲間入りを果たしています。この頃にはChase組はすでに脱退、またヴォーカルのDaveもこのアルバムの後後退しますが、バンドはさらにヒットを量産していきます。特に元CobraのJimi Jamison加入後最初のアルバムVital Signs(84年全米16位)は産業ロックの一つの到達点でしょう。
ロッキーの呪縛から放たれてシングル4曲がヒット。1stシングルのこの曲は84年全米13位。
続いてはBad English。80年代後半に活動休止となったJourneyのNeal SchonとJonathan Cainが、当時ソロとして活動していたJohn Waiteと新しいバンドを結成するという話が伝わると、日本では主にJourney再始動のようなトーンで報道されました。しかしJohnとともにメンバーとなったRicky Phillips、それにJonathanもThe Babysのメンバーだったので、これはむしろThe Babys再結成であり、それにNealとその舎弟?Deen Castronovoが加わったとみるべきでしょう。
このバンドはメンバーの経歴から考えると意外性があったのか、といわれると困りますが、まあThe BabysやJourneyよりもハード・ロック色が強く、Journeyの最後の方にフラストレーションがあったNealが主導権を持ってたのかもしれません。彼らは後でもう一度紹介予定なのでこの辺で。
そしてTOTOです。自分の中では産業ロックに入らないのですが(後述のようにそれらしい曲はある)、この手の話題だと必ず名前が上がるので取り上げました。ほとんどのメンバーがセッション・ミュージシャンとして有名でしたし、このメンバーでStuffのようなフュージョンを期待している人もいたでしょうからある意外性はあったと思います。
ただ、そもそもTOTOってロック色があまりないんですよね。大ヒット2曲はそもそもロックのスタイルとは違うような気がしますし、彼らのアルバムで全編ロックというのは(チャートインした中では)、
2nd - Hydra(79年37位)
3rd - Turn Back(80年41位)
5th - Isolation(84年42位)
これくらいでしょうか。彼らはフュージョンとかR&Bなどに近い作風の方がずっと売れてるんですよね。個人的には彼らのベストはIsolationですし、この曲だけ切り取ると「完璧な産業ロック」と言っても良いのですが。
MV初めて見ました。これに気づかなければTOTOは取り上げなかったと思います。私にとってTOTOといえばTrillionやLe Rouxで活躍したFergieのヴォーカルが全てなんです(少数意見)。これについての反論としては「上手すぎてロックの荒々しさに欠ける」「Jeff Porcaroの無駄遣い」などなどでしょうか。
最後におまけです。スーパー・グループとまで言いませんが、複数の有名バンド出身者の寄せ集め的なものをいくつか紹介します。
Orion The Hunterは開店休業状態だったBostonのギタリストBarry Goudreauが業を煮やして結成したバンド。同じ頃Heartがレーベル移籍(この話、あとでします)した際に置き去りにされたドラムのMichael DeRosier、ソロアルバムにも参加していたヴォーカルのFran Cosmoらがメンバーでした。これ聴いたとき、アルバム全体素晴らしくて正直Bostonもういいからこのバンド続けてくれと思いました。So You Ranはアルバムからの最初のシングルで84年58位、邦題「君のいない朝」。日本盤のアルバムカバーはおしゃれなイラストに差し替えられてたのですが画像見つかりませんでした。情報求む。
Aliasは89年に全米1位となったWhen I With Youを放ったSheriffのヴォーカルFreddy CurciとギターのSteve DeMarchiが結成したバンド。そこにOrion the Hunterがアルバム1枚で活動停止となって職にあぶれた?Mikeと残りの元HeartのメンバーRoger FisherとSteve Fossenが合流します。
しかしシングルのバラードMore Than Words Can Say(90年全米2位、邦題「君がほしい」)が大ヒットするもののアルバムの成功にはつながらず、バンドはアルバム1枚で解散します。結局Sheriffの二番煎じを求められただけでしょうか。Haunted Heartは非シングル曲ですが、こういうハードなサウンドも得意でした。
なおSheriffの他のメンバーはFrozen Ghostを結成、その中心人物であるArnold Lanniはバンド解散後プロデューサーとしてOur Lady Peace, Finger Eleven, Simple Planなどを次々と成功させる業界の大物になっていきます。
最後はThe Storm。JourneyのNealとJonathanがBad Englishに行き、Steve Perryは休業状態。残されたRoss ValoryとSteve Smithは元メンバーのGreg Rolieと合流します。ヴォーカルには707のKevin Chalfant、ギターは当時無名のJosh Ramosが加入したのがこのバンド。シングルI've Got A Lot Of Learn About Love(90年全米26位「ラーン・アバウト・ラブ」)はちょっとしたヒットになりましたがアルバムはぱっとせず、そのうちJourneyが再始動しThe Stormはこのアルバムだけでいったん終了します。しかしここまでJourneyに寄せる必要あったのでしょうか。
追記:コメントにあるhugotchieさんのご指摘通り、The Stormは95年に2ndアルバムEye Of The Stormをリリースしています。
と、いうことで本当に紹介したかったのは最後の3曲だったりします。最後まで読んでいただけた方がどれだけいるかわかりませんが、次回はアーティストのスタイルが結成時から変わり産業ロックになった例を書こうと思います。
