死別後に変わった生きることへの向き合い方
33歳のときに妻を突然の病気で失いました。
そのとき自分自身の「ぼんやりと思い描いていた未来」も手から離れ、分岐した人生を進むことになりました。
それから3年と少し。喪失の気持ちは変わらず抱いています。
ただ時間の経過とともに、自分に起きた変化について少し俯瞰で見られるようになってきた気もします。
この年齢で同じような経験をした人の話を聞く機会はほとんどなく、五里霧中で過ごしていました。自分自身の整理も兼ねて、死別がもたらした未来への向き合い方の変化について書いてみます。
悲観ばかりではなく、人生のある意味本質的なことに気付かされたような気もしており、誰かの参考になるかも…と思ったからです。
(※もしも同じような経験をした方が読んでいただいた場合は、何よりあなた自身の気持ちに優しくしてあげてほしいです。こういうふうに感じている人もいるんだなという一例として読んでいただけたら。)
未来に向けて今を生きていた
私はもともと、過去と今、そして未来をひとつながりの文脈で考える傾向が強かったほうだと思います。
これまで貫いてきたあり方を変えるのに躊躇しがち。
いま頑張れば、将来こうなれるかもしれない。
過去にあの道を選んだからこそ今がある。
こういう選択をすれば、あとで後悔しないかもしれない。
いつかこんな暮らしをしたい。
そんなふうに、自分なりに一貫性を求めていた節があり、将来への期待や不安が、今を生きる原動力のひとつになっていました。
未来と今は、必然でつながっていない
そんな価値観を大きく変えたのが、妻との別れでした。
妻は、活動的でよく仕事をしてよく寝て、
自分よりもよほど身体にも気を使って過ごしていました。
入院する直前の健康診断でもすべて良好。
体調を崩して検査入院になっても、はっきりした原因も見つからなず、このまま過ごしていたらいずれ退院できるということで安心していました。あとになって希少がんが判明しましたが、周りの誰もまさか命を失うような事態になるとは思っていませんでした。
健康でいるためには日頃の習慣が大切。
努力や辛抱をしていれば、そのうちきっと報われる。
そんな、生きるなかで前提としていた信仰のようなものが崩れました。事故や災害といった出来事もそうなのだと思いますが、実際に自分の身に起きて初めて、約束された未来などないことを本当の意味で知りました。
「報われない」ということがある、ということ。
それは無情のようで、人生におけるひとつの本質なのだと思います。
人生で最も悲しいときを経験したという感覚

パートナーとの死別は、
人生における最大級の悲しみだと本などでよく読みました。
あれ以来、私の中には
「人生で一番悲しいことを、もう経験してしまった」
と確信してしまっている感覚があります。
それにより以前より怖いものが減りました。
その一方で現状への課題意識や未来への期待も少し薄れてしまい、感情の振れ幅が少し小さくなった気がします。
これからも生きていたいと思っていますが、
「死への漠然とした恐怖」も薄くなりました。
妻を見送る。お墓を建てる。手を合わせる。
これは私に想像しうる人生最大の体験です。
ではこれから、自分は何を目的に生きたらいいのだろう、どこへ向かえばいいのだろうと考えるときがしばしばあります。
ただ、それを探す必要さえ本当はないのかもしれない。
社会と自分の距離感の変化
キャリア、住まい、結婚や子育て。
なんとなく内面化していた人生のレールから、
私の場合、意図せず外れることになりました。
社会の動きやニュースを見ていてもどこか距離を感じることがあります。以前はそれらへの当事者意識がもっと強く、ちっぽけながら社会を変えたいと思うこともありました。
けれど今は、甘えられた運命のなかで自分がいまをどう生きるかという問いの方がずっと切実です。社会が用意してくれる正解ではなく、自分自身の生き方を見つめる必要に迫られたように思います。
目的へ突き進むよりも、今の自分の声に向き合う
では、これから何を大切にして生きていきたいのか…
ということですが、答えは見つかっていません。
ただひとつ言えるのは、
「未来のために今を生きる」「将来の何かを目的にして生きる」という意識を少し減らし「今の自分が心地よいと思えること」を大切にしたいという気持ちが強まっている、ということです。
思えばそれは、私が一番苦手だったことかもしれない。
計画と外れること。
目的地に向かうことより、その道のり自体を味わうこと。
その瞬間の好奇心や疑問を無視せずに立ちどまること。
季節ごと、時間ごとの外の景色に目を向けること。
こうしたことに前よりも価値を感じるようになりました。

未来は約束されていない。
翻って、今この瞬間も過去の延長というだけでなく、多分にいろんな偶然がもたらしたものなんだろうと思います。だからこそ特別な時間として向き合いたい…そんな気持ちを不思議と持つようになりました。
死別という経験はわたしの人生のなかで言いようのなく大きな出来事でした。それを経て過ごす今この毎日において、悲しみ、むなしさ、そして時間とともに再び感じられるようになってきた楽しみや喜び、憤り。そんな小さな感覚や浮かんでくる考えを大切にしていきたいな〜と考えています。
