比較可能性とは何か
まず、受験とは何か。共通テストと2次試験を受験し、総合点を算出して順位を付け、上から順に定員まで合格者を決める。これがいわゆる受験というもので、当日の出来だけで合否が決まるものと、一般的には信じられている。
よくある再受験への批判として挙げられるのが、「現役生と再受験生では人生経験が違うのだから、面接の受け答えが同じではいけない」というものである。しかし、これは“比較可能性”を全く理解していない、あるいは知りさえもしない無知な考えである。だから、二重基準を設けることに何の疑いも抱かないのだ。
例えば、オリンピックの100m走決勝を考えてみよう。「お前は30代だから50m後ろからスタートな」と言われて納得する競技者がいるだろうか。いや、観客ですら全く無意味なレースだと気づくだろう。全員が同じ基準で同時に競うからこそ、順位が付けられるのである。逆に言えば、オリンピックの金メダルに価値があるのは、全員が同じ基準で競った上での順位だからだ。これが国籍、年齢、性別によって基準がバラバラであれば、それはイカサマであり、その順位には何の意味もない。
同じ基準で競うからこそ順位が付けられるという考えを“比較可能性”と言う。これは極めて知的な概念であり、医学部の教授レベルにもほとんど知られていない言葉である。“比較可能性”は、こと医学部受験においては無意識に無視されがちだ。
しかし、先のオリンピックの例のように、全員が同じ基準で競わなければ順位は付けられない。もし二重基準で順位を付けたならば、その順位に何の価値があるだろうか。すなわち、医学部合格に何の価値もなければ、不合格にも何の意味もないことになる。
一部の医学部では、この“比較可能性”を全く無視した入試が行われている。“比較可能性”が崩れれば、本来順位を付けるのは不可能である。だから、そこには本当の合格者も不合格者もいない。ただ、恣意的に選ばれた合格者風の輩が、合格者の顔をして存在しているだけである。
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