『私たちはどこまで走ればいいの?』そう問うよりも前に聞いてほしいこと
ビジネスジャングルの中で、レースは今日も続いている。
脱落したらもう戻って来れないんじゃないか——そんな焦りを煽るように、後ろから迫り来る直近の予定。来るかどうかもわからないのに、有名な人や周りの人が語る「あるべき未来」。
この社会の構造そのものが、私たちを走らせ続けている。
不可抗力から、走らされ続ける。
正気に戻ったら終わりだと、見ないようにしている。
それでも、気づいてしまう。
わたしたちはこんなに走って、どこにいけばいいのか。
わたしは何のために走っているのか。
わたしはいつまで走り続ければいいのか。
その構造は、カレンダーの一つ一つの予定に、じわじわと緊張感を忍び込ませる。その問いは、社会の外にあるわけじゃない。
案外ありふれた、朝の一瞬に顔を出すんだと、とある話を紹介したい。
ある日の朝。
何気なくカレンダーを開いた瞬間、プレッシャーのかかる予定が目に飛び込んでくる。
「あれも準備しなきゃ。それってどんなふうにしよう。てか時間、間に合うのか。もう今日も予定より早く出た方がいいかな…」
思考が勝手に連鎖して、気づいたら呼吸を忘れている。文字通り、息が詰まっていく。
朝ごはんを食べながらも、家族と話しながらも、どこかよそよそしい。張り詰めた空気は、気づかないうちに周りにも伝わっている。
そして猛スピードで出社して、ドアを開く。同僚が挨拶してくれる。でもその顔をちゃんと見返すことができない。気持ちに押されるまま、パソコンの画面を開く。
仕事は、まだ始まってもいないのに。
誰しもそんな瞬間を、一度は経験したことがあるんじゃないか。
どうしても他人事だと思えない理由
実はこれ、最近まさに私が直面したできごとだ。
「心の準備」のつもりだったかもしれない。
でもよく考えてみると、その緊張はこの朝、過ごす瞬間に必要だったものだったのだろうか。
今の答えは否だとわかる。
私はただ、その日の朝を過ごしていればよかっただけだ。
人の話や言葉に向き合う仕事をしていても尚、自分の言葉がわからなくなることばかりだと気づく。
自分の気持ちをコントロールしようと処分するのに苦労するほどの本を読んできた。場所がなくなってKindleにも移した。人生の諸先輩方の話を聞き、私にしてくれた指導内容を何度も思い返して見つめてきた。
きっと普通よりは意識して、自分の気持ちに向き合ってきたはずだ。現に人には「あなたは本当に器が大きい」と言われることもある。
(「器」とはそもそも何か——これはまた別の大きなテーマなので、別の機会に話したい)
そんな私でも、尚解けないこの問題。この正体はいったい何なのか。
見えない公式を解こうとしているんじゃないか、とすら思えてくる。
もはや心の奥底の私が、実は解きたくないとでも思っているんじゃないかとさえ思えて笑けてくる。
(ええ。実際は眉毛も中央に寄って、目の下はピクピクと痙攣して、そんなジョークを言っている場合ではない)
仕事を何年続けても、無くなることのない悩みがある。
「なぜこんなに、自分の気持ちをコントロールするのは難しいのか」
これは私だけが思うのか
そう感じながらも、本当に自分だけなのか、とも思った。まさかそんなはずはないだろうと思いながら、一応調べてみた。
2022年のデータではあるけれど、こんな調査がある。リクルートマネジメントソリューションズが20〜49歳の会社員826名に実施した「仕事と感情に関する意識調査」だ。
そのデータが示す現実はこうだ。
約78% が、直近1ヶ月の仕事中に「心配・不安」を感じている。
約70% が、本当の感情を抑えながら働いている(感情労働「感情の制御」)。
約70% が、「仕事や職場に感情を持ち込むべきではない」と答えている。

不安を感じながら、感情を抑えながら、それを表に出してはいけないと思いながら。そうやって働いている人が、圧倒的多数なのだ。
それでも多くの人は「自分だけがうまくコントロールできていない」と感じているのかもしれない。
その認識自体が、すでに消耗の一因になっているんだと私ごとのように感じてしまう。
「持ち込む」と「見つめる」は、まったく別の行動だ
「感情を職場に持ち込んではいけない」という意識は、多くの場合、過度に働きすぎているんじゃないか。
そしてこの意識が強くなるほど、感情を表に出すことだけでなく、自分の内側で感情を観察すること自体まで、封じてしまう。
感情を職場に「持ち込む」ことと、自分の気持ちを自分で「見つめる」ことは、まったく別の行動だ。
感情を見つめることは、感情を爆発させることとは違う。むしろ逆で、自分の気持ちの形が見えていないまま動くほうが、感情は制御を失いやすい。
見失ったとき、何が起きているのか
自分を見失う——その瞬間に何が起きているのか、もう少し踏み込んでみたい。
「見失う」とは、焦りや不安が大きく広がって、その感情そのものが自分になってしまっている状態のことだと思っている。感情を持っている自分ではなく、感情そのものに自分がすり替わる。
この怖いところは、それが無意識的に行われるということだ。自分でも気づかないうちに、いつの間にか起きている。
たとえば、不安になると、どんどんとその気持ちが拡大し、表面積を埋め体積を埋めていき、やがて不安そのものが私たちとすり替わってしまう。
でも本当は…不安でいたいんだろうか。
ずっと不安でいたい人なんているのだろうか。
いたとしても、否定はしない。
けれども私は、そんな自分を好ましくないなぁと思うことが最近増えてきた。
逃げなくていいのは、プレッシャーじゃなかった
ここにきて、一つの大切な気づきを共有したい。
私は「プレッシャーから逃げてはいけない」と、ずっと思っていた。
でも本当は、違った。
逃げない方がいいのは、プレッシャーではなく、「わたしは今何を考えて、どんな気持ちなのか」つまり、わたし自身だったのかもしれない。
自分を見失ってしまうから、コントロールができなくなる。
そしてもう一つ、気づいてほしいことがある。
不安を「抱え続けなければならない」という前提を、自分が無意識に選んでいるということだ。
本来、選択肢は一つじゃない。不安を持ち続けることも、一旦置くことも、別の気持ちに変えることもできる。でもその他の選択肢が見えていないとき、人はその一つしかないと思い込んで走り続ける。だとしても構造としては、あなたはその選択肢を「選んでいる」ことになる。
その選択に、気づけるかどうか。それが、あのカレンダーを開いた瞬間に私が息詰まった理由を解く鍵だったのかもしれない。
まず、今の自分の気持ちの「形」を掴む
何かに悩んだとき、解決策を探す前に、一つだけやってみていることがある。
今の自分の気持ちを、否定せずに「形」にしてみること。
「今自分はこんな気持ちだ。それはこういうことを考えているからだ」——そう、自分に説明できる状態になること。
これが「認める」ということだと思っている。ポジティブに変えなくていい。手放さなくていい。ただ、「今これを持っている」と自分がわかっている状態。それだけでいい。
この過程を身体の感覚で表すとするのであれば。お腹の底から湧き上がってきた感情が、脳みそのなかで一度滞留して、言葉や輪郭を持ち始める。そしてまた別の形になって、ゆっくりお腹の中に落ちていき、着地する。
見つめて選び直す、とはそういうことだと思っている。
認めると、初めて「選べる」ようになる
自分の気持ちの形がわかると、不思議なことが起きる。
「この不安を持ち続ける」「一旦置いておく」「別の気持ちで向き合い直す」——そういう選択肢が、初めて見えてくる。
逆に言えば、自分の気持ちを認めないまま走り続けると、選ぶことができない。何かに追われているような感覚は、「自分が今何を持っているかわからないまま動いている」状態から来ていることが多い。
これは、仕事だけの話じゃない
誰だって明日の仕事に悩むこともある。
今後のキャリアについて、このままでいいのかと一人で考える夜もある。
もしくはパートナーと喧嘩をしたあとの、後味の悪いソファーの上も同じかもしれない。約束に遅れてきた友人にちょっとだけイライラしながら歩いている最中かもしれない。
私たちは度々、自分自身を見失ってばっかりだ。
その度に、まずは怖がらないで私は見つめてみようと思う。
そして選んでみようと思う。
「この瞬間、わたしはどんな気持ちでいるわたしを選べたら、今日が幸せになるのか」
最近は、そんなことを考えるようになってとても自然に生きている実感がわいてくる。
私も明日のカレンダーを見ながら、同じように思い耽ってみようと思う。
あなたも明日のカレンダーを見たくなってきたかな?
あなたのこれからが、少しでも穏やかに。
あなたのままでいられますように。
これを読んだ今日この後。
あなたはどんな気持ちでいるあなたを選べたら、今日が幸せになるのか。
いいなと思ったら応援しよう!
基本無料で行っていますので、お金を取る気はありません。ただ気持ちがありましたら自由金額でお願いします。それはあなたが感じた価値を直接伝えて欲しいから。言い値って良いね。