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人は、言葉だけでは安心できない

人間には、スキンシップが必要だと思う

触れることは、ただの甘えではなく「安心のインフラ」かもしれない

人間には、スキンシップが必要だと思う。

こう書くと、少し恋愛っぽく聞こえるかもしれない。

手をつなぐ。
抱きしめる。
肩に触れる。
頭をなでる。
隣に座る。
背中をさする。

たしかに、スキンシップは恋愛や家族のイメージが強い。

でも、本当はもっと広い。
人間が人間として安心して生きるための、かなり基本的な感覚なのではないか。

最近、そう思うことが増えた。

人は「言葉だけ」では安心しきれない

「大丈夫だよ」

この言葉は優しい。

でも、本当に不安な時は、言葉だけでは足りないことがある。

ただ隣にいてくれる。
そっと手を握ってくれる。
背中を軽くさすってくれる。
抱きしめてくれる。

それだけで、少し呼吸が楽になることがある。

もちろん、すべての人が触れられることを好むわけではない。
距離感は人によって違うし、関係性によっても違う。

でも、人間の安心感には「身体感覚」が深く関係している。

クリーブランド・クリニックは、ハグによってオキシトシンが分泌され、ストレスホルモンであるコルチゾールが下がる可能性があると説明している。ハグには、単なる気分の問題ではなく、身体側の反応もあるということだ。(Cleveland Clinic)

つまり、スキンシップは「気合い」や「根性」では埋められない不安に対して、身体から安心を届ける行為でもある。

赤ちゃんは、触れられて育つ

スキンシップの大切さが一番分かりやすいのは、赤ちゃんかもしれない。

生まれたばかりの赤ちゃんに対して、肌と肌を触れ合わせる「カンガルーケア」がある。

WHOは、合併症のない新生児には出生後最初の1時間に肌と肌の接触を行うことを推奨しており、早産児や低出生体重児についても、できるだけ早く継続的な肌と肌の接触を始めることを勧めている。(WHO)

これは、「かわいいから抱っこしましょう」という話だけではない。

体温を保つ。
呼吸を安定させる。
授乳を助ける。
親子のつながりを作る。

触れることは、赤ちゃんにとって生きる土台に近い。

人間は、生まれた瞬間から「触れられること」によって安心を覚える生き物なのだと思う。

大人になると、なぜか触れ合いが減る

ところが、大人になるとスキンシップは急に減る。

子どもの頃は、親に抱っこされたり、友達とじゃれ合ったり、転んだら誰かに起こしてもらったりする。

でも大人になると、触れ合いはかなり限定される。

会社では当然、距離感が必要。
知らない人に触れたらトラブルになる。
友人同士でも、年齢を重ねるほど物理的な距離は広がる。
一人暮らしなら、何日も誰にも触れられないこともある。

現代社会は便利になった。
スマホでつながれる。
SNSで反応がもらえる。
オンライン会議もできる。
メッセージもすぐ送れる。

でも、画面越しの「いいね」は、手の温度にはならない。

ここが、現代人の孤独の難しさだと思う。

孤独は、ただ寂しいだけではない

WHOは、社会的なつながりの不足や孤独が、脳卒中、心疾患、糖尿病、認知機能低下、早期死亡などのリスクと関連するとしている。また、孤独な人はうつ病になりやすいとも説明している。(世界保健機関)

もちろん、スキンシップだけで孤独がすべて解決するわけではない。

人間関係、経済状況、仕事、家族、健康、住環境。
孤独にはいろいろな原因がある。

それでも、「誰かと安心して触れ合える関係」があるかどうかは、人間の心にかなり大きく影響すると思う。

2021年の研究では、コロナ禍の制限による親密な接触の不足が、不安や孤独感の高さと関連していたと報告されている。(PMC)

あの時期、多くの人が感じたのは、単なる外出不足ではなかった。

会えない。
触れられない。
抱きしめられない。
手を握れない。
近くで笑い合えない。

人間は、思っている以上に「距離」に傷つく生き物なのだと思う。

スキンシップは、恋愛だけのものではない

スキンシップというと、恋人同士を想像しがちだ。

でも、スキンシップは恋愛だけのものではない。

親子。
夫婦。
友人。
介護。
看護。
ペットとのふれあい。
スポーツ後のハイタッチ。
久しぶりに会った人との握手。
落ち込んだ人の背中をさする行為。

どれも、人間の安心感に関係している。

特に家族や夫婦の場合、言葉で説明しなくても伝わるものがある。

「お疲れ」
「大丈夫?」
「無理するなよ」
「いてくれてありがとう」

こういう言葉がなくても、手を握るだけで伝わることがある。

逆に言えば、長く一緒にいる関係ほど、スキンシップがなくなると、心の距離も少しずつ広がることがある。

会話はしている。
生活はしている。
でも、どこか他人行儀になる。

これは夫婦や家族に限らず、人間関係全体に言えることかもしれない。

ただし、スキンシップは「同意」が絶対条件

ここはかなり大事だ。

スキンシップは大切。
でも、勝手に触っていいという話ではない。

相手が嫌がっているのに触る。
距離感を無視する。
親しさを理由に触る。
「これくらいいいじゃん」と押し切る。

これはスキンシップではなく、ただの不快な接触である。

人を安心させるはずの触れ合いが、逆に人を傷つけることもある。

だから、現代のスキンシップに必要なのは、
優しさと同時に、距離感の知性
だと思う。

触れる前に、相手の表情を見る。
関係性を考える。
嫌がっていないか確認する。
相手が望まないなら、触れない。

本当に優しい人は、触れることができる人ではなく、触れない選択もできる人だ。

触れられない時代だからこそ、温度が大事

今の時代、人は簡単につながれる。

LINE。
SNS。
オンライン会議。
動画通話。
コメント。
スタンプ。

でも、つながっているのに寂しい人は多い。

なぜなら、情報は届いても、温度は届きにくいからだ。

「おはよう」
「お疲れ」
「大丈夫?」
「またね」

これらの言葉も大事だ。

でも、時にはそこに身体の温度が加わることで、人は深く安心する。

手をつなぐ。
肩を寄せる。
抱きしめる。
背中をさする。
隣に座る。

それは、派手な愛情表現ではない。
むしろ、かなり静かな愛情表現だ。

最後に

人間には、スキンシップが必要だと思う。

それは、甘えでも、弱さでも、恋愛だけの話でもない。

赤ちゃんが抱かれて安心するように、
大人もまた、誰かの温度で安心することがある。

強く見える人も、疲れている。
平気そうな人も、寂しい時がある。
何でもない顔をしている人ほど、本当は誰かに「大丈夫」と言ってほしいのかもしれない。

ただし、触れ合いには必ず相手の意思がある。
同意のないスキンシップは、優しさではない。

だから大事なのは、
触れることと、
触れない配慮の両方を持つこと。

人間は、言葉だけでは生きていない。
心だけでも生きていない。
身体も一緒に生きている。

だからこそ、安心できる誰かとのスキンシップは、人生の中で思っている以上に大切なのだと思う。

人は、触れられて安心する。
そして、安心できる関係の中で、少しだけ強くなれる。

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