この手紙は、あなたがまだ知らない私から
今はまだ小さなあなたへ
この本は、今はまだ小さなあなたへ、
あなたが大きくなったときに読んでほしくて書きました。
もしあなたが、これからの人生で
何かに悩んだり、つまずいたり、迷ったりすることがあったら、
何度でもこの本を開いてほしいなと思っています。
これが、あなたの人生の道しるべのひとつになれたら嬉しいです。
なんだか、まるで
「ママの寿命はあとわずか」みたいな書き出しだけれど、
安心してください。ママはまだまだ生きるつもりです(笑)
ママは今、二十八歳。
まだまだ若い方かもしれません。
それでも、この二十八年間の中で、たくさん悩んで、苦しんで、迷って、
人生に絶望して、何度も泣いた夜がありました。
だからといって、「ママみたいに生きなさい」なんて言うつもりはありません。
あなたには、あなたにしか歩けない人生があります。
これからの人生が、あなたらしく、
少しでも笑顔にあふれたものになりますように。
そんな願いを込めて、ここに書き残します。
これは、あなたへのラブレターです。
いつでも、何度でも、読み返してくれたら嬉しいです。
あなたに出会う前の話
あなたに出会う前、ママはどんな人だったんだろう。
きっと、あなたはそんなふうに思うかもしれません。
ママは最初から強かったわけでも、
いつも前向きだったわけでもありません。
この章では、あなたに出会う前の、
まだ不器用だったママの話をします。
ママが小さいころはね、とにかく手のかかる子だったの。
ご飯が大嫌いで、お菓子ばかり食べている子だったそうです。
二歳で保育園に入ったけれど、
朝からずっとママ(せっちゃん)のところに帰りたくて、
お昼寝の時間になっても泣いていました。
先生に、
「先生、帰りましょうよぉ」なんて言っていたらしいよ。
あなたも幼稚園に入園して、毎朝泣いているけれど、
実はママも、年長さんになっても毎朝泣いていました。
朝起きるのが本当に苦手で、起きられないし、起きたくなくて、
保育園のある朝は、憂鬱で、毎日のように暴れていたんだって。
それでも少しずつ大きくなって、
ママは小学校に入学しました。
小学校では、算数がとにかく苦手で、
数字は全然好きじゃありませんでした。
体育も、運動が楽しくなくて、まったく得意じゃなかったの。
足も速くないし、球技なんて壊滅的で、
今で言うと「運動神経悪い芸人」みたいな感じ(笑)
そんなママにも、
ひとつだけ、好きで得意なものがありました。
それが、国語でした。
特に作文を書くのが大好きで、
作文だけは先生に褒めてもらえることが多かったんだよ。
書きたいことがスラスラ出てきて、
書いている時間がとても楽しかった。
でもね、
教科書を読むのは別。
それは全然好きじゃありませんでした。
小学生のころ、
ママの名前は「ルアンシン慧」でした。
フィリピン人のパパ(あなたのおじいちゃん)の名前が入っていて、
見た目は日本人なのに、
名前だけ外国人みたいだったんだ。
クラスメイトから、
「慧ちゃんって、なんで名前がカタカナなの?」
「外人なの?日本人じゃないの?」
なんて聞かれることもありました。
自分の見た目と名前がちぐはぐな気がして、
そのギャップに苦しんでいたのが、
小学校低学年のころです。
小学二年生のとき、
ママのパパ(おじいちゃん)と、
ママのママ(せっちゃん)は、離れることになりました。
そして、ママの名前は
「中村慧」になりました。
そのときのママは、
「やっと日本人の名前になれた!」
って、正直、すごく嬉しかったんだ。
クラスメイトに、
「私、今日から中村なんだよ。いいでしょ」って、ちょっと自慢して回っていたのを、今でも覚えています。
ママは、
ママのママ(せっちゃん)と二人で暮らすようになりました。
すると、せっちゃんは、夜にお仕事へ出るようになりました。
寂しくて、毎晩、玄関で泣いていたことを覚えています。
そのまま泣き疲れて、玄関で眠ってしまった日もあったかな。
最初は、すごく寂しかったはずなのに、
いつのまにか、そんな生活にも慣れていきました。
一人で好きなテレビを観たり、ゲームをして過ごしたりして、
「私って、自由な時間があって楽しいなぁ」なんて思っていた気もします。
でもね、
大人になった今、振り返ってみると、本当は、寂しさに蓋をして、
我慢していただけだったのかもしれません。
小学四年生のとき、
せっちゃんに、こんなふうに聞かれました。
「慧は、ママとパパ、どっちと一緒に暮らしたい?」
そのときのママは、
厳しいせっちゃんよりも、
優しいパパ(おじいちゃん)のほうが好きで、
「うん、パパがいい」って、即答してしまいました。
そうして、
小学四年生から、
ママはおじいちゃんと暮らすことになったんだよ。
最初の一年間は、埼玉県で過ごして、
五年生の秋から、フィリピンでの生活が始まりました。
フィリピンには、
ママのいとこが百人以上いて、
毎日たくさんの家族に囲まれていて、
とてもにぎやかで、楽しい場所でした。
現地の学校にも通い始めたけれど、
そこから、ママは人生で初めての
大きな挫折を味わうことになります。
日本にいる間は、
「フィリピンのハーフ」って言われていたのに、
フィリピンに行ったら、今度は
「日本人」って言われました。
見た目は日本人で、
話せる言葉は日本語だけ。
でも、家族はフィリピン人。
「ママって、いったい何者なんだろう?」
自分の居場所がわからなくなって、
現地校には、すぐに行けなくなってしまいました。
毎日、パソコンの前に座って、
大好きだった Hey! Say! JUMP の動画を観たり、
日本のドラマを観たりして、
一日中、画面の前で過ごしていました。
最初は、
「毎日が夏休みみたいで最高!」
なんて思っていたけれど、
そんな生活も、半年くらいで飽きてきて。
「そろそろ学校に行かなきゃ、まずいかな」
「みんな学校に行ってるのに、
私、このままでいいのかな」
そんなふうに、
少しずつ、悩むようになりました。
そのとき、おじいちゃんが、
フィリピンにある、
いろんな国の子どもたちが集まる
私立の学校を見つけてくれました。
そこに編入すると、
その学校は、びっくりするくらい
ママに合っていて、
毎日、楽しく通うことができました。
そして、
無事に小学校を卒業することができたんだよ。
でも、
中学校もフィリピンで過ごすのか、
それとも日本に戻るのか。
将来のことを考えたときに、フィリピンにいるよりも、
日本に戻ったほうが、
選べる道が増える気がして。
ママは、
中学二年生のときに、
日本へ戻ることを選びました。
日本の中学校に戻ってみると、
今度は、フィリピンとの違いに
大きなカルチャーショックを受けました。
髪型は、二つ結びかポニーテール。
髪ゴムは黒。
靴下は白。
制服のスカートの長さも、
膝の上、数センチ単位で厳しく決められていました。
「日本の中学校って、こんなに厳しいんだ!」
って、正直、かなりびっくりしました。
理由がよくわからない校則も多くて、
その“謎ルール”が理解できなくて、
苦しく感じることもありました。
それでも、
日本に戻ってきた以上、
ルールに従うしかなくて。
なんとか、その中学校を卒業しました。
高校は、隣の町の高校に入学しました。
ダンス部に入ったり、
アルバイトを始めたりして、
少しずつ、毎日が充実していきました。
気づけば、
高校の三年間は、
本当にあっという間に過ぎていきました。
大人になる途中の話
ママは高校を卒業して、
ずっと夢だった、空港の仕事に就きました。
憧れていたのは、グランドスタッフ。
その夢を胸に、十八歳で実家を出て、
一人暮らしを始めました。
でも、実際に配属されたのは、
リムジンバスの担当でした。
思い描いていた仕事とは、
正直、まったく違いました。
毎日、外での仕事。
一日十二時間働いて、
月に休みは、たった六日。
お給料も、とても少なかった。
それでも、
「社会人になったんだから」
という責任感だけで、
一年半、なんとか働き続けました。
でもある日、
突然、朝起き上がれなくなって、
涙が止まらなくなりました。
ママは、適応障害になっていました。
最後は、自分で退職の手続きもできなくて、
せっちゃんに代わりに手続きをしてもらいました。
憧れていた社会人一年目は、
あっけなく、終わってしまったんだ。
そのあと、ママは横浜に引っ越して、
マクドナルドで
アルバイトを始めました。
そこで出会ったのが、
岡野さん。
あなたのパパです。
パパの第一印象は、
声が低くて、寡黙で、
ちょっと怖そうな先輩、という感じでした。
「結婚相手に出会うと、ビビッとくる」
なんて言うけれど、
ママは、まったくそんなことは感じなくて。
むしろ、
「怖そうだし、嫌な人だなぁ」
なんて思っていたくらい(笑)
でも、一緒に仕事をするうちに、
パパの面白いところや、
優しいところを知るようになっていって。
気づいたら、
「パパのこと、好きかも」
なんて思うようになっていました。
それでも、
出会ってから二年も、
連絡先を交換しなかったし、
途中でママが転職して、
離れていた時期もありました。
それなのに、不思議なことに、
アルバイトを辞めたあとも、
パパと会う機会があって。
気づいたら、
付き合って、
結婚することになっていたんだよ。
結婚記念日は、
2021年3月22日。
もう、わかるかな?
そう、あなたの誕生日。
あなたが生まれた日に、
ママとパパは結婚したんだよ。
結婚して一年半後、
妊娠がわかりました。
エコーの画面の中で、
豆粒みたいに小さなあなたが、
一生懸命、心臓を動かしていました。
その小さな心臓が、
ママのお腹の中で、ちゃんと生きている。
そのことが不思議で、神秘的で、
信じられなくて。
嬉しくて、幸せで、
ママは涙が止まりませんでした。
エコー写真を、
擦り切れるほど、何度も眺めていたよ。
でもね、
ママは、つわりがとても重かった。
食事ができなくなって、
水も飲めなくなって、
五日間、入院しました。
「こんなに辛いなんて、聞いてないよ~」
って、心が折れそうになったこともあります。
それでも、
妊婦健診であなたの心音を聞くたびに、
「あなたがこんなに頑張って生きているんだから」
「ママも頑張らなきゃ」
って、たくさんの勇気をもらいました。
あなたは、生まれる前から、
ママのことを励まして、救ってくれていました。
あなたのパワーは、
本当に、強かったんだよ。
2023年3月22日。
ママとパパが結婚して二年後に、
あなたは生まれました。
とっても小さくて、
でも、元気に産声をあげて、
この世界に来てくれました。
無事に生まれてきてくれて、
あなたの顔を初めて見たとき、
ママは、ただただ感動して、
一時間、涙が止まりませんでした。
あなたとの生活が始まって、
三時間おきの授乳、
おむつ替え、寝かしつけ。
寝不足が続いて、
食事も思うように摂れなくなって、
ママは、産後うつになってしまいました。
そのときは、本当に辛かった。
それでも、
あなたの笑う顔や、
楽しそうに出す声が、
とても可愛くて。
辛かったけれど、
何度も、あなたに救われました。
まだ赤ちゃんだったあなたに、
ママは、何度も、何度も、
救われていたんだよ。
今のあなたへ
あなたは今、まだ小さくて、
言葉より先に涙が出てしまう日もあって、
うまくできないことがあると、心がぎゅっと固まってしまうね。
毎朝、靴を履く前に立ち止まって、
不安そうな顔で私を見るあなたを、
私は何度も抱きしめながら、
「大丈夫だよ」って言ってきた。
本当はね、
それはあなたに言っているようで、
同時に私自身にも言っていた言葉だった。
ちゃんと育てられているかな、
この選択は合っているのかな、
あなたを守れているかなって。
今のあなたは、
泣きながらも一生懸命生きている。
それだけで、もう十分すぎるほどえらい。
どうか覚えていなくていい。
でも、事実としてここに残しておくね。
あなたは、
何もできなくても愛されていたし、
泣いていても、迷っていても、
ずっと大切な存在だった。
今のあなたへ。
今日も生きてくれて、ありがとう。
未来のあなたへ
あなたは今、慣れない幼稚園生活に毎日戸惑いながら
一生懸命に生きているよね。
ママやパパと離れて、幼稚園という新しい社会に一歩踏み出しただけで
あなたは本当に立派で強い子です。
これから先、学校生活や人間関係、社会に出たら大人の理不尽さに
気付いてしまうことがあるかもしれない。
でも、辛いことから逃げるのは甘えじゃない。
自分を守るための大事な選択だよ。
自分を守れるのは自分しかいない。
自分が一番、輝ける場所や楽しい場所がたくさんあるの。
世界は思っているよりずっとずっと広くて
あなたが見えている世界はほんのちっぽけなもの。
心が壊れそうになったら、その場から逃げる勇気を持つことが大事だよ。
あなたが、あなたらしく生きられるようにママもパパも全力でサポートする。
あなたの人生には、まだ出会っていない素晴らしい出来事が待っている。
しんどくて眠れない夜、明日がこなければいいのに。と思う夜も
きっとあると思うけれど、あなたにはママとパパ、せっちゃんも、おばあちゃんも
たくさんの味方がいることを忘れないでね。
これから先、ずっとあなたを支えてくれる人がいることを忘れないでね。
迷ったり、悩んだときは、いつでも大切な家族や友達や、仲間がいることを
どうか思い出してくれたら嬉しいです。
