星と人の間に ニューヨークで絵描きとして生きる (8)
ニューヨークで、絵描きとして活動してきている啓茶(ケイティ)、ことKeico Watanabeです。
私がアメリカに来てから、27年。
これは私がニューヨークに渡って、絵描きとして生きてきた日々の物語です。
小さな奇跡が落ちている街
日曜日に行く教会には、日本人でもアメリカ生まれの2世の人たちの中には、日本語があまりしゃべれない人がいることも知った。
「なんでクリスチャンになったんですか?」
私がそう尋ねると、
「あなた、想像できますか? 私達は子供の頃に戦争があったんですよ。私たち家族はみんな収容所に隔離されたのですよ」
私も母から戦争体験の話を聞くことはあるが、敵国アメリカにいた彼らから直接話を聞くのははじめての体験だ。
「食事もベッドもありましたけど、私たちは教会から薬をもらったり、牧師先生の説教を聞いたりしながら守られて生きて来たのですよ。」
日本社会と大きく違う文化を感じ、 「そうなんですか」と私は答えるしかなく、自分の人生など何も話にできるようなものがない気がした。
出会う人ひとりひとりがそれぞれの理由でニューヨークという地に移り住んでいて、それぞれのドラマが展開している。
何人かの顔見知りもできた頃、グループでの祈り会をしようと言われた。
「何か悩みはありますか?皆で祈りますよ。」
「いえ、特に今はありません。」
と私は、その場をかわした。
みんな、当たり前のように定職を持っていたり、家族がいたり、幸せそうな顔をしていた。
私は2週間後にアパートを出る手続きをしてしまったのに、どこの不動産屋も、契約してくれなくて行く先が見つからないのです、とは言えなかった。
礼拝後に食堂に行くとお待ちかねのカレーの日だった。
私の前に見たことのない韓国人の女性が2人私の前に座った。
「あなたは、どこに住んでいるの?」
いきなりそう突っ込まれて、ちょっとイラついた。
「すぐそばのアパートに住んでいるんですけど、 なぜですか」
「このあたりは、家賃が高いでしょ、たいへんよね」
私は自分の状況を一気に話はじめた。
小さな一部屋での暮らしも2年たち、手狭だし、ルームメートとも共有できる部屋への引っ越す先を探していたのだが、学生の身分で年収の証明なく、どこの不動産屋と交渉しても必要書類が足りず断られ困っているのだ、と。
韓国人の女性は二人で私の話をじっくりと聞いてくれて、その後ふたりで韓国語の会話をした後、自分たちの持っているアパートを見に行かないか、と私を誘ったのだった。
偶然にも、彼女達は双子でアパートのオーナーで居住者を探しに来ていたのだ。条件は日本人であること、教会に通っていること、その条件だけで私は合格となった。
「パスポートのコピーとかいらないのですか?」
私が尋ねると、なんで?という顔をして、
「絵描きは大きな空間が必要でしょう。」
と笑ってくれた。
信用される、ありがたさに涙が出そうになった。
即刻引越しの日を決めた。今度はミッドタウンのウェストベッドルームの他に、大きなリビングがある部屋だ。
これで大きな絵にチャレンジすることができる。
引っ越し荷物が落ち着いたので、小さなライブハウスにジャズを聴きに出かけた。
このイーストリバーの近くのライブハウスには本棚が沢山あって古い文学書や写真集などが並んでいた。
大きなウッドベースの音が、子供の頃の記憶と共に心に気持ちよく響いた。
そして大きなリビングにイーゼルを立て、日本を想うウッドベースの絵にとりかかった。
* * * * *

あなたのお気に入りの大きな箱
たくさんの音が詰まっている
魔法のように、指先がはじく弦から
ボン、ボン、ボロン
子供の時に聞いた曲
この曲歌っていいですか
ふわっと、足下からさらわれたい
あなたの音に包まれて
ボン、ボン、ボロン
たくさんの鍵の束から見つけてください
私の心の開く鍵
ボン、ボン、ボロン
観覧車から見た景色は
霧がかかって色あせていく
いつも聞いている音なのに
鼓動がだんだん早くなる
あなたの胸に包まれて
* * * * *
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