52歳、部長の名刺を失った日。 30年の経験が「事業」に変わり始めた
「もう遅い」と言われた元部長が、30年の経験を事業に変えるまで
第一章 肩書のない朝
「長谷川さん、来月末をもって、営業企画部は新設されるDX推進本部に統合されます」
会議室の窓から、灰色の冬空が見えていた。
長谷川修一(はせがわしゅういち)、52歳。
住宅設備メーカー「住建ソリューションズ株式会社」に勤めて30年になる。 地方営業所で新規開拓に走り回った20代。
部下を持ち、全国の支店を飛び回った30代。
営業企画部長として、商品の価格戦略や販売網の再構築を任された40代。
社内では、顧客の名前と過去の取引を誰よりもよく覚えている男として知られていた。
だが、その経験は新しい組織図の中で、ひとつの小さな文字に置き換えられた。
「長谷川さんには、新本部のシニアアドバイザーをお願いしたいと考えています」
役員は丁寧な口調で説明した。
部下はいない。
決裁権もない。
具体的な担当業務も、まだ決まっていない。
それが何を意味するのか、修一には分かっていた。
「つまり、席だけは用意するということですか」
役員は視線を落とした。
会社を出ると、生ぬるい風が頬をなでた。
帰りの電車で修一は、鞄の中から名刺入れを取り出した。
そこには、「営業企画部長 長谷川修一」と印刷されていた。
何千枚と交換してきた名刺。
しかし肩書を取り除いたとき、自分に何が残るのか、
修一には答えられなかった。
自宅へ戻ると、妻の美紀(みき)が夕食を作っていた。
「どうしたの? 顔色が悪いけど」
「いや、別に」。 そう答えながら、修一は自分の部屋へ入った。
机の上には、定年後の生活を紹介する雑誌が置かれていた。
趣味を見つける。
夫婦で旅行をする。
健康を大切にする。
どれも間違ってはいない。
だが、修一はまだ、人生を片づける準備などできていなかった。
胸の奥にあったのは、老後への不安ではない。
「自分は、もう必要とされていないのではないか」という恐怖だった。
第二章 世界で見つけた遅咲きの灯火
数日後、修一は大学時代の友人である森田(もりた)と久しぶりに食事をした。森田は修一の話を聞き終えると、ビールのグラスを置いた。
「だったら、自分で会社をやればいいじゃないか」
修一は思わず笑った。
「俺が起業? もう52歳だぞ」
「52歳だからできることもあるだろう」
「今の起業家は、20代や30代だ。
AIだの、アプリだの、資金調達だの。
俺には無理だよ」
森田は少し考えてから尋ねた。
「お前が30年間で、何社の取引先を見てきた?」
「少なくとも1000社以上かな」
「何人の営業を育てた?」
「直接なら、500人くらいだと思う」
「失敗した新商品は?」
「思い出したくもないほどある」
「じゃあ、その経験を持っている20代が、どこにいるんだ?」
修一は答えられなかった。
自分の52年は、単に消費された時間なのか。
それとも、まだ値札のついていない資産なのか。
帰宅後、修一はパソコンを開き、「50代 起業」と検索した。
そこで彼の目に飛び込んできたのは、世界中で「人生の後半」から圧倒的な事業を打ち立てた5人の起業家たちの実話だった。
1. 森 泰吉郎 氏(森ビル 創業者)
起業時の年齢: 53歳
背景・事業: 元々は横浜市立大学で経済学を教えていた大学教授でした。50代前半で実家の家業(不動産管理)を継ぐ形で独立し、「森ビル」を設立しました。
成功のポイント: 教授時代の都市経済学の理論と緻密な計算に基づき、当時はまだ珍しかった「高度な耐震・防災性能を持つ高層オフィスビル」を次々と建設。現在の赤坂アークヒルズや六本木ヒルズに繋がる大規模再開発の基礎を築き、世界屈指の資産家(1990年代初頭のForbes世界長者番付1位)となりました。
2. 後藤 瑞穂 氏(株式会社木風 代表取締役)
起業時の年齢: 50代前半
背景・事業: 造園会社などで働いた後、子育てをしながら難関資格である「樹木医」を取得。熊本県初の女性樹木医として活動したのち、50代で全国の樹木診断や保全・治療を手がける環境コンサルティング会社「株式会社木風(こち)」を創業しました。
成功のポイント: 巨木・老木診断の専門スキルだけでなく、ドローンやIT技術を用いた樹木診断システムなど新技術を次々と導入。長年の現場経験を生かした独自のポジションを築き、全国自治体や企業からの依頼が絶えない専門集団として成功を収めています。
3. 吉田 弘二 氏(株式会社JTL 代表取締役)
起業時の年齢: 50代後半〜60代(準備期間を経て拡大)
背景・事業: 化粧品会社で長年営業・管理職を務めた後に退職。高齢者や多忙な飼い主向けのペットシッター事業「愛犬のお散歩屋さん」を立ち上げました。
成功のポイント: 大手企業で培った「営業組織の構築ノウハウ」と「接客マニュアル化」の経験を、当時まだ個人業が主流だったペットシッター業界に導入。全国約70店舗規模のフランチャイズチェーンへ成長させ、年商3億円規模を達成しました。
4. 平田 のぶ子 氏(手編みサロンあみ〜ちぇ 代表)
起業時の年齢: 56歳
背景・事業: 専業主婦から看護師経験を経て、45歳過ぎで編み物学校へ通い資格を取得。「手の麻痺や関節炎で手が不自由になった高齢者でも編み物を楽しんでほしい」という想いから、ユニバーサルかぎ針「あみ〜ちぇ」を開発し、56歳で起業・製造販売を開始しました。
成功のポイント: 自身の「看護知識」と「手芸技術」を掛け合わせ、自治体の創業支援制度や補助金を活用しながら製品化。高齢者施設やリハビリ現場で支持を集め、メディアにも多数取り上げられるなど社会性の高い事業として花開きました。
5. 唐川マリ 氏(パーソナルスタイリスト/コンサルタント)
起業時の年齢: 57歳
背景・事業: パート主婦として子育てや親の介護を終えた後、「自分の人生を自分の好きな仕事で輝かせたい」と起業を決意。ファッションの資格を取得し、57歳で同世代の女性向けパーソナルスタイリストとして自宅で無資金創業しました。
成功のポイント: 自ら学んだSNS集客やオンライン化をフル活用し、同世代(50代・60代)の「何を着たら良いか分からない」という悩みに特化。さらにその経験を生かして同世代の起業コンサルティングを展開し、月商50万円以上を安定して売り上げる事業に成長させました。
彼らに共通していたのは、若者のように振る舞ったことではない。
長く生きたからこそ見える問題を、積み上げた経験で解決していたことだった。
修一はノートを開き、一行書いた。
「自分が30年かけて身につけたものは、何だろう」
第三章 経験の棚卸しと、最初の「10万円」
翌朝から、修一は毎日ノートに自分の経験を書き出した。
成功ではなく、最初に書いたのは失敗だった。
値引きで利益を失ったこと、
部下を急かしすぎて退職させたこと、
売れない商品を押しつけたこと。
書き始めると記憶がよみがえった。
その一方で、赤字営業所を2年で黒字にしたことや、
後継者のいない代理店の廃業を防いだ経験もあった。
修一は気づいた。
自分が得意なのは華やかな戦略ではなく、
問題を抱えている中小企業の話を聞き、
絡まった糸をほどいて整理することだと。
ある日、かつての取引先の社長から電話が入った。
「長谷川さん、少し相談に乗ってもらえないかな」。
従業員25人の建材販売会社で、社長の息子が入社したものの、
古参社員との関係が悪化しているという。
修一は休日に訪れ、社長、後継者、古参社員の話を順番に聞いた。
問題は能力ではなく、引継ぎの言葉足らずだった。
修一は「引継事項一覧表」を作成し、3人で確認した。
1か月後、社長から連絡があった。
「会社の空気が変わったよ。相談料を払わせてくれ」。
振り込まれた金額は、10万円だった。
会社員時代の給料よりはるかに小さい。
しかし、それは看板でも役職でもない、
自分自身の経験に対して支払われた特別なお金だった。
第四章 立ちふさがる壁と「つなぐ経営支援室」
修一は中小企業の営業改善と事業承継を支援する事業
「つなぐ経営支援室」を起こすことを決意した。
妻の美紀に打ち明けると、
美紀は「やっと自分の話をしたね。会社の話をしているときのあなたは『会社が』だった。でも今は『自分が』と言った」と微笑み、1年の期限と資金上限を条件に応援してくれた。
退職の日、社員証を返却すると身体が軽くなると同時に、
裸で街へ放り出されたような心細さを感じた。
現実は甘くなかった。HPを作っても反応はなく、
知人からは「再就職した方がいい」
「中小企業向けなんて専門家がごまんといる、売れないよ」と冷笑された。
挫折しかけた修一の脳裏をよぎったのは、あの5人の起業家たち、
そして最初にもらった10万円の記帳だった。
大勢に認められる必要はない。目の前の一社に寄り添うのだ。
修一は「後継者と古参社員が対立したとき、社長が最初にするべきこと」という記事をブログに書き始めた。
現場で失敗した人間にしか書けない、血の通った言葉を毎週投稿し続けた。
第五章 遅れて届いた依頼と、心の解凍
記事を書き始めて半年後、従業員80人の建材卸会社からメールが届いた。「ブログを読みました。創業者の父から私への事業承継が、営業部門の反発で進みません。力を貸してください」。
修一は現場に深く入り込み、半年間の承継計画を作り上げた。
途中、創業社長が「そんなものを文書にしたら、俺がいなくても会社が回ってしまうじゃないか!」と声を荒らげた。
修一は静かに答えた。「会社が回るようにすることが、社長が築いてきたものを残すことではないでしょうか」。
社長は小さくうなずき、「分かっているんだ。でも、自分が要らなくなるのが怖かった」と漏らした。
修一はその痛みを誰よりも理解できた。
肩書を失う恐怖、居場所がなくなる不安。
それは修一自身が通ってきた道だったからだ。
だからこそ、正論で追い詰めず寄り添うことができた。
承継が無事に進んだ帰り際、後継者が尋ねた。
「どうして父の気持ちまで分かってくれたのですか」。 修一は笑った。
「私も、自分の役割を失うのが怖かったからです」。
若さや効率だけでは届かない、遠回りの意味を知る52歳だからこそできた仕事だった。
第六章 人生後半の開花
起業から3年がたち、修一は55歳になった。
「つなぐ経営支援室」の顧客は20社に増え、売上は会社員時代の年収を上回るようになった。
地元の商工会議所で開かれた40代・50代向けのセミナーで、
修一は演台に立ち、古い自分の名刺をスクリーンに映した。
「私は52歳のとき、この肩書を失いました。当時はすべてを失ったと思いました。けれど、失ったのは肩書だけでした。経験も、挫折も、人とのつながりも、私の中に残っていました。皆さんには若さという資本があります。
しかし私たちには、積み重ねた時間という資本があります。持っている資本が違うだけなのです」
会場を出ると、秋の風が吹いていた。
ようやく過ごしやすい夜になった。
大切なのは、他と比べることではなく、自分に何が蓄えられているかを知ることだ。
修一は空を見上げた。
あの日、肩書を失った夏の朝は終わりではなかった。
あの日こそが、積み重ねたすべてを携えて歩み出す、最高の始まりだったのだから。
※上記に登場する企業名、人物名は仮名になります。(一部を除き)
■ この物語から学ぶ3つのポイント
経験は、棚卸しをして初めて「資産」になる 長年働いてきた人ほど多くの知識や失敗からの知恵を持っています。成功体験だけでなく「失敗と立て直しの泥臭い経験」まで書き出すことで、自分にしか提供できない独自の価値が見えてきます。
人生後半の起業は、小さく試すことから始める いきなり大きな資金を投じる必要はありません。休日の相談受け、情報発信、1つの困りごとの解決など、小さく始めることで「自分の経験が世の中に役立つ」という確固たる実感が得られます。
挫折や喪失の痛みこそが、唯一無二の「共感力」に変わる 解雇、降格、燃え尽き、熟年離婚などの苦しみは、その場では不幸に見えても、同じ痛みを抱える顧客の心に深く寄り添う圧倒的な人間味と信頼感(共感力)を生み出します。
■ 全体まとめ
起業や新たな挑戦に「遅すぎる」ということは絶対にありません。
40代、50代、60代、そして80代からの挑戦は、ゼロからの出発ではなく、
人生前半で蓄えてきた経験・人脈・失敗・忍耐力をすべて携えた成熟した
再出発です。肩書という外側の鎧を脱ぎ捨てたとき、あなたの中に残る本当の資産が芽吹き始めます。新しい事業の種は、遠くではなく、あなたがこれまで歩んできた道のりの中にこそ埋まっているのです。
【本日の格言】
「人生後半の挑戦は、ゼロからの出発ではない。積み重ねたすべてを携えた再出発である。」
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