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月6件で黒字だった会社が、9件でも苦しくなった理由

月6件が9件に変わった日──利益40万円を守るための、斉木拓也の決断

初夏の光が、三重県四日市市にある小さな事務所の窓から差し込んでいた。

「株式会社 斉木建築」の代表、斉木拓也(さいきたくや)は、液晶画面に並ぶエクセルの数字を凝視したまま、動けずにいた。

独立して、ちょうど3年。

大手コンサルティング会社での経験を捨て、家業でもあった建設の世界に飛び込んだ。そのまま父の会社に入社することもできたが、自分自身で起業した。

当初は「若造に何ができる」と冷ややかな目で見られたこともあったが、持ち前の誠実さと、ITを駆使した徹底的な工程管理で、ようやく地元の信頼を勝ち取りつつあった。

父には到底叶わないが、いつしか認められる会社にしていきたいと思っている。

しかし、今、斉木の目の前にある数字は、これまでにない「静かな危機」を告げていた。


第一章:狂い始めた歯車

「……たった10万、か」

斉木は独り言を漏らした。

独立当初、斉木が決めたビジネスモデルは明快だった。

1現場の売上単価は100万円。建築管理関係の一部を担う仕事になるので単価は低くなる。資材費や外注費などの現場経費は60万円。1現場終わるごとに40万円が会社に残る。これを月に6件完工させる。

40万円 × 6件 = 240万円。

ここから事務所の家賃や事務スタッフ(パート)の給与、車両維持費などの固定費200万円を引けば、手元に40万円の営業利益が残る。

この「利益40万円」は、斉木にとって単なる数字ではなかった。

独立3年目、ようやく軌道に乗り始めた会社を維持し、共に歩んでくれる職人たちに還元し、そしてまだ幼い2人の子供たちを育てるための、絶対に譲れない「生命線」だった。

しかし、現実は容赦なかった。

ウッドショックに原油高を端を発した資材高騰、物流コストの上昇、さらには深刻な人手不足による人件費の微増。

かつて60万円だった現場経費は、いつの間にか70万円に膨れ上がっていた。

さらに、業務を効率化するために導入したクラウドソフトの維持費や、インフレに伴う光熱費の上昇により、毎月の固定費も200万円から230万円へと跳ね上がっていた。

「現場は回っている。受注も途切れていない。なのに、なぜこんなに余裕がないんだ?」


第二章:ホワイトボードの告発

翌朝、斉木は現場責任者のベテラン、大野を事務所に呼んだ。

大野は斉木が独立した際、「若えが、こいつの目には覚悟がある」と言って付いてきてくれた恩人だ。

「大野さん、ちょっとこれを見てください」

斉木はホワイトボードに青いマーカーで数字を書き殴った。

【現実の再計算】

  • 売上単価:100万円

  • 新しい現場経費:70万円

  • 限界利益(1現場の利益):30万円

「これまで1件で40万円残っていた利益が、今は30万円しか残りません。10万円の消失です」

大野は黙ってボードを見つめている。斉木は続けた。

「次に、会社を維持するために稼がなきゃいけない総額です。固定費が230万円に上がり、死守したい利益が40万円。合わせて270万円。これを、今の利益30万円で割ると……」

斉木は最後に赤いペンで大きく数字を書いた。

【必要完工数:9件】

「9件……!?」大野が声を荒らげた。

「バカな。斉木さん、俺たちは今、6件回すのだって深夜までライトを照らしてやってるんだ。3年経って、やっと仕事に慣れてきた若手もいる。そこに1.5倍の仕事を突っ込んだら、みんな壊れちまうぞ!」

「分かっています。でも、今の単価のまま、利益40万円を守ろうと思えば、これしかないんです」

事務所に沈黙が流れた。

9件こなすということは、工期を短縮し、移動時間を削り、休憩を返上するということだ。それは「斉木建築」が大切にしてきた「見えない部分まで手を抜かない施工」を捨てることを意味していた。


第三章:見えないコストの恐怖

「頑張れば、なんとかなるんじゃないか」

一瞬、そんな考えが斉木をよぎった。
自分も現場に入り、睡眠時間を削れば、7件、8件まではいけるかもしれない。

しかし、斉木は前職のコンサルタント時代に見てきた、倒産していく企業の末路を思い出した。

「頑張る」で解決しようとする会社は、必ず「見えないコスト」に食い潰される。

無理に現場を詰め込めば、職人の疲労がピークに達する。クレームも発生しやすくなる。それに事故も起きやすくなる。

疲労は、数ミリのズレを見逃させ、ビスの一本を締め忘れる原因になる。

それがクレームとなり、やり直し工事が発生すれば、30万円の利益など一瞬で吹き飛ぶ。何より、3年かけて築いた「斉木さんに頼めば安心だ」という地域からの信用が死ぬ。

「安くて忙しい会社は、長く続かない。それは、お客様にとっても不幸なことなんだ」

斉木は自分に言い聞かせるように呟いた。

利益40万円は、会社という「船」を沈ませないための浮力だ。
それを削ることは、乗組員である社員と、その家族を危険に晒すことと同義だった。


第四章:3年目の決断

「大野さん、決めました。現場は増やしません。月6件、今の体制でできる最高の仕事を維持します」

「……じゃあ、利益はどうするんだ?」

斉木は真っ直ぐに大野の目を見た。

「単価を上げます。1現場120万円。これが新しい僕たちの基準です」

大野の顔に緊張が走った。

「120万……。そりゃあ、競合に負けるぞ。大手だって、もう少し安く出してくる」

「かもしれません。でも、僕たちは『ただの工事』を売っているんじゃない。お客様がこの先20年、30年と安心して暮らせる“未来”を売っているんです。そのための適正価格だと、僕が説明して回ります」

独立して3年。

斉木拓也という人間が、単なる「数字を管理する男」から、本当の意味での「経営者」になった瞬間だった。


第五章:誠実という名の交渉

翌日から、斉木は現在進行中の案件や、見積もり提出前の顧客のもとへ一軒一軒足を運んだ。

手には、資材価格の推移表と、自社の経営理念を記した資料を携えていた。

「斉木さん、20万円の値上げは厳しいよ。他所は据え置きだって言ってるのに」

長年応援してくれている地元の地主、佐藤さんは困ったような顔をした。

斉木は逃げずに答えた。

「佐藤さん、正直に申し上げます。今のまま100万円でお引き受けすることは可能です。ですが、それでは私の会社は、無理をして工期を縮め、現場を詰め込むしかなくなります。それは、佐藤さんの家を、私の誇れない仕事で仕上げるということです。私は、佐藤さんを裏切りたくありません。この20万円は、最高の品質を維持し、私が10年後も20年後も、佐藤さんの家の主治医として存続し続けるための『安心料』だと思って頂けないでしょうか」

斉木は深く、長く頭を下げた。

自分の都合を押し付けるのではない。
お客様の利益を守るために、会社が健全でなければならない。
その論理を、魂を込めて伝えた。

1分、あるいは5分。

長い沈黙のあと、佐藤さんは大きく息を吐いた。

「……分かった。あんた、そこまでハッキリ言うか。でもな、今の時代、安さだけを売りにする奴は信用ならん。あんたのその『頑固さ』に、もう一度賭けてみるよ」


最終章:守り抜いた40万円の先

その月、受注は一時的に落ち込んだ。

相見積もりで「高い」と言われ、断られた案件もあった。

だが、斉木の心は驚くほど澄み渡っていた。

残ったのは、「安さ」ではなく「斉木拓也」を信じてくれた顧客たちだった。

現場の空気も劇的に変わった。

大野たちは、以前にも増して誇り高く仕事に励んだ。

「社長があれだけ頭を下げて取ってきた単価だ。半端な仕事はできねえ」

その熱量は、完成した建物の美しさに、そして顧客の満足度へと昇華された。

数ヶ月後。

「斉木建築は少し高いが、仕事の質がまるで違う」

そんな噂が、市内を中心に広がっていった。

紹介で来る顧客は、最初から斉木の提示する価格に納得していた。

結局、斉木は月6件のペースを守りながら、以前よりも安定して40万円以上の利益を確保できるようになった。

固定費の削減にも着手した。
コンサル時代の知識を活かし、ペーパーレス化と在庫の適正化を徹底。
無駄な経費を削り、浮いた資金で若手職人のための新しい工具セットを購入した。


エピローグ:社長の背中

ある土曜日の午後。

事務所で一人、月次決算を終えた斉木は、デスクに飾った家族の写真を眺めていた。

2人の子供たちが、満開の桜の下で笑っている。

利益40万円。

それは、会社を守るための防波堤であり、社員の生活を守るための屋根であり、そして、お客様に嘘をつかないための「誠実さの原資」だった。

「頑張る」ことと「無理をする」ことは違う。

「努力」で解決できない問題に直面したとき、経営者に必要なのは、数字を直視する「勇気」と、自らの価値を信じる「覚悟」なのだ。

窓の外では、夕焼け空の下を大野たちのトラックが戻ってくるのが見えた。

そのエンジン音は、明日への希望を刻む鼓動のように、斉木の胸に力強く響いていた。


※上記に登場する会社名、人物名は仮名になります。


今日の学び

ポイント①

「売上=安心」は幻想。 利益が出なければ会社は確実に弱る

資材費や仕入価格が上がる中で、販売価格に転嫁できない会社は、見た目の売上が伸びていても中身はどんどん痩せていきます。
特に創業期は「仕事を取ること=正義」と思いがちですが、単価を据え置いたまま受注を増やすと、やればやるほど利益が削られる構造(ジリ貧)に陥ります。
売上はあくまで「通過点」であり、本当に見るべきは「1件あたりいくら残るか」という利益の視点です。


ポイント②

「儲からない会社」の典型は“忙しいのにお金が残らない”構造

多くの会社が陥るパターンは以下です。

  • 売上は伸びている

  • 現場は常にフル稼働

  • しかし月末にお金が残らない

これは、

  • 限界利益の低下(原価上昇)

  • 固定費の増加

  • 単価据え置き
    が同時に起きている状態です。

つまり、仕事量ではなく「利益構造」が崩れていることが多くあります。
この状態でさらに受注を増やすと、品質低下・クレーム・再工事といった負の連鎖に入り、経営は一気に苦しくなります。


ポイント③

「数字の裏」を読めるかが経営者の分岐点

同じ「売上100万円」でも意味は全く違います。

  • 原価60万円なら → 残り40万円

  • 原価70万円なら → 残り30万円

この10万円の差が、会社の未来を大きく左右します。

経営者が見るべきは

  • 売上ではなく「限界利益」

  • 総額ではなく「1件あたりの利益」

  • 感覚ではなく「構造」

特に創業期は、
「とにかく仕事を取りたい」という感情が強くなりますが、
仕事を取ることと、利益を残すことは全く別の能力です。

ここを切り分けて考えられるかどうかが、成長と衰退の分かれ道になります。


まとめ

資材高騰の時代において、
価格転嫁できない会社は利益を失い、気づいた時には体力を削られています。

厳しいようですが
忙しさは、会社を救いません。
売上も、会社を救いません。

会社を救うのは、ただ一つ。
「利益が残る構造」を理解し、守り抜くことです。

そのために必要なのは、
感覚ではなく数字を見る力。
そして、
単価を見直す覚悟、もしくはコストを削る決断。

経営とは、数字の裏にある現実を直視し、
「取る仕事」と「断る仕事」を選択の連続です。

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