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【人脈とは】 2000→19件


事故で全てを失った元社長が知った「人脈」の真実


序章:社長の風景


人脈とは、人生において本当に必須のものなのだろうか。そして、そもそも人脈とは、一体どういうものなのだろうか。54歳になった今、俺はその問いを、これまでの人生とは全く異なる視点から見つめ直している。

昭和46年生まれ。俺は、30名ほどの従業員を抱える製造業の社長だった。
浜松のこの地で、先代である父が創業した工業部品のプラスチック成型会社を継ぎ、およそ20年、文字通り全身全霊をかけて働いてきた。
父から受け継いだのは、半世紀にわたる信頼と、培われた技術力。
それを守り、さらに発展させるのが俺の使命だった。小さな会社ながら、技術力には自信があり、大手メーカーからの信頼も厚かった。特に精密部品の成型においては、同業他社に負けないノウハウを積み上げてきた自負があった。

自宅から会社までは車で15分。
工場に入ると、プラスチック特有の匂いと、成型機の稼働音が俺を出迎える。機械たちの唸り声は、俺にとっては心地よい音楽だった。毎日現場を回り、従業員に声をかけ、設計図に目を通す。一つ一つの製品に魂を吹き込むような、そんな気持ちで仕事に取り組んでいた。経営者としての数字管理はもちろん、時には現場で従業員と共に汗を流すことも厭わなかった。俺は、この会社と、ここで働く皆を、家族のように思っていた。

家族は、専業主婦(たまに会社を手伝ってくれる)の妻、咲恵。
新卒2年目で都内のサーフィン関係メーカーに就職した息子。
大学2年生で、東京の大学に通っている娘。
そして、5歳になる柴犬のジョン。
傍から見れば、順風満帆な人生に見えたかもしれない。
両親も健在で、父は88歳、母は85歳。
週末には顔を見せに行き、お茶を飲みながら他愛もない話をする。
俺は、この守るべきものがある日常に、確かな幸せを感じていた。

俺の生まれ育ちは浜松だ。
この街の全てが、俺の血となり肉となっている。
特に、五月の薫風が吹き始める頃、俺の心は高揚する。
浜松まつりだ。最近は餃子が全国的に有名になったが、俺にとって浜松と言えば、やはりあの勇壮な凧揚げ合戦と御殿屋台だ。
ゴールデンウィークが近づくと、遠州灘からの湿った風に乗って、祭りの匂いが漂ってくるようだ。五月の空を切り裂くような巨大な大凧の轟音。それぞれの組の旗をなびかせ、糸を繰る揚げ師たちの雄叫び。力強い和太鼓の響きが腹の底に響き渡る。街中から立ち上る屋台の香ばしい匂い。そして何より、街中が一体となるあの熱気。あの祭りが近づくと、一ヶ月くらい前から血が騒ぎ、寝付きが悪くなるほどだ。当日の天気は?凧は揚がるか?いい風は吹くだろうか?今年もケガや事故はなく、安全で終わってほしい。
そんなことばかり考えてしまう。それは、単なる祭りへの参加というより、浜松という土地と、そこに生きる人々のエネルギーとの一体感を感じる儀式のようなものだった。

40代後半からは、少し寝付きが悪くなったと感じることもあったが、昼休みに20分の仮眠をとる習慣をつけたことで、午後からの仕事に支障はなかった。体力には自信があったし、何より、俺は自分の仕事と、この街が好きだった。

第一章:風向きが変わるとき

あの事故は、新年度が始まったばかりの、会社全体が最も活気づく時期に起こった。大手企業からの大型受注、新製品開発の波。家電関係の部品は特に忙しい。冬からの打ち合わせが一気に形になり、サンプル出しから量産へと息つく暇もない。各社が最新家電でシェアを狙っているので、それに合わせてこちらもスピード感を求められる。品質はもちろん、納期厳守が何より重要だ。社長である俺が、直接得意先に出向いて最終調整や、次期製品の擦り合わせを行うことも多かった。

その日も、横浜の大手家電メーカーとの重要な商談があった。次世代機の核となる部品受注がかかっていた。時間は15時。午前中の朝礼で従業員に活を入れ、事務所で営業や事務の指示を済ませてから、余裕をもって出発したはずだった。午前中にいくつか問い合わせの電話があった。パーキングで対応に追われたが、予定通りに進んでいた。

15時の商談は、見事に成功した。数社との競合、いわゆる相見積もりだったが、長年培ってきた技術力に裏打ちされた製品の信頼度と、コストパフォーマンス、そして俺自身のプレゼンテーションが決め手となり、最後は勝利を勝ち取ったのだ。これで、来期も安定した受注が見込める。ホッと胸をなでおろした。商談だけで失礼するつもりだったが、先方が新任の部長を紹介したいと言ってくださり、軽い夕食を共にすることになった。俺が運転していることを気遣って、先方は市内の定食屋を選んでくれた。

新たなビジネスの話、業界の動向、そして互いの趣味の話など、話は弾み、気づけば21時を回っていた。充実した一日の終わり。少し疲労はあったが、興奮の方が勝っていた。いつもなら23時頃には床に就いているが、今日は少し遅くなってもいいか、途中のパーキングで少し休めばいい、そう考えていた。

横浜の街を抜け、高速道路に乗った。道路は空いていた。何度も通い慣れた道だ。全く問題ない、そう思っていた。途中、東名高速のパーキングエリアでトイレに寄ったことまでは覚えている。少し眠気を感じていた。仮眠をとろうか、どうしようか迷っていて……そこからの記憶が、全くないのだ。まるで、その間の時間がごっそり切り取られてしまったかのようだった。次に意識が戻ったのは、全く別の場所だった。

第二章:奈落の底で掴んだ現実

次に意識を取り戻した時、俺は白い天井を見上げていた。鼻には酸素チューブ、体に繋がる点滴。全身が鉛のように重く、どこか遠い場所のように感じる。口の中はカラカラで、声を出そうにも掠れた音しか出ない。「…どこだ?ここは……あそこか?何だったっけ」最初に頭に浮かんだのは、イメージはあったが、「病院」という簡単な単語さえ出てこなかった。

意識が朦朧(もうろう)とする中、目を開けると、最初に視界に飛び込んできたのは、泣き腫らした妻の咲恵の顔だった。「……さ、さ、きえ…」掠れた声で名前を呼んだ。咲恵は、まるで悪夢から覚めたかのように、俺の手を強く、強く握りしめ、「あなた!よかった…!目を覚ましたのね…!もう、もう…」と嗚咽を漏らした。その声が、俺がただ眠っていただけではないことを物語っていた。咲恵が、俺が4日間も眠っていたと教えてくれた。4日間…その間、会社はどうなっている?銀行への対応は?頭の中に、経営者としての責任感、守るべきもののことが洪水のように押し寄せてきた。

医師から、大事故だったこと、体の複数箇所を骨折していること、そして、脳にも損傷があり、しばらくは体が動かせない状況だと聞かされた。頭がぼうぜんとして、現実感が伴わない。まるで他人事のように「ああ、日にち薬だろう」と思った。咲恵の泣き顔を見ても、どこか遠い世界のことのように感じていた。

「お客様に…連絡を…」懸命に伝えようとした。だが、言葉が上手く紡げない。呂律が回らず、まるで酔っぱらいのような話し方になる。懸命に伝えようとする俺の言葉を聞きながら、咲恵の眉間にシワが寄る。「通じていない…」その事実に、深い絶望感を覚えた。経営者として、従業員に指示を出し、得意先と交渉してきた「言葉」という武器を、一瞬にして失ったのだ。メモをしようと手を動かそうとしたが、全く力が入らない。右手どころか、体全体が言うことを聞かない。その時、初めて事の重大さを、体をもって、突きつけられた。

不幸中の幸いだったのは、事故が単独だったことだ。
他の誰かを巻き込むことだけは避けられた。
それは、この地獄のような状況の中で、かろうじて俺の心を苛む罪悪感を和らげてくれる、唯一の救いだった。

一ヶ月が経過し、骨折の回復を待って、ようやくリハビリが始まった。寝たきりだったせいで、筋肉は驚くほど落ちていた。
手足は細くなり、まるで自分の体ではないようだ。
立つことも、歩くことも、座っていることさえ辛い。
そして、そこで突きつけられた現実が、俺を奈落の底へと突き落とした。
医師は、慎重な口調で告げた。「右半身に、後遺症が残ります。麻痺です」動かない。聞き手は右手だった。ペンを持つことも、箸を持つことも、もちろん精密な機械を触ることもできない。経営者として、現場の技術者として、俺のアイデンティティそのものだった右手が、完全に沈黙してしまったのだ。絶望が、鉛のように全身を覆い尽くした。

第三章:城を守る戦い、そして葛藤

「社長である俺が、早く事務所に戻らなくては…!」焦燥感が、病室の白い壁に響くようだ。会社は大丈夫か?資金繰りは?従業員たちは動揺していないか?ベッドの上から、俺の頭の中は会社のことで一杯だった。
幸い、叩き上げの幹部である竹田が、俺の不在中、会社を必死に守ってくれていると聞いた。新卒で入社し、現場からたたき上げてきた男だ。真面目で、従業員からの信頼も厚い。彼なら任せられる。そう信じたかった。25年育ててきて良かったと思った。

銀行とのやりとりは、咲恵が、代行してくれた。
社長不在となれば、銀行は必ず動揺する。
案の定、短期借入の返済時期が迫る中で、銀行の態度は硬化した。

「社長が回復されてからでも…」と話を曖昧にしてきたのだ。

しかし、資金は底をつきかけている。うちは一部を短期借入に頼っている。いわゆる資金繰りに余裕はない経営だった。
資金繰りが詰まれば、一瞬で会社は倒産へ向かってしまう。

「急いでくれ!待ったなしなんだ!」ベッドの上から電話で指示を出すが、思うように言葉が出ない歯がゆさ、そして銀行側の冷たい対応に、俺の苛立ちは募る一方だった。

そして、銀行が提示してきた条件は、満額3000万円ではなく、半額の1500万円だった。

頭が真っ白になった。

弱った社長を見て、足元を見てきたのだ。

「何を考えているんだ!長年の付き合いだろうが!舐めるな!」

電話口で怒鳴りつけたい衝動に駆られた。

だが、咲恵が「貸してもらえるだけでもありがたいのでは…」と、戸惑ったように呟いた。経営の厳しさも、銀行の非情さも知らない咲恵の言葉に、苛立ちと同時に、この事態を彼女に押し付けていることへの申し訳なさがこみ上げた。経営者としてのプライドを土足で踏みにじられたような屈辱感。
しかし、借りなければ会社は潰れる。従業員の生活も、家族も、路頭に迷うかもしれない。歯を食いしばり、その条件を呑んだ。会社の命運を、そして自分自身の個人保証という重荷を、ベッドの上から見守るしかできない無力感。経営者としての俺は、今、完全に機能を停止している。この「城」を守るためには、俺ではない誰かの力が必要だった。

第四章:後継者たちの選択

三ヶ月が経過し、リハビリも終わりに近づき、退院の話も出始めた。
だが、右半身は相変わらず、俺の意志とは無関係に沈黙を守っている。
毎日毎日、立ち上がる訓練、歩く訓練、右手に力を入れる訓練。だが、右手が動かない。その事実に、自分自身への怒りが湧き上がる。
「毎日、意味がないじゃないか!動かないんだから!」リハビリの花井一樹先生に、思わず感情的に怒鳴りつけてしまったこともあった。

俺の苛立ちと絶望をぶつけるかのように。それでも花井先生は、根気強く、献身的に、俺のリハビリを続けてくれた。その優しさが、かえって俺の心を締め付けた。この怒りを、一体どこにぶつければいいのだ?そして、俺はこの先、どうすればいいんだ?

退院後、俺は車椅子での生活になった。自宅はバリアフリーになっていない。僅かな段差、少しの坂道、トイレの手すり。これまで当たり前だった日常が、全て障壁となって立ちはだかる。咲恵が懸命にサポートしてくれる。食事の準備、着替え、入浴。一つ一つ、咲恵の手を借りなければならない。悔しさ、情けなさ、そして咲恵への申し訳なさで、俺の心は常に嵐のようだった。こんな姿で、どうやって会社を経営するのだ。

そんな中、俺は事業承継について、真剣に考える必要に迫られた。

頼りにしていた息子は、大学卒業後、都内のサーフィン関係メーカーに就職していた。

正直、いつかは家業を継いでくれるだろう、腰掛けのつもりで数年経験を積めば、一緒に仕事ができるだろう。そう信じていた。そして、父である俺が窮地に立たされている今、きっと助けてくれるだろうと、心のどこかで期待していた。

だが、息子との会話は、俺の甘い期待を打ち砕いた。

「俺、サーフィンの仕事が好きだから。この仕事を続けたいんだ」
まっすぐに、息子の心からの言葉だった。
事前に咲恵から「あの子、会社を継ぐ気がないみたいよ」と聞いていた。
だから、直接その言葉を聞いても、驚きよりも、むしろ寂しさや、少しの安堵が入り混じった複雑な感情だけが残った。
俺が彼に強制することはできない。親のエゴだよな。彼の人生だ。分かっている。だが、経営者として育ててきた、共にこの会社を盛り上げていきたかった、その夢が目の前で崩れ去る音を聞いた気がした。

ならば、残った選択肢は
幹部の竹田に託すしかない。
そう思い、彼に打診した。
しかし、彼もまた承継には難色を示した。
「社長への重圧は分かります…ですが、妻が、少しいい顔をしなくて…」
その言葉の裏にあるものを、俺は痛いほど理解した。
社長への重圧。ここ最近では、竹田が1人で何役にもなってくれた。事故にあってからは、竹田が社長の代わりをしてくれて、嫌というほど社長を体験したと思う。
そして何より、銀行からの借入に対する個人保証。
失敗すれば、破産が待っている。
家族を路頭に迷わせるかもしれない。それでも経営者はやっていかないといけない。
経営者の個人保証ほど、重いものはない。

分かっている。

彼に、その重荷を負わせることはできないか。

彼にも守るべき家族がいるのだ。ならば、第三者に託すしかない。

次の選択肢は苦渋の決断だったが、決断は早かった。

高校時代の先輩である高橋信夫さんに任せることにした。高橋さんも浜松で製造業を営んでいる。かつてはライバル会社だったが、若い頃から俺を可愛がってくれ、商売のいろはを教えてくれた恩人でもある。高橋さんは、地元密着で自動車やバイクに強かった。俺は、電化製品や音響関係の会社を当初は取引をしていた。

高橋さんなら、俺の会社と従業員を守ってくれるだろう。長年の信頼があった。そう信じるしかなかった。会社の存続を最優先に考えた、経営者としての最後の判断だった。

第五章:遠ざかる響き

事故から9ヶ月。俺は会社に「復帰」した。それは、社長として戻るのではなく、会社を第三者に託し、形式的に会長という肩書きを得て戻るという、複雑な立場だった。車椅子に乗った、変わり果てた俺の姿に、従業員たちはショックを隠しきれないようだった。痛々しい視線、どう接していいか分からない戸惑い。自分がここにいることで、皆に気を遣わせているのが分かった。オフィスに漂う、張り詰めた空気。かつて俺が牽引していた活気とは、まるで別物だった。

それでも、口だけは元気だった。事務所の一角に用意された俺の席から、「あれはどうなった?」「あの件は進んでいるか?」指示を出し、問い詰める。そうしている間だけは、自分がまだ「社長」でいられる気がした。やっぱりここはいいな。仕事は楽しい。そう思った。だが、雰囲気の違いを徐々に、そして確実に感じ始めた。かつてのように、俺の一言一句に集中するのではなく、どこか上の空のような視線。従業員の意識は、既に新しい権力者に向かっていた。

新社長は、高橋先輩の息子である淳也だった。若く、頭の切れる男だ。ある日、その淳也に呼ばれた。

「会長、少しお時間をいただけますでしょうか」
応接室に通され、彼は切り出した。
「今期で、会長の職を辞任していただきたいのですが…」
静かに、だが明確に、そう告げられた。

理由は、新しい体制への移行をスムーズに進めたい、というものだった。
当然の理由だ。
俺がここにいることで、従業員も銀行も、新しい社長に遠慮してしまうだろう。

だが、俺の心は激しく動揺した。「この会社は、俺のものだ…!」喉元まで出かかった言葉を、必死で飲み込んだ。

情けない。

惨めだ。

かつて俺が血と汗と涙を流して築き上げてきた場所から、今、正式に排除されようとしている。

飲み込まなければ、情けない自分を晒すだけだ。

「…分かったよ。」絞り出すように、そう答えるのが精一杯だった。

こうして、俺の会社人生は、あっけなく、そして呆気なく、事故からわずか9ヶ月で幕を下ろした。

創業50年の看板。
父から受け継ぎ、従業員と共に守り、育ててきた会社。
そこから、俺は完全に離れることになった。父母には、このことは話をしなかった。ただでさえ事故でショックを受けていて、さらに会社を追われたとなれば、父母は余計悲しむ。報告はしないと決めた。

それまで、「寂しくなりますね」「社長がいないと困りますよ」そう言ってくれていた従業員や得意先。
退任してからも、しばらくは俺の携帯電話は鳴っていた。
かつての取引先や、懇意にしていた銀行担当者から、様子を伺う電話も来た。
会長を辞任してからも、以前からの付き合いで、お客様から要望や問い合わせを受けることもあった。
俺はそれを会社に伝えようと、事務所に電話をした。だが、担当者に取り次いでもらえない。折り返しの電話も来ない。そう、もう俺は「利害関係者」ではなくなったのだ。俺に連絡しても、もう何のメリットもない。
新しい社長である淳也に、誰もが意識を集中させる。
淳也が何か言っているのか、淳也に睨まれたくないのか。
ビジネスの世界とは、こんなにもシビアなものなのか。
仕方がない、そう思う一方で、深い孤独感が胸を締め付けた。

これまでの会社人生は、一体何だったのだろう。
築き上げてきた人脈は?信頼関係は?まるで砂の城が、波にさらわれるように崩れるように、俺の周りから人々が離れていった。
かつてあれほど頻繁に連絡を取り合っていた人たちも、蜘蛛の子を散らすように去っていった。
会社の人脈も、俺が会社を離れた途端、潮が引くように消え失せた。
最後に聞いた話では、かつての得意先が幹部に「前の社長に電話しろよ」と、言ってくれたらしいが。だが、幹部は「もう結構です」と断っていたそうだ。ああ、人脈とは、そういうものなのか。
利害関係がなくなった瞬間に、価値を失う儚いものなのか。
育ててきたと言えば、言い過ぎだが、一緒に闘ってきたとは思えないほど現実は冷たかった。

第六章:電話帳の真実

自慢だった携帯電話の電話帳。2000件近くの連絡先が入っていた。社長という肩書きがあった頃は、それが俺の価値そのものであるかのように感じていた。スマホが普及する前は、容量が足りなくてガラケーを2台持ちをしていた時期もあったほどだ。いつか役に立つだろう。このネットワークが、俺のビジネスを、そして人生を支えてくれるだろう。そう信じていた。

だが、今はどうだ。鳴らなくなった携帯電話。真っ暗な画面を見つめ、深く、長い溜め息をつく。「ふー…」この鳴らない電話、必要ないな…。過去の栄光にしがみついていても、何も始まらない。そう思い立ち、携帯電話を変えることにした。(全てを、一旦リセットしよう。)と思った。

妻の咲恵と一緒に行った。駅前の大型商業施設に入っている携帯ショップ。週末で賑わうフロア。俺は車椅子で、咲恵が俺の隣で手続きを見守ってくれている。携帯ショップの店員は、娘と同じくらいの若い女性だった。新しい機種に変えるだけでなく、電話番号も変えたい、そう告げると、咲恵は「え?もったいないわよ。たくさんの人と繋がっているんでしょう?」と少し戸惑ったような顔をした。「いや、いいんだ」俺は首を振った。もう、過去に囚われたくない。新しい人生を切り拓くんだ、と強い決意をもって告げた。

若い店員さんは、少し驚いたようだったが、すぐにの明るい笑顔に戻った。「電話番号の下四桁に希望はありますか?」と尋ねてきた。
特にこだわりはなかったので、「何でもいいよ」と答えた。
すると彼女は、「では、縁起の良い番号にしましょう!きっとお客様にとって、良いスタートになりますよ!」と、まるで応援してくれるかのように、笑顔で手続きを進めてくれた。「何を、占いみたいなことを…」と心の中で思ったが、彼女の曇りのない明るさと、新しい番号への期待感が、少しだけ俺の心を照らした。

帰り際、新しい携帯電話を受け取りながら、彼女は俺の目を見て、にっこりと言ってくれた。「その番号、きっととても良い番号だと思いますよ。新しいスマホ生活ですね。」その言葉が、何故か心にじんわりと染み渡った。

そう、俺は旧携帯電話の電話帳データを、新しい携帯電話には引き継がなかった。そして、自宅に戻ってから、新しい電話番号を登録したのは、本当に信用できる人間、そして、今の俺に必要な人だけだった。ビジネス関係の連絡先は、一つも登録しなかった。

結果、電話帳に残った連絡先は、たったの19件だった。(おいおい…)新しい携帯電話の画面を見て、一瞬、愕然とした。2000件近くあった連絡先が、19件。桁が二つも減った。まるで、俺という人間の価値が、100分の1になったかのようだ。だが、その直後、ある確信にも似た思いが胸に込み上げた。

これでいいんだ。

これが、今の俺にとって、本当に大切な人たちなのだ。

これは、俺の新たなスタートなんだ、と。

第七章:思わぬ追い風

新しい電話番号を、何人かの親しい人に教えた。
同級生にも連絡をした。
かつて、仕事にかまけて、まともに連絡も取っていなかった奴らだ。
正直、反応が怖かった。
どう思われているのか?反応はあるのか?と余計な心配もした。

だが、教えたうちの一人から、すぐに電話がかかってきた。
相手は、同級生の大野昭雄だった。
昔から気さくで、馬鹿なことばかりしていた悪友だ。
高校卒業後、全く違う道を歩み、連絡も途絶えがちになっていた。

「おう、久しぶり!番号変わったって?連絡ありがとう!どうしているんだ!久々に飯でも行こうや!」

いつもの、全く変わらない調子で、明るく誘ってくれた。

「バカか!俺、車椅子だぞ!そんな簡単に行けるか!」
思わず、少しきつい口調で言い返してしまった。
俺の今の状況を知らないのか?それとも気遣ってくれているのか?
複雑な感情が入り混じる。

「バカか!車椅子でも行ける店があるんだよ!お前、相変わらずバカだな」

昭雄も負けじと、いや、それ以上に力強い、そして温かい口調で言い返してきた。

その言葉を聞いた瞬間だった。
事故以来ずっと張りつめていた心が、プツンと音を立てて切れたように、俺の目から自然と涙が溢れ落ちた。普通にこうして誘ってくれることが何より嬉しかった。
止めどなく流れる涙を、どうすることもできなかった。

約束の日、昭雄が迎えに来てくれた。

家の前に現れたのは、まさかのハイエースだった。

それも、後部にリフトが付いていて、車椅子ごと乗り込めるように改造されている。

「どうしたんだ、この車…」

俺が驚いて尋ねると、昭雄は得意げに笑った。

「おー、俺、タクシーの運転手になったんだよ。で、数年前から、介護タクシーも始めたんだ。まさか、この車で、お前を乗せることになるとはな!」

そう言って、高らかに馬鹿笑いをした。
彼の声には、俺の境遇を憐れむ色など微塵もない。
ただ、旧友との再会を喜ぶ、純粋な喜びだけが溢れていた。
俺の状況を知っていて、俺のために、この車で迎えに来てくれたのだ。
その温かさ、優しさ、そして昔と変わらない明るさが、俺の冷え切っていた心を、ゆっくりと温めてくれた。

食事も、俺の好きな浜松の和食屋を選んでくれていた。

店に入ると、すでに席が用意されており、車椅子でも余裕がもてる広々とした空間だった。
魚は、食べやすいように全て骨を取り、細かく切られている。
そして、テーブルの上を見て、また言葉を失った。
箸だけでなく、フォークとスプーンが用意されていたのだ。
それは、普段俺が家で使っている、握りやすいように加工された自助具のフォークとスプーンだった。
咲恵が、事前に昭雄に連絡を取り、俺の体のこと、食事で困っていることなど、事細かに話してくれていたらしい。
そして、昭雄は、それを咲恵から借りてきてくれたのだ。
妻の深い愛情と、昭雄の細やかな気遣い。
その両方に触れ、また、涙がこみ上げてきた。
やばい・・・今度は止めることができない。
嗚咽が漏れそうになるのを、必死で堪える。

「わさびを付けすぎた」と、顔を歪ませてごまかした。

昭雄は、俺の様子に気づいていた。
「バカか!」といつものように俺を罵りながら、その大きな瞳に、涙を一杯溜めていた。二人で泣いた。
言葉は少ないが、伝わるものがあった。

「お前が辛かった分、俺も辛かった。誘おうか迷ったよ。連絡するのも迷ったよ。」

「俺な、生きててよかった。またお前に会えてよかった。」そんな、幾千もの言葉にならない思いが、二人の間に流れた。

「なぁ、人生、いろいろあるよな」
昭雄が、ぽつりと呟いた。

「ああ…」俺は頷くしかなかった。

「でも、これからだな」昭雄は、そう言って、俺の肩を力強く、だが優しく叩いた。

過去を悔やんでも仕方ない。

失ったものを嘆いても、何も変わらない。

大切なのは、「これから」なのだ。

食事を終え、昭雄は家まで送ってくれた。車から降りる時も、さりげなく、だがしっかりと俺と車椅子を支えてくれた。彼の後ろ姿に、俺は感謝の念で一杯になった。

終章:繋がる心

これまでの俺は、人脈こそが宝だと思っていた。数多くの名刺交換、広い顔のネットワーク。それが、経営者としての力であり、成功の証だと信じて疑わなかった。

だが、事故で全てを失った時、社会的地位も、健康な体も、そして築き上げてきたビジネス上の人脈も、あっけなく崩れ去った。

大抵の人脈は、利害関係が無くなった瞬間に、驚くほど簡単に終わりを迎えることを知った。かつてあれほど頻繁に連絡を取り合っていた者たちも、蜘蛛の子を散らすように去っていった。会社の人脈も、俺が会社を離れた途端、潮が引くように消え失せた。人脈とは、こんなにも脆く、儚いものだったのか。

いや、違う。

真の人間関係とは、利害や肩書きがなくなった時、社会的価値を失った「剥き出しの自分」になった時に、それでも傍にいてくれる人たちのことなのだ。
そして、そんな真の人脈は、意識して「作る」ものではなく、これまでの人生で、真心を込めて向き合ってきた結果として、知らず知らずのうちに育まれてきた、かけがえのない宝物なのだ。
それは、数ではなく、深さであることを知った。いかにその人のことを思うことかを知った。

事故で多くのものを失った。
右半身の自由。
社長という肩書き。
築き上げてきた会社。
ビジネス上の華やかな人脈。


・・・・数え出したらキリがない。

だが、その代わりに、本当に大切なものが何なのかを知った。

車椅子での生活という厳しい現実の中で、変わらず傍で支えてくれる妻の咲恵。それぞれの道を歩みながらも、俺を心配してくれる子供たち。
そして、何十年ぶりに再会したにも関わらず、温かい心で受け入れてくれた昭雄のような友人。
電話帳に残ったたった19件の連絡先。それが、俺の人生における、本物の人脈なのだ。それは、嵐の中、ただ黙って傘を差してくれるような、あるいは、一緒に雨に打たれて笑ってくれるような、そんな、心と心がつながる温かい光のことなのだ。

俺は、今、手元にあるスマホを見つめる。画面には、たった19件の連絡先。だが、その一つ一つが、俺にとってかけがえのない、温かい光を放っている。失ったものは大きい。車椅子での生活は、不便なことばかりだ。だが、絶望の中にあっても、支えてくれる家族がいる。真の友がいる。そして、新しいご縁もまた生まれている。もう無くなったことや、モノを数えるのは今日この瞬間で辞めよう。

リハビリでお世話になった先生も、今では友人だ。彼は、俺の体の状態や性格を理解し、俺のペースに合わせてくれる。そして何より、俺を一人の人間として見てくれる。

今日も、この温かい繋がりを手に、俺は生きている。
浜松の街で、車椅子に乗って。
五月の風が吹き始めた。
遠州灘からの、力強く、少し湿った風だ。
かつて、凧を揚げるのに最適な風だと思っていた風が、今は、俺の背中を優しく押してくれるような気がする。

スマホが鳴った。
相手は、リハビリでお世話になっているの先生だ。

「先生、久しぶりに麻雀やらないっすか?」俺の事を”先生”と呼ぶ。

画面の向こうで、リハビリ先生が笑っているのが目に浮かぶ。
声には出さないけれど、俺の顔も、きっと笑っている。

俺は、車椅子になったことで、新たな気付きを天からもらった。
本当に大切なものが何なのか、そして、かけがえのない人脈が、確かに傍にあることを知る事ができた。何にでも、どんな状況でも感謝することができるようになった。

人生の風向きが変わっても、繋がる心があれば、また前を向いて歩き出せる。いや、歩き出すのではなく、車椅子でも、進んでいけるのだ。
この小さな一歩が、未来へと繋がっている。みんな有り難う!全ての人に感謝あるのみ。


※上記に登場する人物名、氏名は仮名になります。

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