日々の事と若い日の思い出
絶対マガジンに載せないでください。載せればすぐ削除します。
20代のころは大人に早くなりたかった。
せいいっっぱいの背伸びして何でも分かってるつもりだった。
もう誰と行ったかも忘れてしまったが、ホテルオークラにディナーに行った。
知人がオークラに勤めているというお友達のお誘いを受けての事だった。
ワンピースを新調して、豪華なディナー、夜は最上階のバーにて美味しいカクテルを飲んだ。
いっぱしの淑女気取り・・・
一か月のお給料をほとんどつぎ込んだ。
銀巴里に一人で行った。
当時、文明堂のぜんざいが80円だったころ、銀巴里のコーヒーは500円、それでも行ってみたくて・・
このほどお亡くなりになった美輪明宏さんが丸山明宏として出ていた。
絣の着物をお召しになって”最上川舟歌”を歌ってらした。
ライトの中できらびやかだった。
朗々と歌う姿が素敵だった。
この時初めて”最上川舟歌”という歌を知った。
私の青春が遠くなる。
90歳・・あと9年間か・・・
自分の命の時間を想定してみる。
これから出来ることは、家の周りを花で埋めること、梅の木、栗の木を育てること(今はまだ苗木)いろいろなハーブを植えること。
いつか、これが娘(神奈川でお弁当屋)がお弁当に使えるようならいいなあ・・
五年後には梅が栗が成ってるだろうか?
息子は孫が東京にしか合う病院がないということなので、ずっと東京に暮らすことになるだろう。
娘が爺さんと私の面倒を見るというので、ここで暮らすことになるだろう。
土があれば野菜も作れる、梅と栗とれたら良い、ハーブも料理を助けると思う。
娘もとても苦労したので、最後はここでゆったりと弁当を作りながら暮らして行けたらいいなあと夢。
息子のほうは、孫が日常をきちんと暮らせるようになって、双極が寛解して嫁さんと息子が安心して暮らせるようになったら暮らしは大丈夫だろうと思う。一応しっかりした仕事についているから。
もう一人の孫も何とか仕事見つけてゆっくりゆったり過ごしていけるといいなあ。
今は毎日、孫たち、大丈夫か?という言葉を心の中でつぶやいている。
Noteを毎朝呼んでいる。
こんなに必死で生きてる人たちがいると毎朝思う。
私が読むのはフォロワーさんが10名くらいの人たちのブログばかりだけど、壮絶な人生を頑張ってる人たちばかりだ。
こんな壮絶さを乗り越えてる人たちってすごく能力があると思う。
神様はあえて艱難辛苦をお与えになってるのだろうか?
ひどい、哀しいと朝から泣いている私。
時にはコメントを残すが、コメントって本当に難しい。
家の近所のどこかに燕の巣があるらしい。
子ツバメが5羽電線に止まっていて、母燕かな、しきりに餌を運んでるらしい。
みんなに万遍なく餌を運ぶのに大変だろうな・・
なにごともなく成鳥してほしいな。
南天の花が咲いた。
今年はたくさん咲いた。
運が多くの人たちに飛んでいくといいなあ。
