「支援がある」と「本人が動ける支援がある」は、違うみたい
「視覚支援に頼りすぎると、動けなくなる」
そう言われたとき、私は言い返すことができませんでした。
ただ、どこかうまく受け取れない違和感だけが残っていました。
その違和感は、その場で消えることなく、
あとから少しずつ形になっていきました。
少し、場面を想像してみていただけますでしょうか。
知らない土地を、地図を持たずに歩いているとします。
どこを曲がればよいのか、あとどれくらいかかるのかもわかりません。
不安で、何度も立ち止まります。
少し進んでは止まり、また周囲を見回す。
そこに地図が渡されたとしたら、どうでしょうか。
ようやく歩き出すことができます。
迷わず、立ち止まることも減り、目的地へ向かって進むことができます。
これを見て、「地図に依存している」と感じる方は、おそらく少ないのではないでしょうか。
地図は、“歩くための道具”だからです。
もうひとつ、こんな場面も想像してみてください。
知らない国で、言葉がわからないまま話しかけられているとします。
一生懸命説明されているのに、何を言われているのかがわからない。
周りの人は「ちゃんと説明している」と思っている。
でも、自分には届いていない。
不安で、どう動いていいかわからなくなる。
もし、わかる言葉で伝えられたとしたらどうでしょうか。
ようやく意味がつながり、
安心して、その場で動くことができるようになります。
本人に届く「形」で伝えられているかどうか。
それは、言葉であるとは限りません。
「伝えているか」ではなく、
「届いているか」という視点が必要なのだと思います。
視覚支援も、同じかもしれません。
これまで、「支援はしています」と言われる場面は何度もありました。
実際に、支援はありました。
スケジュールは、学校の黒板にもあり、
デイサービスでもホワイトボードに提示されていました。私自身も、同じようにスケジュールを作っていたことがあります。
けれども、それが本人にとって必要とされていないように感じることがよくありました。
あるはずなのに、使われていない。
目に入っているはずなのに、
動きにはつながらない。
その違和感から、考えるようになりました。
何をすればよいのかわからないまま、
スケジュールに沿って時間だけが過ぎていきます。
情報は目に入っているはずなのに、
動くことができない。
その困った様子だけが、残っていました。
そのとき、ずっと心に引っかかっていたことがあります。
「視覚支援がある」ことと、
「本人にとって必要な視覚支援がある」ことは、
同じではないのではないか、ということです。
支援者が「伝わりやすくするため」に用いる視覚支援と、
本人が「安心して動くため」に整えられた視覚支援は、
見た目が似ていても、その意味合いは異なります。
前者は、伝えるための工夫です。
後者は、動くための環境です。
息子に必要だったのは、後者でした。
そのことを実感したのは、
息子が不登校になったときでした。
学校に行けなくなったことで、
初めてゆっくりと話す時間を持つことができました。
何が怖いのか。
どのようなときに困るのか。
何があれば、少し安心できるのか。
ひとつひとつ、丁寧に言葉にしていきました。
その中で見えてきたのは、
「自分で確認できるスケジュール」の必要性でした。
次に何があるのか。
どのくらいで終わるのか。
それを、自分のタイミングで確認できること。
それを取り入れたとき、
息子の様子に変化が見られました。
落ち着いて動けるようになり、
立ち止まる回数が減っていきました。
支援する側も、その変化を実感していました。
ようやく、「支援が機能している」と感じられる状態になったのです。
息子たちだけではありません。
知的障害はなくても、特性のある家族を見てきた中でも、同じことを感じてきました。
安心できるわかる情報がある場所では、動ける。
そうでないときは、どれだけ支援の形が整っていても、動くことができない。
これは、障害の重さに関係なく、人が動くときの基本的な順序なのだと、長い時間をかけて実感してきました。
人は、安心できてはじめて動くことができます。
動けた経験があって、はじめて自信につながります。そして、自信が育って、次の一歩へと進んでいきます。
この順序は、省略することができませんでした。
「頼りすぎると動けなくなる」という言葉に触れるとき、もしかすると、この順序が抜け落ちている場合があるのかもしれません。
問題は、「依存」かどうかではなく、
その支援が、
本人が動くためのものとして設計されているかどうか、ではないでしょうか。
そして、もうひとつ感じていることがあります。
支援は、外すことを目標にするものではないということです。
安心して動ける経験が積み重なり、
結果として必要なくなっていく。
立ち止まって、何を・どのように引くかを一緒に考えてみると、お互いうまくいくこともあるのではないでしょうか。
地図があるから、歩くことができる。
わかる言葉があるから、動くことができる。
歩けた経験があるから、
次の道へ進むことができる。
視覚支援も、きっと同じ位置にあるものではないでしょうか。
