『この子にも意思がある』から始まった、我が家の意思決定支援
先日、国が示した「意思決定支援ガイドライン」を読んだ。
障害のある人が、自分の意思を生活に反映させながら生きていけるように。
そのために、支援者はどのように関わるのか。
基本的な考え方が整理されていた。
読みながら思った。
「これ、我が家で20年間やってきたことだ。」
もちろん、最初からできたわけではない。
子どもたちと一緒に試行錯誤しながら、
少しずつ見つけてきた。
今日は、そのガイドラインを読んで、
我が家で大切にしてきたことを書いてみたい。
ガイドラインには、
「本人の意思や選好を尊重し、本人が理解できる方法で意思形成・意思表明・意思実現を支援することが大切」
と書かれていた。
我が家で一番大切にしてきたことも、そこだった。でも、その前に必要なことがある。
「この子にも意思がある。」
まず、その前提に立つことだった。
知的障害が重いと、
「決められない人」
と思われることがある。
でも私は、
意思がないのではなく、
伝え方や環境が、その子に合っていないだけだと息子たちから教えられた。
言葉だけでは伝わらないなら実物を見せる。
選択肢が多いなら二つにする。
時間を置いてもう一度聞く。
本人が【わかる】ことは、何より大切。
絵カードを見せた。
スケジュールを提示した。
選ばせたつもりになっていた。
本人が、必要とするタイミング
必要とする情報
必要とする方法はそれぞれだった
方法に意味があるのではない。
本人が理解し、選べることに意味がある。
伝わらなければ方法を変える。
安心できなければ環境を整える。
その子に合う形を探し続ける。
それが、我が家の意思決定支援だった。
ガイドラインには、
「意思形成を支援する」
とも書かれていた。
我が家では、
その「意思形成」は、
小さな選択を積み重ねることだった。
食べたいものを選ぶ。
遊びを選ぶ。
服を選ぶ。
自分で選ぶと、
生活が少し変わる。
「選ぶといいことがある。」
そんな経験を積み重ねていった。
一方で、
選んでも何も変わらない。
選んでも理解してもらえない。
そんな経験が続けば、
人は選ばなくなる。
息子たちもそうだった。
聞かれても答えない。
自分から選ぼうとしない。
でも、それは意思がないからではない。
選ぶ意味を感じられなかったから。
安心して選べる環境が増えるたびに、
息子たちは少しずつ自分から選ぶようになった。
そして、日常は少しずつ潤っていった。
ガイドラインには、
本人の意思を丁寧に推定することも示されていた。
我が家では、
その手がかりは20年間の生活だった。
表情。
視線。
体の動き。
過去の反応。
繰り返されるパターン。
その積み重ねを、
学校やデイサービスへ伝えてきた。
すると、
「そういうことだったんですね。」
と理解がつながり、
本人に合った支援が増えていった。
このことは、
障害のある人だけの話ではないのかもしれない。
「あなたはどう思う?」
そう聞かれて、
「何でもいい。」
「どっちでもいい。」
そう答える人がいる。
もちろん、本当にどちらでもよい場面もある。
でも中には、
相手に合わせることが当たり前になっていたり、
「言っても変わらない」と感じていたり、
自分の気持ちを考える機会が少なかったりして、
いつの間にか、自分の意思が見えにくくなっている人もいる。
人は、
意思がないのではない。
安心して考え、
安心して伝え、
その意思が尊重される経験を重ねることで、
少しずつ「私はこうしたい」に気づいていくのだと思う。
ガイドラインでは、
「最善の利益」は最後の手段とされている。
本人の代わりに決める前に、
本人を知ろうとする。
伝わる方法を探す。
環境を整える。
待つ。
一緒に考える。
その積み重ねが、
意思決定支援なのだと思う。
国のガイドラインを読んで
私が20年間、家庭で積み重ねてきたことは、
意思決定支援という考え方と重なっていた。
意思決定が生活に反映されてくると
転んだり、壁にぶつかっても立ち上がることができたり、人との関係を諦めずにすむ。
そして何より
自分の人生を生きてる気がするのかもしれない
