諦めな、それ老眼だよ
目が霞む。資料の文字が、ボヤけている、気がする。突然、途中から放り込まれたプロジェクトの会議。書かれている内容も、さっぱり分からず、必死に読み込んでいた。
そんな時、隣に座っていた先輩が、イタズラしてくるみたいに、そろそろと腕を掴んで、手元の資料を、遠くにのばした。
「ね、見えるでしょう」
「諦めな、〇〇ちゃん、それ老眼だよ」
いや、今夕方だし。疲れ目で霞んでるだけですっ!
大昔からの、私の先輩。今でも「ちゃん呼び」して可愛がってくれる先輩に、ムッとした声で反論する。
え……まじ、かぁ。
細胞レベルで歳をとるのは、なかなかショックが大きい。嫌だよぅ。
途中参加のプロジェクトなんて今はどうでも良くなってきた。
私のショックを知ってか知らずか、まずはダイソーのやつでいいから老眼鏡を買え、とか、しまいには、自費で受けるべき検査まで勧めてきた。
うん、うん。え、それっていくらくらいですかね…?会議のスキを見ては全然違う会話をしている。
老眼かぁ……。
また、先輩の通った道の後ろを、歩んでいる。
先輩は、社内で産休取得のパイオニアだった。
当時は、まだ寿退社が多かった。「この仕事、そこまでして続ける意味ある?」とも、思われていた。たった20年でこんなにも変わるのか、と今は驚いているけれど、まぁ、そんな感じだった。
私も、先輩に続いて、産休を取得した。
先輩が、たった一人で歩いた、何にもない山道。それが、だんだんと、当たり前にみんなが使う道になった。
先輩は、たくましくて、真面目。だけど、私のダメな部分に、共感するらしい。「私もさ、昔はもっともっと、本当に酷かったよ。これは絶対内緒ね」と、ことあるごとに言われた。そしてたまに聞く昔のエピソードは、本当にひどいものだった。
私が、プロジェクトを回して得意げにしていると、先輩は、ちょっとタイミングをみて、「あれ、ここがちょっと気になるな。今度、確認してみて」と言う。成果が部内に報告された、その後でも。
一人前になったつもりの私は、「私には私のやり方があるし、そこには意図があるもの」と、内心、ちょっぴり反抗的だった。
だけど、結局は、確認する。
そして、私の意図は補強され、頑丈になっていった。
その先輩が、もう引退しようかな。これまでできなかった分、遊びたいよー、と言った。
そうだよな。先輩、ずっと、道を拓いてた。
だけど、私はまだ、あなたと、一緒に働きたい。
人生100年ですから、引退はあと30年後くらいがちょうどいいですね。
茶化して返事をしながらも、本心をそっと忍ばせた。
