父のノート
父のノートは、普段は怖くてなかなか開けない。
でも時々、
「よし」と覚悟を決めて開いたり、
逆に、なんとなく呼ばれた気がして、無意識に手に取っていたりする。
だから内容も、少しうろ覚えだ。
それでも、ずっと残っている言葉がある。
私には、
「表面で取りつくろえないものがある。『知』を磨きなさい」
妹たちには、
「一番苦しい時の、自分の振る舞いに気をつけなさい」
「自分が最も好きな言葉を名前に与えました。姉たちの言うことをよく聞くように」
父がこの言葉を書いた頃、私はまだ、その意味をほとんど分かっていなかったと思う。
勉強は、あまり得意ではなかった。
数学は特に壊滅的で、2教科合わせて30点みたいな世界を生きていた。
「学ぶ」とか「知恵」というものを、立体的に感じられるようになったのは、実はここ最近だ。
仕事で判断すること。
責任を背負うこと。
学び続けること。
そうやって生きるうちに、父の言葉が、ずいぶん時間差で効き始めている。
ただ、私は
「一番苦しい時の、自分の振る舞いに気をつけなさい」
という言葉が好きだ。
なりふり構っていられない時なんて、人生には何度もある。
本当は、
「そんな状況なら仕方ないよね」
に全部委ねたくなるような時もある。
でも、苦しい時ほど、その人の振る舞いを周りは静かによく見ている。
残酷だけど、
たぶん本当にそうなのだと思う。
父は、困難を避ける方法ではなく、
困難の中で自分を失わない方法を、
私たちに残したかったのかもしれない。
父のいない私たちに、
これから先、いろんな風が吹くことを知っていたのだと思う。
3つの言葉だけを残していった父。
それはどういう意味なのか
具体的にどう行動したらそうなのか
私のさっきの振る舞いはダメだったんだろうか
上手くいかない、どうすれば
直接話を聞きたかった。
ある日、
「疾風に勁草を知る」
という言葉を知った。
強い風が吹いて、はじめて本当に強い草がわかる。
その意味を読んだとき、
父のノートの言葉が、
柔らかい風みたいに、
すっと身体に流れ込んできた。
父は、
激しい風が何度吹いても、
枯れない草であってほしいと願ったのかもしれない。
父が私たちに託した願いが、
ようやく届いた気がした。
