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里山的生き方 安らぎのある暮らし

東京の川

東西に長い東京の地理的な真ん中辺り、小平市というところに住んでいる。コロナ禍で退職し、人との接触もままならない中、人との接触をせずに余暇を楽しめるということから散歩の延長として探鳥を始めた。

当時は探鳥のために遠出するということも難しかったのでできる限り近所で鳥のいそうな場所を探すしかなかった。鳥がいそうな場所として鍵となるのは森(林)と川で、そういう場所を探すのに便利なツールはGoogle マップだった。デフォルトの画面で大きな緑と川を探す。そんな感じで近所を探すと思いもしなかった近所に大きな緑の森や川があることを知った。

ところで私が生まれてから社会人の始めまで生活していた実家は西東京市(旧保谷市)にあり、北方向へ坂を下ると石神井川、ちょっと南へ行くと千川上水という川に挟まれていた。○○上水や○○用水というのは昔農業用水として大きな川から水を引くため人工的に作られた川だということは小学生の時に習った。しかし単純に○○川については、それがどんな川かなどと考えることもなかったと思う。現に私が小さい頃、まだ下水が整備されていなかった時の石神井川は排水が垂れ流されるいわゆるドブ川で黒くて臭い水が流れていた。その頃はあの多摩川だって家庭用排水が流れ込み泡立っている大きな”ドブ川”だった。そんな状況で石神井川の成り立ちなど興味もなかったしどうでも良いことだった。

東京の ”川” というものに対してそんな認識しか持っていなかった私が認識を大きく変えることになったのはつい数年前のことだ。Google マップを見るとすぐ近くに黒目川という川を見つけた。そしてマップを拡大して細かく見てみるとその流れは歩いてほんの10分かかるかかからないかのところから始まっていた。
考えてみれば川に源流があるのは当たり前の話だ。例えば多摩川などの大きな川はその源流部に大きな山塊があってそこに降った雨や雪が山に濾過され少しずつ湧き出した水がやがて大きな流れとなって大きな川となる、というのは想像しやすいのだが、まさか山も丘もないような平地、住宅街の真ん中に川の源流があるなんて想像だにしなかった。しかも実際にその川の岸に沿った遊歩道を歩いてみると水が流れている時は(ここ数年は秋から春まで年の半分くらいは源流から1kmくらいまで水が枯れている時が多い)清流と言っても良いくらい流れている水は綺麗で野鳥のカワセミ、カルガモ、コサギ等を見かけたりする。

新青梅街道の脇にあるまさに黒目川の源流。ここから水が湧いている
源流部から1kmほど下流に行けばカワセミ、コサギ、カルガモなど多くの野鳥に会える。これは2年前の冬に見かけたタシギ


さらに自転車で30分くらい走ったところには落合川という川がありその川は黒目川に比べて水量が豊富で枯れることはない。常に流れているだけあって水はより一層綺麗だ。つまりこれらの川は一帯に降った雨が地面に染み込みどういう経路かはわからないけれど、地下を通ってある地点から湧き出し川の流れを作ってきたということになる。この自然の営みをはるか昔から行ってきた。そんなことを感じて妙に感動してしまった。

東久留米市の住宅街に源を発する落合川の源流部。水量が豊富で水が枯れないため水生生物も豊富

小平に住み始めて30年近く経つのにそんな身近に自然の面影があることを知らなかったのは不覚だった。近所の散歩は以前からよくしていたのだけれど、もっぱら住宅街の中を歩くだけだったし、もっと前にこのことを知っていたらもっと楽しい散歩ができたのではないかと思った。

東京の里山

コロナ禍も治まり、私の探鳥はクルマで少しだけ足を伸ばすようになった。主に向かうのは狛江や多摩市、八王子あるいは埼玉県の所沢方面で言ってみれば関東平野の広い平地が終わり丘陵地帯に入るところになる。その辺りに行くと場所によってはいわゆる里山の風景を見ることができる。里山というのは言ってみれば人の手が入らない深い山と人が多く生活する土地の間にあって、”人々が手を入れて” 薪や炭を得るための雑木林があったり、田んぼや畑で作物を得たりするような人々の住む場所と深い自然との緩衝地帯の様な場所で ”田舎の風景” を象徴するような場所だ。里山には水がつきものなので、カエル、小魚、昆虫などの多くの小動物や野鳥たちの住処にもなっていて、最近問題になっているクマなどは本来であれば里山を境界線にして人の住む場所には立ち入ってこなかった。そういう重要な場所だ。今では多くの里山が農家の高齢化、耕作放棄によって荒れ果てて、そのことが宅地へのクマの出没の一因にもなっていると言われている。
東京でも一部の里山は現役の農家の方が手入れをされている場所もあるし、ボランティアの方々が管理をされている場所もある。多分これらは、100年とか150年前の多摩地域の一般的な風景だったんじゃないだろうか。

里山の原風景がある地に出かけてみる

星峠の棚田

5月の末にブッポウソウとアカショウビンを見るために新潟十日町市松代へ出かけた。NHKで放送されている「カールさんとティーナさんの古民家村だより」のあの竹所がある町だ。元々そこに行こうと思った時は竹所がある場所であることも、棚田で有名なところであることも知らなかった。探鳥に関しては残念ながらアカショウビンが飛び去る後ろ姿を一瞬拝めただけで収穫は多くはなかったが、それよりもずっと大きな収穫があった。
上記の「カールさんとティーナさんの古民家村だより」をご覧になられている方はご存知だと思うが、竹所というのはドイツ人建築家であるカール・ベンクスさんが再生した古民家をその場所に移築して作った集落だ。そこには元々事業家であったりどこかの会社の役員であったりした仕事で成功され、引退後にある種の安らぎを求めて移住された女性が多く住まわれている。もちろんおそらく費用的な問題もあって誰でも住むことができる場所ではないとは思うけれど、それ以上に冬になればかなりの雪が積もり決して便利ではない土地に移り住むのはなぜか。それは今回松代を訪れて理解できる気がした。勝手な想像だけど、仕事をバリバリにやってきた人たちは現役時代にはその仕事に満足もしてきたのだろうけれど、どこか疲れてもいたんじゃないだろうか。そんな人が里山の風景と環境、暮らしに安らぎを感じたであろうことは容易に想像できる。

松代の里山の風景

都会の暮らし、昔と今

東京で暮らしていると、数分から10分おきくらいにやってくる電車、様々な店が立ち並び欲しい時に何でも手に入る環境など地方では手に入らないものがある。ただ個人的には元々人混みが苦手なのでそういう場所にいると辟易してぐったりしてしまう。

ところで私の住まい(マンションの5階)の西側のベランダからは南から丹沢、富士山、青梅から奥秩父、そして秩父の山々を見ることができる。時折椅子に腰掛けてボーッとそんな風景とたまに飛んでいく鳥を眺めたりする。
一方で目の前にはもちろん住宅が広がっていて、一軒家だけでなく中低層のマンションや少し離れたところにはタワーマンションもあり、その光景は例えば古い家並みが続くヨーロッパの様に美しくはない。自分ももちろんその景色を形作っている一部なのだから文句は言うつもりもないが。
そんな時ちょっと空想に耽って、そう遠くない昔、おそらく100年とか150年とか前、家がほとんど建っていなかった頃の景色を想像してみる。多分山々の形は変わってないだろうし、おそらく今住宅が立ち並ぶところには大きな森や野原が広がっていたはずだ。空にはもっとたくさんの種類の鳥たちが羽ばたいて、近くを流れる川は森に降った雨を湛えて滔々と流れていたはずだ。
一方でその頃は時折訪れる冷害や干魃などによって凶作になり日々食べることにも苦労し、生命の危険にさらされることもあっただろうから決して楽な生活ではなかったと思う。またどこかへ出かけようと思ってもある程度の身分であれば馬を使うことも出来たかもしれないが基本歩いていくしかなかっただろう。現代に比べれば不便で生きていくこと自体も困難な場面にぶつかることも珍しくはなかったのではないだろうか。

そんなことを考えると、今は私が幼かった頃と比べてもその頃はおそらく想像もつかなかった位便利で清潔な生活そして何よりも安全で安定した生活を享受している。尾籠(びろう)な話だけれど、下水が整備される前は家庭のトイレは汲み取り(いわゆるぼっとん便所)だったし、公衆トイレだってそうだった。今では公衆トイレでさえ驚くほど綺麗で、使うのに躊躇することは少ないが、時折山に登った際に泊まる山小屋のトイレは昔のトイレを想起し結構使うのに抵抗感があったりする(最近は山小屋のトイレも小屋によっては結構綺麗なところも多い)。最近読んでいるヒマラヤを始めとしたヒマラヤやインド、東南アジアなどを含め世界各国を旅している写真家石川直樹さんの著書を読んでいると8000mを超えるような山に登るなど論外としても、そういう場所のトイレ事情や生活環境などを見ているととても自分にはそんな生活は無理だと思ってしまう。一方でそこには最低限の文明の力だけで幸福に暮らしている人々がいることも確かだ。

行きすぎた便利さの追求

そんなことを考えていると、今10年前、20年前でも想像つかなかった様な ”便利” になった世界で暮らしている私たちは果たして ”より幸せに” なったのだろうかと考えてしまう。いわゆる先進国に住んでいる私たちは過度に便利さを求めすぎてしまったのではないか。
私が現役で働いていた時はいろいろなものが猛烈な勢いで変化していく時代で(今もその変化は続いている)、2000年代に入ってからはパソコンが一人1台の時代になり、日常のオフィス業務はほぼパソコンを使った仕事になった。外資系の会社に勤めていたので時差のある海外とのやりとりがメールで行える様になったことで仕事は大分やりやすく効率的になった。今思い出そうとしてもパソコンがなかった時のデスクワークというのはどのようにしていたのか思い出せない。
更に時が進むとパソコンはデスクトップからノートPCになり携帯電話を持つようになって、例えば昔の出張は移動中は本を読むか寝るかして過ごしていたのが、スマホ(携帯電話)とノートPCによって、出張中に関わらず24時間”働ける”様になり、日中、時には帰宅後も息をつく暇もなくなってしまった。個人的には種々のハラスメントとは別にこの状況がうつ病の人が増えた一つの要因ではないかと思っている。

進化(変化)は今も続いている。もっとも典型的な例は言うまでもなくAIの進化だろう。今はスマホ、タブレット、PCで種々のSNSを見るだけでなく毎日の様に検索をしてその便利さを享受している。少し前まで検索の際は検索のワードが期待通りの答えを得る鍵だとも言われていた。けれども今では普通の曖昧な言葉で質問するだけでAIを使って瞬時に求める回答を答えてくれる。けれどその裏でそのAIを支えるデータセンターなる巨大な施設があちらこちらで建設され稼働し1ヶ所で家庭何十万世帯分もの電力を消費していることを気にしている人は少ないだろうと思う。地球温暖化が問題になりつい最近はヨーロッパで多くの人が熱中症で亡くなり日本でも頻繁に豪雨被害が出ていて何とかしなければと叫んでいる裏でだ。それって将来を犠牲にしてまで必要なことなのだろうか?

安らぐ生活(くらし)って

今は東京にどんどん人々が集まってきている。仕事、日々の生活を考えると仕方がないことなのかもとは思う。都心のタワーマンションの高層階から夜景を眺めて安らぎを得ている人を否定する気もない。ただ齢を重ねた今私は自然との触れ合いがなければ安らぎを得られないことをつくづく感じる。今年の3月にNHKホールへ行くのに新宿からNHKホールまで歩き途中明治神宮を経由して人で混雑した青山通りを歩いた。普段から歩いているので長距離を歩くことは苦ではないのだけれどこの時はぐったり疲れてしまった。元々東京生まれ東京育ちといっても郊外の生まれなので都会の環境はあまり得意ではなかったのもあるが、ビル街の人混みを歩くのは予想以上に体力、気力を消耗させるのだろう。

それに比べると松代の里山の中を歩いた時は本当に気持ちが良かった。南こうせつとかぐや姫に「ひとりきり」という歌があって最近その歌詞が思い浮かぶ
「鳥が鳴いて、川が流れて、野山は花が咲き乱れ
汽車はゆくよ、煙はいて、トンネル越えれば竹中だ
こんな楽しい夢の様な こんな素敵なところは
もう今はない もう今はない
もう今はない、今はない 一人きり」

この曲が出たのが1972年ということなので(私がこの曲を聴いたのは大分後だけれど)、彼が23歳の時ということだ。そんな若い時、そしてそんな以前でもこんな風に感じ消えゆく風景を悲しんでいたんだなと思う。今は汽車(蒸気機関車)は観光のもの以外走ってはいないけれど、松代には汽車以外のその風景が残っている。竹所に移り住んだ人も東京の暮らしに比べれば”便利さ”という意味では劣ったとしても便利さ以上に”安らぎ”を感じたのではないだろうか。中々一度得た便利さを手放すのが難しいのは確かだけれど、将来の子供達、人々を考えたいわゆるサステナブルな生活を考えた時今の生活を見直さなければならないのは確かな事実だ。
それには”我慢”が必要なのだろうか? 違うと思う。里山での生活は今の”便利な生活”が失ってしまった”安らぎ”があり、安らぎは人々が幸福に暮らしていくための鍵になる。便利な生活が幸福な生活ではない。春夏秋冬、日々変化していく季節の移ろいを感じ、行き過ぎる風を感じ、鳥の囀りを聞きながら暮らす。エネルギーをそんなに使わなくとも”幸福な暮らし”は出来る。
里山というのが、地球に優しく幸福な暮らしの鍵になると思っている。
南こうせつが言っていた「すてきなところ」は決してなくなっていない。


松代の棚田







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