見出し画像

忘れられない小さな出来事

子供の時に見た、忘れられない光景がある。

近所にK君という自分と同い年の友達がいた。回りには、1つ上、2つ上の子供も何人かいたが、歳が同じということもあって、K君が一番の親友だった。
K君には軽い知的障害があった。
同じ小学校に通っていたが、彼は普通の学級ではなく、植物の名前がついた「特殊学級」に所属していた。
当時はTVゲームなどなかった。ボール遊びやら、缶けりやら、近くに高校があったので、その敷地に入って「冒険」したり、といった体を使った遊びがほとんどだった
運動能力的には、彼の方が一枚うわ手だった。走るのも、彼の方が早かった。だが、悪いこと(大人が怒ること)をして、逃げる時、なぜか最初に捕まるのは、いつもK君だった。

ごくたまにだが、野球などをしている時に、大人が混ざって来ることがあった。低学年の小学生には、高校生ぐらいでも「大人」に見えたものだ。
大人が入ることで、いつもやっている野球が、何か「本物」の野球をしているような気分になってくる。大人も真剣にやっているように、子供には見えた。実際、大人の中には、熱心に投げ方、打ち方を教えてくれる人もいた。

K君には、確かにユニークというか「変な」ところが、いろいろとあった。
例えば、彼は右打ちなので、当然、構えた時、バットを握る手は、右手が上で、左手が下なるはずだが、K君は、逆になっているのだった。
大人の中には、それに気付き、K君に間違いを指摘し、直そうとする者もいた。
だが、そういう時、K君は絶対に聞き入れないのだった。相手が熱心になればなるほど、彼は頑なに拒絶する。
理由は分からないが、彼は「教えられる」ということを、ひどく厭がっていた。それは普段の遊びの中でも、たびたび目にしていた。相手が誰であってもである。

やがて大人は、「教える」のを諦める。しらけた空気が流れ、大人は立ち去って行く。

一度、こんなことがあった。
ある日、K君の家の庭先で、K君とM君が何やら揉めているようだった。M君というのは、K君の隣家の息子で、高校生だった。K君と私は、小学2年生か、3年生だった。
M君はたまに私達と遊んでくれることがあった。高校生だが、M君と呼んでいた。M君は面白い所もあったが、真面目で融通が効かないタイプだった。そして、いつも暗い目をしていた。
M君は地面に棒切れで数字か何かを書き、K君に算数を教えようとしているのだった。厭がって逃げようとしているK君を、M君は捕まえて、無理やり教えようとしているらしかった。
その日は、たまたまK君の父親が在宅していた。
騒ぎを聞き付けた父親が、家から出てきて、「子供が厭がっているから、やめてくれ」とM君に言った。
しかし、M君は折れなかった。「自分はKのためにやっているのだ」と主張する。自分は間違っていることはしていない、と。
両者とも、「やめろ」、「やめない」と譲らなかった。そして、取っ組み合いになった。
K君は泣き出した。
その時、私は少し離れた所にいた。「大人」同士の喧嘩を見たのは初めてだった。私は立ちすくんで、ただ見ているしかなかった。
間もなく、K君の母親や近所のおばさん達が来て、二人を引き離したように覚えている。

この出来事は、私の家でも少し話題になった。
私の母は、「M君も困ったものだね」とだけ言ったような気がする。それ以上は何も言わなかったように思う。
私もこの揉め事について考えてみた。なんとなくM君が悪いような気はする。だが、M君がやろうとしていたことが間違っていなかった、ということも分かっている。それでも、なんとなくM君が悪い感じがする……。小学2年生か3年生の私には、そこから先、どう考えを推し進めたらいいのか分からなかった。

ささやかな出来事だが、なぜかいつまでも、私の心に残り続けた。
そして、あの光景を思い出すたびに、あれはM 君が間違っていたのか、それとも父親の方が間違っていたのかと考えるのだが、容易に答えは出て来なかった。

年月が経ち、私も「大人」になり、この「問題」の答えが分かるようになってきた。
つまり、K君の父親はK君の保護者である。責任者である。K君に万一、何かあった時、最後まで面倒を見るのは親である。そう考えると、M君がいくらK君のためになることをやっていたとしても、彼の親から「やめろ」と言われれば、やめなけれならない。……それがスタンダードな考え方だろう。
それには違いがないのだが……。 

「大人」になって、この種のトラブルは、時おり目にすることがあった。
下の立場の者が、自分なりの「正論」を盾に上の者に「噛みつく」。自分が正しいと思い込むと、歯止めが効かなくタイプの人間はいる。どうかすると、暴走することも厭わない。暴走=暴力になることもある。自分に酔っているようにも見える。
周りの者の多くは、「何かあった時、責任を取るのは上の者だから」と傍観している。「だから、納得ができなくても、……」と冷ややかに見ている者がほとんどだ。
だが、現実的には「何かあった時」、責任を取る立場の者が本当に責任を取るかというと、必ずしもそうとは限らない……。

話を元に戻させてもらう。
K君とは、学年が進むにつれて、少しずつ疎遠になって行ったような気がする。
同じクラスの気の合った友達と遊ぶ方が面白くなった。低学年の時は、学校の友達と一緒にいると、学校生活の延長のようで、何か堅苦しい気持ちがしたものだが。

K君とは、以前ほどではないにしろ、遊ぶことはあった。彼には、物足りなさも感じたが、クラスの友達にない気楽さと解放感を感じることができた。

これまでK君の家庭のことには触れなかった。
K君の家は、いろいろと困難を抱えていた。
K君の母親は足が不自由だった。2つか、3つ上の姉も「特殊学級」に行っていた。
父親は長距離トラックの運転手をしていたのだが、たまに家に帰って来ると、よく「酔って暴れる」のだった。

4月から中学生になる年の始めのある晩、近所の世話好きのおばさんが、私の家に来て、私は呼び出された。
その時、私は何と言われて呼び出されたのだったか。「K君が引っ越しするから」だったか。「もう会えなくなるから」だったか。
時刻は夜の7時頃で、私は炬燵に入って人気の
クイズ番組を見ていた。

K君は、家から少し離れた曲がり角に、ひとり立っていた。
おばさんが、「握手しなさい」と言った。
私達は握手をした。二人とも無言だった。
私は彼の顔を見たが、辺りはもう真っ暗で、彼の顔も回りの暗闇と一緒になっていた。

家に戻って、私は母から「一家離散」という言葉を聞かされた。
母子は、父親のいない間に、詳しい行き先を誰にも告げずに、どこかへ行ってしまうらしかった。

しばらくして、K君の家には別の家族が引っ越して来て、住むようになった。

K君に似た子を、どこそこで見かけたというような話は、2、3度聞くことはあったが、やがてそれもなくなった。

私は中学生になっていた。
中学生になると、部活動など、やることがいろいろと増えた。小学生の時よりずっと忙しくなった。
私はK君のことを次第に忘れていった。
それでも、時々、思い出すことがあった。
「K君は、今、どこで何をしているのだろう」
どこか遠いところにいるような気がした。それ以上、想像できなかった。いや、想像しなかった。
そして、K君と一緒に遊んだ日々も遠い昔のことのように思われるのだった。

それから数年が過ぎ、私は実家を離れ、別の土地で暮らすことになった。
さらに10年ほどが経ち、お盆か正月か、実家に帰っていたある時、M君の話が出た。最近、亡くなったとのことだった。

母の話によると、M君は、「ああいう性格だから」、就職しても、上司と衝突して続かなかったらしい。何度か転職して、最後はタクシーの運転手をしていたそうだ。
私は、M君の暗い目を思い出しながら、母の話を聞いていた。
母は、「M君は、風呂場で亡くなった」という言い方をしていた。
それを聞いた時、自死かもしれない、と思ったが、想像の域を出るものではない。
どちらにしても、M君にとって、この世は生きづらい世の中だったようだ。

それにしても、あの時、M君はなぜあんなに熱心にK君に教えようとしていたのだろう。
この父親が最後までK君の面倒を見ないことを予感でもしていたのだろうか。それで使命感のようなものに駆られられたのだろうか。
今となっては知る由もない。

K君とは、再び会うこともなく長い年月が過ぎた。
彼は、今どこで何をしているのだろう。





いいなと思ったら応援しよう!