「人間とはなにか?」――天使からひもとく中世哲学👼👿 話題書『天使の哲学』【試し読み】
天使とは何か――中世でこの問題は「神」や「人間」の謎を解き明かす重要なテーマとして盛んに議論されました。
天使とは曰く、この世界の「天体」を動かすものであったり、世界を統治する「大臣」だったり、身体無き純粋知性という中世版AIのような存在として、つねに哲学の中心にありました。
石田隆太氏による『天使の哲学』(25年10月刊)では、トマス・アクィナス、ドゥンス・スコトゥス、ウィリアム・オッカムら代表的な哲学者たちが繰り広げた「天使論」をひもときます。その議論は、〈存在論〉〈認識論〉〈倫理学〉にわけることができ、難解とされるスコラ哲学を天使の力をかりて学ぶことができる1冊です。今回はその冒頭「はじめに」の一部を公開します。ぜひご一読ください。
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はじめに
1 なぜ天使が哲学の問題になるのか
この本を手に取った人の多くは、「天使の哲学」とは何のことだろうと思っているかもしれません。次のページにあるように「天使」といえば、羽が生えている幼い子の姿(図0-1)や、金色の輪っかが頭の上にある人間に似た姿(図0-2)をイメージする人も多いでしょう。美術館やレストランでも見かけるこうした絵の数々からは、天使にどこか人間らしさを感じるかもしれません。あるいは、人間と似たような姿をしていながら、やはり全くの別物だと考えるのも自然です。人間に似ているようで似ていない者である天使が、実は哲学の対象にもなりうることを本書では紹介していきます。


本書で主に登場するのは西洋中世の哲学者たちです。5世紀の終わり頃から15世紀頃までの時代に現在のイギリス、フランス、ドイツ、イタリアあたりで活躍した人々が対象です。彼らはしばしば「スコラ学者」と呼ばれます。「スコラ」(schola)はラテン語の言葉で、「勉強するための余暇」を意味することから派生して、勉強する場所である「学校」を意味するようになりました(元々は、ギリシア語の「スコレー」が余暇を意味していることに由来します)。西洋中世に誕生した大学は、現代にも受け継がれている制度です。11世紀の終わり(1088年)にイタリアのボローニャで最初の大学が成立した後、本格的には12〜13世紀にかけてイギリスのオックスフォード大学やフランスのパリ大学が創立されました。大学が誕生した時代に大学などの学校で哲学をしていた人々を大まかにはスコラ学者と呼んでいます。スコラ学者たちは、一方ではキリスト教の神学者でありながら、他方では古代ギリシアやイスラーム世界の哲学を自らの思想的な糧としていました。そんな彼らが哲学的に探究していた大きな問いとして、「人間とは一体何か」という問題があります。このあまりにも大きく根源的な問いに対して、本書では人間ではない「天使」について考えることで応答する可能性を示していきます。
2 中世哲学の考え方
本書の内容を概観する前に、中世哲学の基礎的な考え方をいくつか説明しておきましょう。中世哲学は、主に古代哲学の遺産を活用することで、思想的な体系を構築しています。特に本書で中心的に扱うことになる13世紀以降の思想では、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの枠組みが強く前提されています。本書の主要な論点に関わる範囲で簡単に紹介していきます。
まずアリストテレスは、この世界で観察できる諸事物のさまざまな運動や変化について考察し、その原因を四つにまとめました(四原因)。四原因の考えは、人工物で考えるとそれほど難しい考えには聞こえません。試しに家を作る場合を例にあげるなら、①材料となる木材や石材が質料因、②家の完成形(設計図に書かれるような理想形)が形相因、③材料と設計図にもとづいて家の建築に取り組む職人が始動因、④家を作るのは人間が住むためだというのが目的因です。
しかしアリストテレスの真意は、四原因を自然界の事物に見出すことにありました。彼は「人間が人間を生む」という有名な例によって、質料因以外の三原因がすべて一つにまとめられることを示します。ある母親から子が生まれるとして、子に固有な生物種は人間(形相因)であり、生みの親も人間(始動因)であり、親が生むことの目的にしているのも人間(目的因)だからです。質料因としては、現代的に表現するなら精子や卵子という細胞が想定されています。
中世哲学でよく出てくる「質料」と「形相」は、まさにこうしたアリストテレスの思想を踏まえて用いられています。しかも中世に特徴的なのは、質料と形相を単に自然界の事物が存在していることの説明原理として使用するだけでなく、その使用範囲を体系的に拡張させていることです。一つには、たとえば誰かが目の前に落ちている一つの物体を「石」だと理解する過程にも適用されます。何らかの物体を見たという視覚像が感覚データとして受け取られたとして、そのデータが今度は素材(質料)となり、そこから「石」という内容が知性的な理解として抽出されます。その場合の知性的なデータが「形相」に相当します。
ちなみにここでは、感覚と知性という認識のあり方を厳密に区別する西洋哲学の伝統的な枠組みも前提されています。感覚と知性の区別はそれぞれの対象がもつ性格によって区別されることが多く、感覚は個別的であるのに対して知性は普遍的だと理解されています。もし空を長いあいだ眺めるとして、刻一刻と変化する景色が視覚に与える印象は実に豊かで一般化しづらいかもしれませんが、それらの景色をまとめて「空」だと抽象化するときには個々の視覚像がもつ固有性は捨象されています。ただし別の言い方をすれば、知性のうえで「空」として抽象された内容はそれだけ容易には変化しないはずで、人類がこれまでにさまざまな学問を発展させてきたのは、そのように変化せず確固とした内容を積み重ねてきたことが大きいはずです。
また質料と形相という二原理が応用されるもう一つの重要な分野は、道徳的に善悪を判断して行為という実践に向かう場面を議論する倫理学です。たとえば世の中をとにかく良くしたいと思って、毎日ゴミ拾いをする人もいれば、近所の人に必ず挨拶する人もいるかもしれません。この場合、漠然ではあるものの「世の中を良くしたい」という一つの目的に対して、複数の手段が想定されることになります。「目的」がアリストテレスの理論では突き詰めると「形相」の側に還元できることから、目的を形相的な原理として捉え、それに対応する手段を質料的な原理として捉えることが可能です。
さらに中世哲学では、どのようにして倫理的に正しい判断がなされるのかを問うなかで、判断を主に担う部分が知性という認識能力なのか、それとも意志という欲求能力なのかも問われます。知性と意志の区別は、知性が対象とする「真」と意志が対象とする「善」を概念的に区別する議論と連動しています。基本的には、事実として正しい内容が「真」と言われるのに対して、しかるべき目的やその目的に向かう姿勢が「善」と言われます。とりわけ中世哲学では「善」という概念の適用範囲が広く、倫理学に限定しなければこの世界に存在している個々の事物(人間のカオル、柴犬のペロ、三毛猫のタマ)も存在しているだけで「善」と言われます。
ここでは大まかに説明することしかできませんが、これらの考え方が本書で紹介していく天使論にはさまざまな仕方で姿を現わしています。仮に一つ一つの考え方について納得できない場合でも、むしろどこが納得できないかを考えるために「天使の哲学」を使うことができます。天使を通じて、中世哲学の世界に入り込んでみましょう。
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試し読みは以上です。続きは本書をお買い求めください。
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