映画で学ぶ『資本論』:初心者でもわかる経済学の基礎
現代社会は、富の集中や格差の拡大といった深刻な問題を抱えています。
最近鑑賞した映画『パラサイト 半地下の家族』は、こうした現代社会の矛盾を鮮烈に描き出した作品です。
以前のブログでも書きましたが、この映画を見て私は、カール・マルクスの『資本論』を思い出しました。
本記事は、19世紀に書かれた『資本論』が示した世界が、21世紀の私たちに未だに関係していることを3つの映画を通じて考えたいと思います。
なお、こちらの記事を読む前に、以下を読んでいただくと理解が深まると思います。
『パラサイト 半地下の家族』と資本論
ストーリーの概要(ネタバレあり)
この作品は貧困層の家族が裕福な家族の生活に巧妙に入り込む中で、階級の格差と人間関係の歪みが浮き彫りになるブラックコメディかつ社会派ドラマです。
舞台は韓国のソウル。キム一家(父ギテク、母チュンスク、長男ギウ、長女ギジョン)は半地下の狭いアパートに暮らしている貧困層の家族です。
彼らは日々内職に追われています。
生活のためにWi-Fiの電波をかすめ取ったり、害虫駆除の消毒煙に紛れて自宅をタダで消毒させたりと、必死で「生き抜く術」を探っています。
ある日、長男のギウは大学生の友人から裕福なパク家の娘の家庭教師の仕事を紹介されます。
ギウは偽の大学在籍証明書をでっち上げて上流階級の家に入り込み、その清潔で豊かな生活空間に驚嘆します。
ギウはパク家の母ヨンギョに気に入られ、妹ギジョンを「美術の家庭教師」として引き込むなど、キム一家は次々と嘘の肩書きをまとってパク家の使用人として高級住宅の中に浸透していきます。
長女のギジョンはパク家の幼い息子に芸術療法を施すふりをして雇われ、父ギテクは運転手として、母チュンスクは家政婦として入り込み、遂にはキム一家全員がパク家の生活を「下支え」する存在になります。
ただし、彼らは自分たちが家族であることを隠し、巧妙な偽装工作によって前任の運転手や家政婦を追い出して地位を奪取します。
物語が大きく転換するのは、パク一家がキャンプ旅行で留守にしたある夜からです。
キム一家はパク邸の豪勢なリビングを占拠し、上流階級の贅沢を味わいながら大雨の夜を過ごそうとしていました。
すると、前任の家政婦ムングァンが戻ってきます。
彼女は邸宅の地下に秘密の部屋があり、そこに夫グンセが長年隠れ住んでいた事実を明かします。
グンセは経済的破綻で居場所を失い、地下室でパク家の残飯などを糧に生き延びていたのです。
ここから、地下には地下がある、つまり貧困層の中にも更に深い貧困と疎外が存在することが露わになります。
キム一家とムングァン夫婦は、地下空間を巡り、弱者同士が生存をかけて争い合う図式に陥ります。
この対立は悲劇へと発展し、パク家が帰宅した後のバーベキュー・パーティの日に事態は頂点に達します。
決定的な悲劇は豪邸の庭で起こります。
地下から解き放たれたグンセがパーティに乱入し、復讐と絶望から暴力を振るい、ギジョンを死に至らしめます。
混乱の中、パク氏が鼻をつく「貧しい人の匂い」に嫌悪します。
その態度に怒りを覚えたギテクは、衝動的にパク氏を殺害。
ギテクは追われる身となり、最終的には地下室に身を潜めます。
映画は、ギウが将来莫大な富を稼いでパク家の豪邸を買い戻し、地下に逃げ込んだ父を救うという夢想を抱くシーンで幕を閉じます。
しかし、それは決して現実的でない、叶わぬ幻想のように示唆されます。

オフィシャルサイトより転載
『資本論』との関係性
階級構造の「空間的」可視化
『資本論』は、資本主義社会においては労働者(プロレタリア)と資本家(ブルジョワジー)の間に構造的な搾取関係があると説きました。
映画『パラサイト』では、パク家は高台の豪邸に住み、キム家は半地下のアパートに住むという設定にすることで、物理的な高低がそのまま社会階級を象徴させることに成功しています。
この空間的対比は、社会階級がほぼ固定化されていることを示していると思います。
低所得層は日々の生活では汚水に浸され、富裕層はクリアな空気と広々としたリビングでくつろぐ。
その構造はマルクスが説くところの「生産手段を持たない労働者階級」と「生産手段を独占する資本家階級」の差異を、視覚的かつ物理的に提示していると思います。
剰余価値と搾取構造
マルクスによれば、資本主義下では労働者が生産する価値のうち、労働者に賃金として払われない「剰余価値」は、資本家の利潤として蓄積されていくと説いています。
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