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人生が変わってしまった短編小説『蜜柑』作・芥川龍之介

高校3年生の冬から、今日までの13年間、ほとんど毎日本を読んでいる。特に最初の3年くらいは狂ったように読んでいて、(というか当時は本当に頭がおかしくなっていた。今は別方向にネジが飛んでいる)文字通り朝から晩まで本を読み通し、本を読むということ以外はほとんどしていなかった。

膨大な量の読書が昂じて、今年の2月より「一人席しかないブックカフェ」を始めることとなった。店内に4桁冊はある本や絵本は、その高校3年生の頃から読んできた本のなかから、本当につまらなかったものは処分されて、ある程度厳選されて残ったものが立ち並んでいる。

よく「ブックカフェをしようと思ってこれだけの本を買われたのですか?」と訊かれるが、

ブックカフェをしたかったから本があるのではなく、本を読んできたからブックカフェをしているのである。

それはさておき、これほどの量の本を読むに至ったきっかけの話をしようと思う。

それは僕が高校三年生の頃、進学校にいたが学年で3人だけ進学をしない生徒がいて、そのうちの一人は消防士に、一人は夢を追って上京(上京後、瞬く間に結婚して夢を諦めたと聞いた、夢とは儚いものだ)、その最後の一人である僕は架空の就職先をでっちあげて学校に書類を提出しており、学校はそれを信じていた。

とにかくそんな生徒で、卒業さえできればいいので勉強をする気が一切なかったのである。

高校3年生の後半となってくると、授業も先生が教えていく従来のものではなくなってくる。

授業の前半の50分間にテスト形式のような問題を解き、残りの10分で答え合わせと解説をする、というものだ。

通常の授業であれば、ある程度「聞いている振り」をしていないと先生に目くじらを立てられかねないのだが、テスト形式となれば先生も特に生徒を見ていないので、僕はそれをいいことに仮眠どころか枕用のタオルまで持参して熟睡していた。

そしてある日のこと、何時間も連続で眠っていた僕は流石に眠くなくなってきた。

その時は「現代文」の時間だった。「暇つぶしに問題でも解いてみるか……」と思い問題集のテキストを見ると

『蜜柑』作・芥川龍之介

とあり、2、3千文字の短編がのっていた。

「芥川龍之介? 『芥川賞?』とかなんとか聞いたことあるし、読んでみるか……」

そう思いながら読み始め、その短編を読み終わった瞬間、何か今まで感じたことのない電撃が頭に走ったのだ。

「この芥川ってやつ……、天才だ……! 何かがすごいのがわかる……、でも何がすごいのか今の僕にはわからない……」

今思えば、これが文学との出会いだった。それまでに僕が見てきたり読んできたものは全て「エンタメ」だったのである。生まれて初めて「文学」を「アート」を体験した瞬間、完全に魅せられた。芥川龍之介に、文章に、言葉に、捕縛された。

その現代文の時間も、現代文の時間が終わってからも、僕は何度も何度も何度も繰り返し『蜜柑』を読み耽った。そのせいか今でも序文を暗誦できるが、全文は暗誦できないので自慢にもならない。

学校が終わると帰りに本屋に寄って、新潮文庫の芥川龍之介の本を何冊か買って家に帰って読み始めた。

それからというもの、授業=睡眠時間だった僕の生活(というか授業態度)は一変し、何の教科の授業であろうと持参した本をずっと読んでいた。

今までウトウトどころか熟睡していた生徒が、いきなり本を読み耽っているものだから、今まで僕のことを見て見ぬ振りをしてきた先生たちも流石に声をかけずにはいられない。

「おい、◯◯(僕の苗字)、なんで本を読んでいるんだ?」
先生は『授業中に本を読むな』という意味できっとそう言ったのだが、僕はバカ真面目に
「それがわからないから読んでるんです……」
なんて答えるものだから、先生も返答に困って「ほどほどにしろよ」という役に立たなくもない助言をして、その後は一度も注意を受けなかった。

それからというもの、本を読み続けて今日までに至るわけだが、もしあの時芥川龍之介の『蜜柑』を読まなかったとしたら、僕は今頃どこで何をしていたのか、それは今となっては永遠に分かり得ないのだけれど、一つだけ確かなことがある。

それは、

たった2、3千文字の言葉が人の人生を変えてしまうことがある、ということだ。

一冊の本で人生が変わることもある。しかし僕の場合は一冊の本よりもさらに短い、芥川龍之介の『蜜柑』という短編小説だったわけだ。

そして昔はなぜ、この『蜜柑』という短編小説が僕の心を動かしたのかわからなかったが、今ならその理由がわかる。本短編の最後の文章をここに引用する。

私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事ができたのである。

『蜜柑』

この時まで、僕はきっと人生そのものに退屈していたのだ。あるいは退屈しているということにさえ気づかなかった。

疲労と倦怠の海に溺れる僕が掴んだ唯一のもの、溺れきっていてもなお浮き上がることのできる力を備えた全ての根源……、それが「言葉」であり、僕は芥川龍之介のおかげで退屈さを翼に変えて自由な世界へと飛び立った。それから13年間、一度たりとも退屈を感じたことがない。

「なんで本を読んでいるのか?」
そう訊いてくれた当時の先生へ、今なら答えられる。

「自由に飛べるからです」


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