グローブを脱いだ日〜コロナ禍に出会った二人
日曜日、いつものように彼の最寄り駅に降り立つ。
「駅に着いたよ」とLINEすると、たいてい「気をつけて来てね」と返信があるが、その日は家までの15分の道のり、既読がつかなかった。
1月にしては暖かい日。それでも家に着く頃にはチラチラと雪が降ってきて、小走りに彼の家に向かう。
玄関のドアを開け、階段を上がる途中でスースーと寝息が聞こえた。
出来るだけ足音を立てないようにして、そおっと彼の部屋のドアを開ける。
スースー寝息が大きくなった。
なかなか熟睡できないのが悩みの彼の寝顔をこんなにしっかりと見たのは初めてだった。
このままずっと眠っていて欲しい。
ピンポンとインターフォンを鳴らすことなく家に入り、こうして彼に近づいてもよい、私はそんな人になったのだな。彼の寝顔を見ながらしみじみとそんなことを考える。
あれから2年の月日がたったのだと思ったら、何とも言えない幸せ感に包まれる。
数年後にはこの寝顔を毎日あたりまえのように眺める、そんな日々が訪れるのかな?と想像してみる。
急にゴーッと大きなイビキがしたと思ったら、「あっ、ごめん。」と彼が目覚めた。
「あ〜寝顔見られちゃった。」と笑う彼。
あ〜あ、せっかく幸せ噛みしめていたのにな、残念。
「椅子持ってきて座って。」といつものように彼が言う。
私は部屋の隅にある椅子を彼のベッドサイドに運んで座る。
ベッドの柵を外すと彼がフカフカの毛布の中から手を差し出し、私がそれを握る。
「あ〜暖かい。」と私。
「わ、冷たい。寒かったでしょ。」と彼。
「来たよ。」「うん、来たね。」
そうして私たちは手を握り合ったまま一週間の出来事を語り合う。
いつもの日曜日の風景。
私は彼の手を握る時、親指を包み込むようにしっかりと握る。
障害のある彼の体は脇から下の感覚が全くない。
指は親指だけに感覚がある。だから親指にしっかりと思いを込める。
今日も元気でいてくれてよかったと。
彼は私の手を握る時、手首をクイックイッと動かす。
手首を動かして手を持ち上げた時、指に力を入れなくても自然と指が曲がるというのはわかるだろうか?
彼は指が動かないけれど、この手首の動きを利用して私の手握ってくれる。
クイックイッとあたたかい彼の手が動くたびに思いが伝わってくる。
今日も来てくれてありがとうと。
2年前のあの日も彼の手は温かかった。
彼のリハビリを担当していた私が退職することになり、最後のリハビリを終えた日のことだ。
「最後に握手しよう。」両手を差し出してくれた彼は私の手を力強く握った。あの時、初めて彼の手の温もりを素手で感じたのだ。
コロナ禍に出会った私たち。リハビリで彼の手には何度も触れていたが、いつも防護手袋越しだった。
「先生本当にお世話になってありがとうございました。」
「こちらこそ、本当にありがとうございました。私のわがままで、本当にごめんなさい。」
「いえいえ、それは大丈夫です。元気でいてください。」
彼を担当して、たった数ヶ月で辞めていく私。退職することを伝えた時、彼は最初怒っていたように思う。
自分を見捨てて無責任、そう思ったのかもしない。
「ちゃんと理由を言って。そうしたら納得するから。」いつも穏やかな彼が強い口調で言った。
彼との出会いの場となったこの職場は私には合わない、一言で言えばそれが退職理由だったのだけど…
利用者さんの、彼にそれを全て伝えるわけにはいかない。
元公務員の彼にはこんな短期間で仕事を辞めるなんて、ありえないことだったと思う。
それでも私がシングルマザーだということを知った時、ようやく「納得した」と言ってくれた。
一家を支える立場の人は、もっと働きやすいところがあるならいった方がよいと。
お別れの握手。こんなにも力が出たのかと思うほどに彼は力強く私の手を握ってくれていた。
涙をぐっとこらえた。
その手を離したくなかった。
彼のことが好きだなんて、もちろん言えるはずはなく…
彼の目は少し赤く、ウルウルしていた。彼も同じ気持ちだったのだ、と言うストーリーにしたいが、それは単に彼は万年寝不足だったから。
「さようなら」をして階段を降りながら、もうここを上がることは無いのだと思ったら涙がこぼれ落ちた。
しかしその後月日は流れ、私たちはお付き合いをすることとなった。
最後だと思っていた彼の温かい手は、その後もずっと私を温めてくれる手になった。そうして今日2年目の記念日を迎えた。
これからも私は彼の親指を握り、彼は手首をクイッとして私の手を握り、そうしてお互いの愛を伝え合っていこう。
この記事は、くりすたるるさんの「#手」にまつわるの記事の募集に参加させていただきたくて書きました。
心に染み入る優しい言葉を綴る、くりすたるるさんのnoteに出会い、たくさんの学びをいただいています。
彼の手が大好きだな〜と改めて思いました。
お読みいただきありがとうございました。
